小林武史、デビュー当時のMr.Childrenの印象は「地味で曲も非力だけど…」

■音楽との出会い

日本を代表する音楽プロデューサーである小林さん。音楽とは、どのように接点を持ったのでしょう。

村治:小さい頃はどんな音楽を聴いていたのかなと。ピアノとの出会いはいつ頃だったのですか?
小林:4歳か5歳だったんですけど、僕の母親の友だちの娘さんがピアノをやっていて、「これからは男の子も何かやったほうがいい時代」みたいな話で、やることになったんです。
村治:自然と音楽への道を志そうと、思春期の頃に思われたんですか?
小林:いろいろな影響があったんだけど、ちょうどスタジオミュージシャンというのが全盛の時代だったんですよね。
田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』がブームで。
トレンディなチャラっとした若者像を表現した作品なんですけど、主人公の女性が売れっ子モデルで、
男性の主人公の職業がスタジオミュージシャンでしたから。
別に憧れていたわけでもなかったんだけど、そういう時代だからそれなりに稼げるようになっていくんですよね。
音楽の勉強を続けるなら、バークリー音楽大学に行きたいと思っていたんですけど、
バークリーから帰ってきた先生の個人レッスンに1年くらい通っているうちに、段々と人脈ができてきて、
ギャラを貰えるようになり、どんどん面白くなっていきました。

■新人時代のMr.Children

1980年代初頭「音楽業界はどんどん活況になっていった」と語る小林さん。
YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が解散する頃に高橋幸宏さんや大貫妙子さんといった有名ミュージシャンに呼ばれるようになり、
30歳前後で桑田佳祐さんと出会います。
当時を振り返って、「スタジオミュージシャンの中では噂になるくらいで、ちょっと肩で風を切ってましたね(笑)」と語りました。

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