新応援歌を作ることになった。
カネがないので歌詞は学内募集に決まった。
高等師範部国漢科本科(文学部)3年住治男(東京府立四中)の
「紺碧の空」が当選(文学部講師西条八十選)。
住は母一人子ひとり。
<家に入れば除夜の灯火母ひとり>とよんでいるが、
からだが弱く、投げ打ち、走る、友だちが好きだった。
卒業、岩波書店に就職したが胸を病み、
昭和13年に療養所で逝く。

作曲を頼むのにはカネがいる。
会計係、のちに拍手の名リーダーになる伊藤戊(安積中)が
「心配ないよ。古関勇治(本名)という男が東京に来ている。
きっと引き受けてくれる」。
世田谷の家に頼みに行った。

同行した新応援団の男たちは後年
「古関さんの家の玄関にハーモニカがあった」
「いやオルガンだった」と回想しているが、
そうだったとしたら、ハーモニカではなかったかと思える。

全文
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/1817259/