ソニー・女子ホッケー部 リオ派遣、社員の誇り 家族や地域結ぶ(中部企業スポーツ 広がる裾野)

リオデジャネイロ五輪には、中部企業所属の選手も多数参加し、各国選手としのぎを削っている。
今回出場がかなわなかった選手たちも、4年後の東京五輪に向け、すでに始動している。

 7日、リオ五輪の女子フィールドホッケー予選で、日本代表は初戦でインドと対戦。FWの中島史恵選手らの活躍で2点を先行したが、その後インドに追いつかれ、
2対2で引き分けた。永井祐司監督は「勝ち点1を取れたので、次につながる」。主戦MFの中川未由希選手も「負けなかったことをプラスに考え、次の試合では
いいゲームをしたい」と語った。

 この永井監督や中川選手、中島選手を含む9人を代表チームに送り込んだのが、愛知県稲沢市にあるソニー子会社のソニーグローバルマニュファクチャリング&
オペレーションズ稲沢サイトだ。

 フィールドホッケー部は創部36年で、岐阜県各務原市のスタジアムを本拠地に、選手20人、スタッフ6人で活動する。戦績は華々しく、全日本社会人選手権など
国内主要4大会で優勝59回を数え、過去の五輪でも多くの代表選手を派遣した。

 選手は全員社員で、平日は午後3時まで業務に就いた後、5時間の練習に励む。部長の松久功執行役員は「選手が固まらないように様々な部署に配属している」
と明かす。設計や品質管理、調達、経理など様々な職場の戦力として、妥協なく仕事をこなす。

 部の歴史は順風満帆だったわけではない。ソニーは2009年3月期に巨額の最終赤字を計上し、不採算事業の再編に着手。ホッケー部は09年までテレビ
生産工場の一宮サイト(愛知県一宮市)で活動していたが、工場再編で生産機能が稲沢サイトに集約され、ホッケー部も稲沢に移転した。

 そんな苦境下でもホッケー部員は奮闘した。10年には全日本社会人、全日本女子、日本リーグで4年連続3冠を達成。15年にも3冠に輝いた。圧倒的な成績は社員の誇りになり、
試合になれば社員の家族や協力会社、地域住民も集まって応援する。松久氏は「ホッケー部は全体を結びつける接着剤だ」と話す。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFD04H05_V00C16A8940M00/