https://natalie.mu/music/pp/oomoriseiko
峯田 なんかメールが来てて。お客さんから。

──峯田さんは携帯のメールアドレスを公開してましたもんね。

峯田 そうです。なんか広まった時期があって。
で、その中で毎日メールくれる人が当時20人ぐらいいて、その中の1人。

──いつ頃の話ですか?

大森靖子
大森 私が高校生で17、18歳とかですね。銀杏BOYZが2005年にツアーで愛媛に来たんです。
そのときのライブでメールアドレス言ってて、送ってみたら「あ、送れた」と思って。

──メールにはどんなことを書いてたんですか?

大森 当時、私立のわりかしいい学校だったんですけど、サボっててあんまり行ってなかったりとか、あと家でゴタゴタがあって顔がボコボコになってたりとかしてて、完全にヤンキーみたいなキャラになってて。
別にそんなわけじゃないのに。

──ふふふ(笑)。

大森 でもじゃあそれでいいやと思って、がんばってそのキャラやってたら疲れちゃって。
そういう疲れた感じとか、愚痴とかをずっと送ってました。
なんかバイトの店長に告られてめんどくさいとかいうのを、ちょっと文学的にして送ってたみたいな感じです。
だから今のブログと一緒ですね。

──峯田さんは大森さんからのメールを読んでどう思ってたんですか?

峯田 「この子大変だなあ」って(笑)。

大森 ふふふ(笑)。

峯田 今いくつですか?

大森 26です。

峯田 生き残れたんですね。

──ん? どういうことですか?

峯田 当時メール毎日くれてた20人ぐらいのうち、亡くなった子がもう5、6人いて。親からメール来たりとか。

たぶん本当にしんどい人がけっこういたと思うんです、今思えば。
でも誰かに毎日メールを送るのってすごいことじゃないですか。力も使うし時間も使うし。

そんぐらいのことをやってる人がもし楽器とか持って曲とか書いたらたぶんすごいのになと思ってたから、だからよかったなと思って。
メジャーデビューも決まったって聞いて、すげえなと思って。