諦めてしまえば人生は味気ないものに終わる。
社会主義にとっては、もともと全ては虚無なんだ。

よく言われるように啓蒙思想以降、近代的自我は自分たちの理性でもって宇宙を照らし
それによって深く絶望した。
よく言われるようにコペルニクス、ダーウィン、フロイトというやつで
コペルニクスは人間が自分らが宇宙の中心だという思い込みから人間を追放し
ダーウィンは人間が生物の中心であるという思い込みから人間を追放し
フロイトは人間が自分らの自我や理性が心の中心だという思い込みから人間を追放したと言われる。
近代的自我、啓蒙精神はその素晴らしい叡智でもって中世を打破し、世界を探求した結果、
三つの中心から自分らで自分らを追いだしてしまった。
神の確信をすべて失ったわけだ。

しかし、神を失った人間に再び「立て、神なき世界でお前は立たなければいけない、なぜなら
神の救済は永遠に訪れないなら、人間は人間の手で自分を救わなければいけない、
もしお前、人間が諦めれば、世界はこのまま無慈悲だろう」
という要請として社会主義が来る。

つまりここに、たとえ何度血祭りになっても、左翼が決して諦めない原動力がある。

思想の流れでいうと、つまりそういうことだ。