ストリンガーは次のように述懐する。

「私が何か言えば、みな『わかりました』と答えるが、実際には何も起きない。クリントン元大統領のジョークみたいなものだ。
リーダーとして1000人以上の上に立ってはいるが、みな死んだように静かで、誰も口ごたえしない」

指示を出しても、あとになってそれがまったく無視されていたことが発覚するという状況が幾度もくり返された。
ストリンガーの挫折の象徴がプレイステーション部門の統合で、本社に移ってほしいという要望が完全に無視されたあと、
取締役会の決議によって強引に東京品川の本社に移転させたものの、そのとたんに「機密を守るのに必要」との理由で
周囲がガラスの壁で囲われたという。このようにして、
「うちには35個のソニー製品があるが、充電器も35個ある。それがすべてを物語っている」
と幹部が自嘲する状況に陥った。

ストリンガーはCEOに就任してまもなく、読書用の電子端末が起爆剤になると考えた。
だがストリンガーが電子端末の開発を促すほど、各部門のマネージャーは他分門や出版社との協力に後ろ向きになった。

「アマゾンが独自の電子書籍端末を発売する2年以上前に、私も同じアイデアを持っていた。社員にやってくれと指示したが、
遅れに遅れてなにも起こらなかった。それをアマゾンにやられてしまったんだ」とストリンガーは悔しがる。

ストリンガーの時代、ソニーの株式時価総額は123位から477位に転落し、
それに対して「ライバル」のサムスンは62位から12位に上昇して背中すら見えなくなった。