【TBS日曜劇場】この世界の片隅に part48
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【TBS系】2018年7月15日〜9月16日放送
日曜劇場「この世界の片隅に」
毎週日曜 21:00〜 (全9回)
■公式
Webサイト:http://www.tbs.co.jp/konoseka_tbs/
Twitter:https://twitter.com/konoseka_tbs/
Instagram:https://www.instagram.com/konoseka_tbs/
見逃し配信 TBS FREE:http://www.tbs.co.jp/muryou-douga/
■スタッフ
原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊 「漫画アクション」連載)
脚本:岡田惠和
演出:土井裕泰、吉田健
音楽:久石譲
プロデュース:佐野亜裕美
※次スレは>>950が立てませう。
※映画の話題はアニメ映画板で。「君の名は。」の話題は当スレと無関係のため厳禁。
※ドラマアンチはアンチスレへ
■前スレ
【TBS日曜劇場】この世界の片隅に part46
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/tvd/1537763053/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
【TBS日曜劇場】この世界の片隅に part47
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/tvd/1538385990/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>558
>アニメとして良いとは誰も言ってないw
どんな評価されたらアニメとして良いって事になるの? 評価なら片隅の方が桁外れに多く受賞してるから新海信者は分が悪かろう
数少ない自慢の外国の賞も最近細田のミライが取って東宝お手盛りなのがバレちゃったし >>560
評価だけならいらない
実際、儲かった方が潤うのが映画の世界
賞を取った所で自慢しかないじゃまいか 一般の観客にとって純然たる他人である映画製作者が潤うのなんかよりマトモな映画が作られて評価されることの方が有益だが
誰目線で物を語ってるのか理解に苦しむ 片隅ファンは興収戦争みたいなものとはずっと一線を画してきたからな
興収で何に勝って嬉しいだの負けて悔しいだのと騒ぐ奴を見たことが無い
ペイするかどうかが最大の課題だったくらいで >>564
興行の日数を競ってるんだっけ。
で、このドラマスレでは視聴率が叩くこん棒として
使われてきたと。
>>563
新しい映画は何の盛り上がりもないようだけど
あれ、マトモだから大丈夫なんか? アニメ映画板のスレは気色悪い左翼活動家のジジイみたいなのが住み着いてて
ちょっとでも批判的なことを言わないか監視してる
映画自体は嫌いではないから、ああいうのは早く死ぬとか病院に収容されるとかして
居なくなってくれるといいのになあ
このドラマ板はドラマ板で見えない何かと戦ってる奴らかw アニメ映画の本スレ見ると全然盛り上がってないな。
ちゃんと期日に公開されるかが最近のネタのようだが。 違和感だけが残ったクソドラマやったな
平均視聴率がよく表している
解散解散 他人のガキを自分の子供にした上に
最後は黒田ファンのケロカスになるという
日曜劇場史上歴史に残る糞ドラマw しかも、妹の看病は本家にひとり残った老婆に押し付け しかもラストは瀬戸内海の海に向かって
松山方面に、
「負けなさんな〜広島」 哲は哲で、埋め立てられたはずの江波の海岸にタイムスリップw このドラマはすずがかわいくてすずを見るためのドラマだったな
注)松本は別にどうでもいい
松本には興味はないが
あの話し方をするような役が再びやって来たらいいなとは思う
でもそんなことはないだろうな 片渕監督「のんちゃんはコメディエンヌ」
アニメ片隅はコメディw 映画 片隅の公開前に
のんが元事務所へ謝罪来た
片渕監督でもサポート及ばず残念 謝罪遅すぎ
大人じゃないね
女優の名声を利用しようとする奴もな のん、レプロと和解www
489 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/19(金) 01:23:37.45
フライデーをゲット
既報のツイートの通りでした。
レプロとの関係修復は良好で
のんちゃん側から騒動の詫びを入れるという形で
和解が始まったとのこと。レプロのマネージメントを受ける仕事も出て来るらしい。 あーあ ドラマも能年でやってりゃあの脚本のクソさを補って視聴率爆上げだったろうに 下手するとこの世界の片隅に映画長尺版すらできなくなってしまう可能性が出てきたな
何とか仕事ができるようになって欲しいが、これでこじれたらもう後がない ガルちゃん見ろよ
松坂ヲタ婆の基地外が無理やり松本と共通点さがして匂わせてるとかジャニヲタ基地外と同じことやってんぞ。勃起のことは必死で否定して作り話とか言ってる婆が自分から作り上げた妄想を真実のように新潮と同じことやってら
松坂同様ヲタもアホというのがよくわかる 片渕監督はのんのニュースにノーリアクションか。
本当にセコイ男だ。
微妙な問題は総スルー。
映画からは政治色を排除。リンとの大人のいざこざも真っ先に排除。
自分の宣伝になることなら何でもすぐ利用するくせに。 >>580
声だけになったことで、小柄なすずさんを演ずることができたんで たった30分程度の追加シーンがスケジュール通りに作れなくて延期ってどんだけ無能なんだよw
一方アニメ版ヲタの女神のん様はレプロに全面降伏
レプロが許可出さなかったら長尺版自体ポシャるんじゃねえの?
