威風堂々一番の最後はフェルマータこそあれど、ritの指示はない。
でも、比較的多く演奏にritがかかっている。

一つ考えられるのは、具体的な曲は今思い浮かばないが、原曲でritからのフェルマータのff終わり
という楽曲を指揮あるいは演奏した多く音楽家が、本能的に満足感や幸福感を得たのが最初ではないだろうか

西洋音楽において、この終わり方は人間の本能に自然にフィットするもの。
それをffのフェルマータで終わる曲でritの指示のない曲に実施したところ、これまたやはり満足感を得られたと。
そして、習慣的に「曲の最後がffでフェルマータで終わる場合はritをかける方が終わりという感じがよりする」といった概念は広まったと思う。
しかしあまのじゃくはいるもので、「そんな指示は楽譜にはない!」という人が出てくる。
またそちらの方が音楽をわかってるような風潮が広がる。
乗っかる人が増える。
ただそれだけのこと。