石田氏が開智に招請された当時は、日本橋学館大學と言う名称で、教育学部は無くリベラルアーツ学部がある単科の
大學でした。
なんでも、当時の学長は柏市は音楽の街で、小学校は東日本、中高は全国に出場している学校があるのに、大学には
まだないので、吹奏楽部を作ってほしいと言われたそうです。
石田氏は就任してから毎年部員を増やして一時は70名位に達したようです。
しかし、大学の経営母体が変わり教育学部中心の大学になったために、合格率15%の
教員資格試験を受験するためには、4年生の活動が厳しくなり、大学の規模から大会への
参加を断念したとのことを部員から聞いています。
このようなことで、コンクールへの参加を希望して入学する学生も減少し、今年は10人程度しか吹奏楽部に
入らなかったようです。
大學では今年から入学定員を増やしましたが、少子化の影響もあり定員割れのようです。
そこで、新たに部活特待生制度を設立し来年度から、高校で3年間吹奏楽部で頑張った者は、
大会出場の経験を問わず国立大学の授業料より安い経費で入学を認める制度を作ったようです。
来年度以降もしも部員が増えれば、将来大学Aから出場することも視野に入れているようです。
石田氏は以前からA部門にはなぜかこだわりがあるようです。
たぶん市立柏では、数人から部を立ち上げ大きくした経験があるからだと思います。
どこの大学でも部活の特待制度を設ける時代ですので、有名大学でもないかぎり難しいでしょう。
開智の名を残したのは石田氏の性格から招請を受けた恩義によるものと思われます。