>>241

国家神道は日本の「伝統」でもなんでもない。もともと、日本の神社は寺と不可分だった
(神仏習合)が、明治政府は神仏分離令(1868年)によって神社から仏像や仏具を撤去するなどし、
神道を仏教の上に無理やり位置付けようとした。この神仏分離令は一部で廃仏毀釈と呼ばれる
激しい寺院・仏教の排斥運動を呼び込んだが、こうした点について三輪宮司は「週刊金曜日」で、
「明治政府は文化と宗教の破壊者です」と強く批判。そして、明治政府の「国家の宗祀」理論や
「教育勅語」についても、「このように一つの価値観と規律で国民をしばる、などという発想は、
多神教の神道にはありません」と一刀両断している。