終わったなw 0317 名無しさん@恐縮です 2018/10/19 16:15:37
12月にアニメ映画の完全版が公開予定だからな。
元の映画に30分の追加シーンがある。その為だけに1800円も払う人がいるか不安になったのだろう。
だもんで公開前に地上波でアニメ映画を放送して欲しくなった。
そこで片渕監督はじめ映画関係者がのんを謝罪に向かわせたってところかな。 >>586
そんな時間に何してんの?
今度こそこのスレからあらしが出ていく状況になるのかね 「戻る! 戻る! レブロに戻る!」
「勝手にせえ!」 >>593
ありがとう。「彼」に関するリアクションはこの警報だけで、あとは完全にスルーすることが、このスレにとってベストと思う。 すっかりこのスレも落ち着いちゃったねぇ。
…アニメ版のあかでミックな展示会の話でもすりゃいいのに。
今年11月から来年の5月までやるんだろ?何の為にかは、
今となっては良くわからんが(クリスマスイブの記念トークは
予定通りやるんだろうね ドラマの話だけど、現代編の榮倉奈々さんの役、こうの先生がモデルの一人なんじゃないかと自分は思っている。
第一話で荒れ放題の北條家に入るシーン、先生自身がずっとやってきたことなのじゃないかなと。
北條家のモデルは呉に数年前まで建っていた、こうの先生の親戚の家だということはよく知られている。
でも本当は親戚じゃなくて、こうの先生自身の家。もともとは母方の祖母の家だったけど、先生がその養女になって家を継いだ。
このことは知ってるファンもかなりいると思う。
先生は東京でマンガ家をやっていたから、普段はこの家には住めなかった。
おそらく普段は空き家で、何ヶ月か何年かにに一度、維持に行くだけだったんだろうと思う。
その話を番組スタッフが聞いて、作品に取り入れたんじゃないかなと自分は思っている。
まあこの推測が正しかったとしても、北條家が荒れているというのは割とファンをがっかりさせる話なんで、成功したアイディアとは言えなかったとは思うけれど、意欲的な試みではあったかなと。 >>598 にちょっと補足。
母方の祖母の養女になって呉の家を継ぐということは、こうの先生が物心ついた頃から決められていた話で、子供の頃から呉の家に行っては、ここが自分の生涯暮らす場所だと心に決めていた。祖母も呉の家も好きだったから、むしろ喜んで受け入れていた。
そして広島の大学に入り、そのまま行けば、呉で暮らす、やたらとプリントのイラストのうまいw理科の先生になっていただろう。
しかしせっかく入った大学を、自分には合わないと半年で中退してしまい、いろいろあって東京でマンガ家を目指すことになり、そして30年近く東京で暮らした。
つまり呉の家は こうの先生の「選ばんかった道」そのものであり、『この世界の片隅に』はその、選ばなかった自分の居場所を舞台にした作品だった。
もし番組スタッフが先生からこの話を聞いていたら、とても作品に取り入れたくなっただろうと自分は思う。
この推測が正しいかどうかは別にして、このドラマには、残念ながら成功しなかったとしても意欲的な試みがあちこちにあると自分は思うので、今後このスレでそういう話もできたらいいなと。 30分の追加にどんだけ時間かけてんだ。
現行の手抜き箇所に手を加えることにしたのか?
