それというのもそれに先がけ、法務省に呼び出され
薬物使用者で収監されている家族の講習会というものに行ってまいりました。
そこで自分が痛感したことは、あまりにも現実と乖離した内容の講習にほとほと
あきれ果て、(途中で退席してこようか思ったくらいで)
いわいるタテマエだけの保健所の職員かなんかの一通りの薬物に対する講習とかで
本当に必要なプラクティカルな対処法などのレクチャーなどはなに一つなく
同席していた4,50人の同じような家族たち、特に年老いた母親とおぼしき
人らがたくさんいる中で(熱心にメモなどとっている方も多数おられましたが)
この国は本気で薬物使用者をなくそう、薬物使用者を立ち直らせよう
などど考えていないことを痛烈に実感したからであります。

そこで自分が改めて感じたことは、覚せい剤使用者に対して為政者側が
施す政策としては、社会の捨て駒として位置づけることであり、
それが統治技術の方法論であって、精神論や刑罰を与えるだけの
対処法が唯一であるからこそ、再犯率が6割近いという現状をあえて
放置しているとしか思えないものであるからであります。

それは習慣性ならびに依存性の極めて強い薬物を介したアヘン戦争がそうであったり
戦後日本の成り立ちも戦地におけるアヘンの売却益を礎にして政治体制が生まれてたり
その後のヒロポン需要の調整や、アメリカの黒人コミュニティーにおいても
クラックをCIAや政府機関自らがばら撒いていたりしたことは、近頃はちょっと
ネットを駆使して検索すればいくらでもでてくる史実であるからであります。

つまり覚せい剤使用者が必要悪とされる社会の捨て駒として存在しているのであれば
為政者側に屈服してその捨て駒としての人生を選択するか否かの問題であり、
その道を選ぶかどうかの判断は誰一人助けてくれるわけでなく、
唯一あなた自身の選択であるということなのです。