実際問題、あの場面で瞬也が「二人デート」という言葉を使っているのが気になるんだよな。
ふつうに「デート」という言葉を使えばいいのに、あえて「二人デート」という言葉を使っているのは、
じつはこの二人はまだ「二人きりのデート」をしたことがないんじゃないか、と視聴者に容易に想像させている。
もちろん確証はないがそのように推察されるわけで、フィクションの中の事柄を議論しても仕方がないのだが、
「行間を読む」ことも、作品を理解する上で必要なことではないか、と。