完璧といっていた評論家と信者の立場がないw 700日も公開延期もほとんど話題にならなかった。
アニメは大田区の小さい施設で催しがあるだけ。
片渕のフォロワーは半年で1000人増加しただけ。
公開延期とのんの謝罪はわざわさ同じ日にニュースにしたのにねえ。 ねっちりとネガティブを垂れ流すたキチガイが気持ち悪い。
なにがここまで執着させるんだろう。 >>603
昨日、広い範囲でサーバが落ちてなかったか? 賞レースで惨敗したのがそんなに辛かったの?
もう2年以上引きずってるんだもんなぁ(^o^) のんスレw同日に延期発表の真相っすかw
0276 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/21 09:39:22
タキポキと片渕はレプロの誹謗中傷を紙面で行ったから、彼らは切られて当然だよ。
0278 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/10/21 09:42:20
そんな片渕の作品にレプロののんになったら出すわけには行かないね
片渕もレプロタレントなんか使いたくないだろうし アフレコはまだだよ。新谷さんの広島弁ガイド録音すらまだ。
新作カット見たけど、丁寧に動いてた。まだまだ時間はかかりそう。 >>615
見たのか、良いなー
前に松原さんが枚数多いってこぼしてて、美監はとっくに仕事終わってるって言ってるから、レイアウト上がってとっくに作画に入ってて演出チェックで粘ってると見てたんだが、カバ吉が真実をゲロったw
監督がQARの付属品になりっぱなしで細かいタイミング調整したりしてるんだなw
完成が楽しみだ 動きが細かいだけw監督は指示するだけw
演出が片渕じゃなw >>619
ほら、どっかの馬鹿が作監に無断でタイミング変えて撮影して
「新海テメェそういうのはコッチで調整するから素人が手を出すな糞が!」
ってこっ酷く怒られてた奴なw >>618
すずのこう言ったシーン、相変わらず抜けてるんだろ?
で、原作に忠実と
↓
あれ以来、周作さんとはほとんど話していない
家が焼けたら出ていけば良いのに
「お線香が立ててある。誰かがなくなりんさったじゃね」
※手を合わすすみ
わたしは死んだ人が転がっていても平気で通り過ぎた
わかってる
※歪んでるのはわたしだ
※まるで左手で描いた世界のように
※はあります >>622
ん?何の話?
何ページの何コマ目か答えられる? 下町ロケット12.4%
地味なドラマが下町ロケットの7割以上とれた。上出来だな。 >>623
『この世界の片隅に』下巻 の61ページ位かな?
て
>>618
>>623
そんな時間に何しとるん 過去スレで出たアイディアで、自分が感心したものをいくつか。
それぞれ あまり意味のなかったドラマオリジナルを活かす、良いアイディアだと思いました。
・周作とすずがデートで食べたアイスクリームを、榮倉奈々の古民家カフェで提供
・堂本家の老人(塩見三省)に原作のすずの終戦時のセリフ「この国から正義が飛び去ってゆく…」を言わせる
他の番組オリジナルの一つに、実は こうの先生の提案だった すずの櫛(くし)があります。
これも番組中ではあまり意味がなかったけれど、皆さんはこれを活かすにはどうしたら良かったと思いますか? 榮倉奈々を実家とは疎遠になってるすずの実の孫ということにして
色々あったけど実家との繋がりを取り戻してあの櫛を受け取ってエンド、とかにすりゃ良かったんじゃないかね なるほど、そのアイディアだと、榮倉奈々は初回から櫛を持ってはおらず、いろいろあってから彼女の手に渡るのですね。
自分は小さいですが一点。
機銃掃射の直前、すずが大切なものを手提げ袋にしまうシーン、櫛はしまわずに引き出しに置いたままなんですね。だから他のものは粉みじんにされても、櫛だけは無事だった。
でもこれだと、櫛はすずにとって大切なものじゃなかったみたいで、自分は違和感がありました。
だから自分なら、櫛も一緒に手提げに入れて、他の物と一緒に機銃にさらされるんだけれど、櫛は歯が欠けたぐらいで奇跡的に無事だった、とするかなと。そうすれば櫛が縁起の良いものにもなりますし。
