『技術は行動であるから、その結果するものについては責任を問われる。
技術者は技術自体の持つ論理性だけでなく、文明の担い手としての
見識を持たなければならない。
(中略)
社会の近代化が進み、その中に組み込まれる高度技術の質と量とが大きくなるにつれて
技術者の負うべき責任は、急速に重くなり、技術の特化によって、その分野がせばまるにも
かかわらず、より広い影響域についての知見が必要とされるようになる。しかし社会の
構造の上からは、そのような関与が自然にできるようにはなってはいないし
技術のタレントの活用効率の上からは、自分の殻に閉じこもりたくなるのが自然であるし
そのことについてのモラルのうえでの疑念は、一般にはおきないであろう。
近代社会では、かえって無関心が一般的風土の基調にさえなっている。
しかし、このような風土からひきおこされる社会的ひずみの蓄積が、やがて
顕在化し得るのである。(中略)
ここで、マザー・テレサの辛らつなつぶやきを思い出すのである。
”豊かな国ほど、心が貧しい”』
                        (『日本機会学会誌』昭和五十七年一月号)
【以上、『ジェットエンジンに取り憑かれた男』 前間孝則著 講談社文庫、六六〇頁】

現在の家電技術は、半世紀前の軍事技術以上のレベルになっている。
民需技術とおもわれていたものが軍事に転用できるために、国際貿易の規定に
違反したという報道だってあるくらいだから、
ソニーのような企業、そこの技術者は ”殻” にとじこもらないようにしていただきたいとおもう。