ひさしぶりですね。過疎っているのをいいことに、好きなことを書いてみますよ。

卒業式のシーズンです。卒業式には3年生の部員が部室を訪れ、1・2年生と別れを惜しんだり、記念の演奏をしたりします。
私は吹奏楽部顧問ではありませんが、吹奏楽部も同様でしょう。

3年生はだいたいの場合、部活動の思い出などを述べ、感謝の意を表して卒業していきます。大変だった学年ほど感謝が強かったりし、
それまでのいらだちや苦労は一気に消えてなくなる、そんな日です。

でも、落ち着いて考えてみると、3年間(というか、2年数ヶ月)、音楽を追求し、時には見たことのない世界を見たりしたことが、
その後の人生にどう役立つか、彼ら彼女らに何を残せているのか、そんなことをシビアに考えると、なかなか死にそうになります。

音楽は、具体的には何の役にも立ちません。
演奏や練習を通じ、段取りだの精度だの具体物を扱う感覚だのを養うことはできそうです。
仲間と協力して物事を成し遂げる苦労と喜びも味わえるでしょう。
演奏の完成とは、きわめて抽象的な目標ですが、だいたいどんな組織でも目標は抽象的になります。「抽象を具体にする」、広い意味では
そうした感覚を養うことができるかも知れません。
何より、演奏そのものは楽しいはず。

…と、思うのですが、本当にこんなものなのでしょうか。
たったこれだけのことのために、彼ら彼女らにあれほどの苦労をさせ、大変な時間をこちらも費やしているのでしょうか。

言葉にすると、いかにも弱弱しく感じます。
もっとも、音楽は身体で感じるものなので、こんな薄っぺらい言葉に還元すべきものではないのかも知れません。
しかし、私が感じてほしいと思っているものを、生徒たちは本当に感じることができているでしょうか。
そして、感じたとして、それが将来何かの形で(美意識でもいいし、段取りでもいいし、精度でもいいし)役に立っているのでしょうか。
自分は音楽の先生ですから、ほぼそのまま役に立っていますが、他分野でも間接的にでもいい影響はあるのでしょうか。

あるだろう、という仮説で教師をしていますが、本当にそうかどうかはわかりません。
とりあえず、生徒たちの将来の活躍を祈るしかありません。