あと、本編でほとんど櫛が出てこないのに、現代パートでむやみに珍重されるのも自分は違和感がありましたね。 榮倉は現代に生きるすずさんを出すためのバーター的役割であり、カフェを開かせるほどの
メイン扱いではない。それをするなら3話以上は榮倉の奮闘を描かねばならなくなり、同時に
オリジナル部分を大幅にカットする結果になるので、一体何を描くドラマなのか不鮮明になる。
(櫛も同様で、あくまで接点としての小道具扱い。これを活かすには以下同文)
勉じいさんにセリフを言わせるなら、バックボーン等何かしら重みを持たせる必要があったが
最後まで謎のじいさんだったw 天下の世界名作劇場で片渕監督がしたこと
「初回で登場人物たくさん出しとけば後でなんとかなるやろ」
→名作劇場初の打ちきり >>629
榮倉奈々殆ど出さない
第1話冒頭で北條家の雨戸かなんか開けて空気の入れ替えをしつつ引き出しの櫛を見つける
本編
最終話 古江の民家を訪ねる榮倉 同じくらいの年格好の女性と話しててふいに櫛の話になり 榮倉はすずの名前の入った櫛を、相手の女性はすみの名前が入った櫛を出して
「お婆ちゃん結構近所にお嫁に行ったわ」
終了
もうあれだけ改変したんだからすみちゃん生きてる設定でも良いだろ 櫛はお守りアピールがあっても良かったかもね
実家にあったツゲの木で作った櫛に
父親がスズと名入れしてくれた物の説明はあったけど
お母さんがすずに渡す時「こんなご時世だから嫁入り道具もないけど、お守りも思って」ってセリフと共に握らせる
空襲の時、手提げに入れず櫛は懐に入れる
最終回で節子にシラミ取りに櫛を使って「この櫛はお守りなんよ」というセリフ
↓
なら、節子が櫛を持ってて佳代に「お守り」のセリフと共に渡すのも自然さが出る
で、節子と佳代に共通点エピソードを1つ2つ足す
「うち、お母さんが死んじゃって居ないんです…」とか
そういう、節子がより佳代に自分を重ねられる要素があれば、お守りを返そうとしてもあげちゃう節子にも説得力が出る 昼休みに少しだけ。
皆さんご意見ありがとうございま
す。どれもたいへん興味深いです。
個人的に、作中で人がすずの髪をいじるシーン(すみ、サン、径子)は重要だと思っているので、それなどについて夜にまた書かせて下さい。
しかしこのスレ、ChMateだとDAT落ちになっちゃってるんですが、私だけですかね…。 自分もchmateだけど異常無し
dat落ち判定はついてないよー すみません、うまくまとめられなくて長くなってしまいました。
この原作は非常に周到に構成されているので、例えば人がすずの髪をいじるシーンを追うだけで、すずの今の状況がわかるようになっています。
すずは元々、スキンシップに満ちた暮らしをしていたのに、嫁入りとともにそれが無くなってしまいます。
里帰りで、すみが早速、以前のようにすずの髪をいじると禿げが見つかるのは、慣れない境遇のすずの悩みだけでなく、身の回りにそういう近い関係の人がいないことを示しています。
それ以降、すずの髪をいじる人はずっといません。人の世話をする立場ではあっても、される立場ではないのです。幼い晴美が墨を塗ろうとしてくれるくらいですねw
その関係は、すずが空襲で右手を失うことで大きく変わります。サンがすずの髪をいじることは、すずが逆に世話をされる側になってしまったことをよく表しています。
すずはそのことにさんざん悩みますが、径子に「すずさんの居場所はここじゃ」と言われることで救われ、すずは「北條家の嫁さん」の義務を果たす存在から、北條家を自分の意志で自分の居場所と決める存在に変わります。
径子がこの時すずの髪をいじっているのは大変重要です。これは単なる世話ではなく、径子がすみと同じくらい すずに近い存在になったことを示すからです。
こういう演出は普通、読者や視聴者には見飛ばされますが、もし櫛がそれぞれのシーンごとに象徴的に登場していたなら、同じ櫛を持つ人がすみ→サン→径子と変わっていくことで、誰にでもはっきり感じ取れるようになっていたと思うんですね。
そして最後、すずが節子の髪を櫛ですくシーンがあれば、この櫛を巡る物語はきれいな締めくくりを迎えたでしょう。 >>638 に付け足し。
今回のドラマは、原作の解説という面を多く持っています。
