>>915
残念ながら映画「セッション」は見たことがありませんが、「音の連なりが人生に語りかけてくるような演奏」とは
とても詩的な表現で、素晴らしいです。

ストラヴィンスキーが言ったように、最終的には「音楽は何も表現しない、ただ鳴り響く音があるだけだ」というような
ものかも知れません。標題音楽のタイトルを知らせずにスノッブに聴かせたら、一つもタイトルを当てられなかったという
悪名高い実験もあります。音楽は、言語や絵画ほど明確に意味やイメージを伝達することができません。

しかし、質が高く、配慮と熟練が行き届いた演奏は、時に「人生」だの「神」だの「究極の孤独」だの「十字架」だの
「民族の誇り」だの、何やら抽象的なものを強烈に意識させる場合があります。そう言った観念を触発する場合が
あります。私は生演奏を聴いて十字架が見えたことや、演奏の背後に神の息吹を感じたことがあります。

それ自体には意味のない音の連続が、作曲家も演奏家もそれを確実に狙うことは恐らくできないでしょうが、こうした
途方もない印象や観念を呼び覚ましたりするところが、音楽の大変に面白いところであり、こうした部分を一切捨て去って
ただ勝負に突撃することは、音楽と言う文化への冒涜行為であるとすら思います。私は音楽の先生なので、「音楽と言う
宗教の信者だからそう思うのだ」と言われれば、返す言葉もありませんが、ある種の宗教のようなものとして敬意を持って
扱うのでなければ音楽の指導をする資格などないだろう、とも思います。