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 奥田氏が就任した14年1月当時、ソニーの米エレキ事業はサムスンなどの低価格攻勢に押されっぱなし。「売上高は全盛期の3分の1程度まで落ち込み、全体の足を引っ張っていた」。
ソニーのテレビ事業に占める米国の比率は2割弱だが、新製品が世界で最も早く普及する市場であり、米国での優劣が世界での競争力に直結する。

 間の悪いことに、この年の2月末、ソニー・エレクトロニクスは14年末までに全従業員の約3分の1にあたる1000人の削減と直営店「ソニーストア」20店の閉鎖などリストラ策を発表。社員の士気も上がりにくい逆風下での船出だった。

販売立て直しの起点は家電量販最大手のベストバイ1社に絞りこんだ。14年夏に店舗内店舗の開設計画が始動した。

 店舗内店舗は作りっぱなしでは意味が薄い。真の価値を生み出すには、各店舗から上がってくる販売データの分析と課題への迅速な対応がカギを握る。
週ごとに店舗や機種別の販売データをベストバイから提供してもらい、シェアやライバルの動向を分析し、店舗をこまめにブラッシュアップしていった。

 「店頭デモはきちんとできているか」「商品説明のトレーニングができているか」「店長や店員との関係作りはうまくいっているか」「在庫はあるか。補充は効率的か」――。
毎週火曜日に営業やマーケティング担当が集まって店の課題を洗い出してひとつずつつぶしていく。奥田氏の指揮の下、販売現場で繰り返されたのはそんな地道な作業だった。

■なぜサムスンに敗れたか

 ソニーは米国市場の一連の立て直し策で、テレビ事業の「2つの構造問題」にメスを入れた。

 ひとつは販売会社の固定費問題。米ソニーの歴史は1960年、ニューヨークで設立されたソニー・アメリカに始まる。
共同創業者の盛田昭夫氏がトップとして販売を率いてトランジスタラジオを売り込んだ、「SONY」の象徴でもある。そのせいか、エレキの販売が落ち込んでも、膨らんだ固定費の削減は手つかず。この「聖域」にようやくメスが入った。