例えば最終回の、径子がモガの洋装を手放すが、晴美の服は手放せないシーン。こういう、原作にも描いてあるけれど読み込まなければわからない要素を、ドラマははっきりわかりやすく表現しています。
だからこの櫛も同様に、原作のすずの髪を巡る演出をわかりやすくするために使われたら良かったのに、と私は残念に思っていました。
あとは節子が佳代(榮倉奈々)にどうやって櫛を渡すかですが、もともとすずの嫁入り道具ですから、節子の結婚で節子に渡され、佳代の結婚で佳代に渡されるで良かったんじゃないかと自分は単純に考えていました。
ご存知の人も多いでしょうが、こうの先生の他の代表作『夕凪の街 桜の国』の2007年の映画では、髪留めが重要なアイテムとして登場します。ネタバレで恐縮ですが、この髪留めは持ち主の死によって、次の持ち主、次の世代に引き継がれるんです。
なら『この世界の片隅に』では、櫛が結婚で引き継がれるのも対照的でいいかなと。
しかしこの点については、こういう型にはまったものより、皆さんのアイディアの方がずっと面白くて、聞いてみて良かったと思いました。 >>637
ありがとうございます。こちらもChMateのこのスレのDATファイルをいったん削除したら正常に戻りました。 さて、皆さんの回答が面白かったので、調子に乗って別の質問をしてみます。
終戦の時に天から降りてくる右手、皆さんならどうしましたか?
このドラマの右手は、終戦にだけ出てきて後は何もしないという、原作を読んだ人にも読まない人にも意味不明の存在なので、ほとんどの人は 怒るか当惑するか見飛ばしたかだと思います。私は怒りました。
しかし、じゃあどうしたらいいかを考えると、私は何も思いつかないんです。原作は実験的すぎてそのままでは映像化不能ですし。
映画は原作の「しあはせの手紙」を歌で、「りんどうの秘密」をエンディングで表現しました。見事な方法だったと思いますが、これでもやはり分かりにくいですし、実写ドラマでこれをやるのは無理でしょう。
いろいろ考えると、今回のドラマの「とりあえず終戦時にだけ右手を出して、わからない点は原作を読んでもらおう」と割り切った姿勢もアリなのかなーとすら思えてきます。
ところで私は未見なんですが、2011年の日テレのドラマはどうやったんでしょうか? 166 名無しさん@恐縮です sage 2018/10/23(火) 14:41:58.46 ID:o/SG1tPI0
まあ俺がレプロの社長なら、干したはずの能年を起用して人気を出してしまったアニメ映画を絶対に許さないな
能年が和解したいと言ったら、その条件として「この世界の片隅に」の続編を辞退させるのは絶対だ > 映画は原作の「しあはせの手紙」を歌で、「りんどうの秘密」をエンディングで表現しました。見事な方法だったと思いますが、これでもやはり分かりにくいですし、実写ドラマでこれをやるのは無理でしょ
見事か?右手と関係あんの? >>641
自分の中では、原作はすずの右手だけど、
ドラマ版は右手描写を無くす事で
あれはすずの右手であり、
りんさんの手であり(りんさんの死亡描写はまだなんだけど)、
晴美さんの右手(と言う描写の伏線で、墨で塗ってあげるカットした代わりに、すずさんのハゲ、なーおれ♪とすずの頭を撫でるシーンがあれば完璧)
要一兄上さまの右手…
という複合的な描写と捉えているので
(結果神々しいので阿弥陀様っぽくみえる)
それらの複数の手が降りて来るのを重ねるようにして
(CG的に透過レイヤーを重ねるような)
最終的にくっきりとした右手(絵的には、周作の)を載せたカット割で
見あげたら周作さんが立っていて
(でも手は出していない、つっ立った構図で)
すっと腰を落として改めて頭を撫でる
という画描き方なら
みんなの手かと思ったら周作さんだった???でも…??みたいな、完全ファンタジー描写じゃなくなってドラマ版の雰囲気に馴染むかなと
日テレのは全くそこは記憶にないから、右手描写まるっとカットだったかも。あぜ道に突っ伏して泣くという、呉の灰ヶ峰のふもと感の無い物でしたw 文盲バカは別スレでオッペケザボーガとよろしくやってろよ > 原作を読んだ人にも読まない人にも意味不明の存在なので、ほとんどの人は 怒るか当惑するか見飛ばしたかだと思います。私は怒りました。
こいついっつも怒ってんな >>646
なるほど、それは素晴らしいですね!
