シカゴ響やNYフィルなどはフォルテの表現が上手いから鳴っている様に聞こえるが、
単純な音量(デシベル的な意味)だと中高生バンドの方が音量はあると思う。
シカゴ響の演奏は2時間聴いても耳が疲れないが、学生やアマチュアの無理に鳴らしてる演奏は10分で耳が痛くなる時もある。

中高生が「バリバリした」演奏に憧れる気持ちは分かるが、
無理に鳴らさずに、音量では無く音色変化を巧く扱って「バリバリした」演奏をする試行錯誤をして欲しいと思う。
その先には、きっと今よりも段違いに良い演奏が出来る様になるはずだから。


私は過去にとあるシカゴ響とNYフィルの金管奏者と演奏する機会に恵まれた。
奏者側の席から彼等の演奏を聞くと、驚くほど鳴っていないように聞こえた。特にシカゴの方々。
恥ずかしながら最初は「アイツ等サボってんのか?」と思ったぐらい。
しかし客席で聞くと、いつものシカゴ響やNYフィルの音なんだ。
この時、「遠鳴り」の意味がよく分かった。
恐らくシフィラデルフィア響などの金管セクションも似たような感じだと思われる。

ハーウッドやヴァーノンはバリバリ鳴ってるように聞こえるが、実際のところ彼等はフォルテッシモであってもピアニッシモの様に、とても繊細に吹いている。

過剰に音量を追求してしまう奏者は、この事を記憶に留めておいて欲しい。
音量は一般の高校生ぐらい出たら十分だ。
音量よりも音色で「強弱」をより表現出来る奏者が増えた時、日本の金管のレベルはより上がると思う。

長文失礼でした。