皇室離脱宣言 甘々明仁 紀子はありえない
『平成皇室の「聖域」 天皇家と宮家の確執』


 一方、皇族の中から天皇に対する反撥もある。
例えば89年8月、天皇が秋篠宮の婚約を、昭和天皇の喪中でありながら認めたことに対してである。

 兄宮皇太子の結婚が暗中模索の段階なのに、なぜ弟宮が急がなければならないのか。
ご本人は英国オックスフォード大学留学中と、いわば学生の身分だ。
宮家を立てるといっても、住む家のアテもないのに、というものだった。

秋篠宮の婚約は、これまでの皇室の常識では考えられないことばかりだった。
何か、裏に結婚を認めなければならないような火急の事態があったのだろうか。

ある皇室評論家は、「推定の域を出ないが」と前置きして、こう語る。

「この年の四月ごろ、一部週刊誌に秋篠宮が、“皇籍離脱宣言”をした、という記事が出た。いつの間にか騒ぎは収まったが、今から思えば紀子さんとの婚約を両陛下に申し出、許されないので離脱をほのめかした。宮さまの性格からみてこうも読めるのですが・・・」

そのころ宮家から「新陛下は甘い。3LDKの学習院官舎で育ったプリンセスなんて聞いたこともない」という、冷ややかな反応が漏れてきた。