自分はこのドラマでは、右手は完全にカットするしかないかと考えていました。ファンタジー要素をなくした今回のドラマでは、違和感がありすぎるからです。
原作の右手は、すずの失われた右手が霊的に復活した存在と思われますが、戦争ですずの失ったすべてのものを象徴する存在でもあり、大きく分けて3つの役割を持っていると思います。
(1) 敗戦に絶望したすずをなぐさめる
(2) すずの想像力の化身として作中の人物を救済
(3) 作者自身の分身(特に最終話)
このドラマでは(1)に特化させたわけですが、この役割だけならドラマの周作にも務まるんです。ならカットしてしまおうかと。
しかしカットしてしまうと、ドラマで初めて作品に触れた人には、原作の右手の生み出す豊穣な世界への導線が無くなってしまうわけで…。
ドラマの右手を、戦争で失ったものすべてを象徴する すずの空想とし、そして現実の周作に重ね合わせるというアイディアは、この問題を綺麗に解決してくれると思います。
スレの荒れがちな話題でしたが、いやー質問してみて本当に良かったです。 右手を減らされて怒るやつがリンを減らされて怒らない件w >>649
> しかしカットしてしまうと、ドラマで初めて作品に触れた人には、原作の右手の生み出す豊穣な世界への導線が無くなってしまうわけで…。
原作の右手の生み出す豊穣な世界自体が、ドラマでは描かれていませんよね
なので導線自体不要と思われます
当初のあなたの考えのように、完全カットが正解だったと思いますよ
人さらいのバケモンやワニのお嫁さんと同様に、ね >>651
何かのシンボリックなもの、漫画の記号性を最高に生かしたものは実写だと寓意を読み取ってもらえないね、往々にして あれでずっとすずが絵を描いてる事を実写でも事あるごとに描写してれば
鉛筆画の素描の右手がアニメーションでフッと撫でてくれたりすると良かったんだろうけどね
ま、あんまりちゃんと絵を描かない松本すずにそれやっても意味が無い ファンタジー要素を一話から徹底的に排除してたのにあのシーンだけ右手を出したのが
ドラマ版のいきあたりばったりな雑さの象徴だと思うよ
何であそこでいきなり右手出してきたのか今でも分からん...
あのドラマなら周作に撫でさせりゃ良かったんじゃねえの? 人がヒトだったころから手を使って生きてきたわけで、手を撮ることで何を伝えるか
手を使うことで歴史は成り立ってきた、営々と営まれてきた生活、人生というか
実写では右手のアップを伏線のようにちりばめるのだろうけど >>641
> ところで私は未見なんですが、2011年の日テレのドラマはどうやったんでしょうか?
日テレ版は、蜻蛉も太極旗も右手もカボチャの花も無し
径子が隠れて泣く描写も無し
「知らずに死にたかった。正義ではなく、暴力で抑えていたので暴力に屈する」
という台詞は、すずが激昂して出て行ったあと、残された円太郎(周作以外の家族全員と
近所の人たちが北條家で玉音放送を聞いていた)が発する
すずは水田の畦道で、左手より長い右手((多分、指を伸ばした上を包帯で巻いている)
を地面にたたきつけ、
「晴美さんを返して、リンさんを返して、哲さんを返して(哲は、青葉が撃沈されて海に沈んだ)」
「周作さん、何でここにおらんの」
と叫ぶ
遠景に切り替わってカット
といった感じです >>641
冒頭の人攫いは、周作と一緒に荷車で運んでもらったのを、すずが幼かったため混乱して記憶しているという解釈でした ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています