そうした“アゲインストの風”を十分に感じられてか、佳子さまが学生時代に通われていた都下のダンススクールの発表会が先日行われたのだが、そこにご本人のお姿はなかった。

「コロナ終息のめどが立たず、皇族方もご活動が制限されている折、さすがに今回はお出ましを控えられたのかもしれません。それでも今なお、SNSを中心とした秋篠宮家への批判は止んでいないのが現状です」(同)

 今年5月には医療従事者に手作りガウンを贈るべく、ご一家総出で作業に取り組まれたにもかかわらず、

〈パフォーマンスにしか見えません〉

 などと書き込まれ、また今月1日、ご夫妻が文化庁芸術祭を鑑賞されると、

〈それよりも全身全霊で娘さんを説得してください〉

〈本当にこの宮家に皇統が移ってしまうのでしょうか〉

 そう評されてしまった。同じ頃、本誌(「週刊新潮」)は佳子さまが手話の大会でお言葉を述べられ、その模様がユーチューブで配信されたことで、ネットに批判が相次いだと報じた。その後にウェブ版で記事を掲載したところ、

〈比べるのは失礼だと思うが、帝王学を学ばれた陛下と自由奔放な次男坊の差がだんだん出てきていると思います〉

〈これだけ国民から批判を浴びる皇族はかつてあったでしょうか?〉

 などと、たちまち「再炎上」してしまったのだ。

 とりわけ深刻なのは「小室問題」の火種が延焼して「佳子さま批判」を招き、ついには「秋篠宮家を天皇家にしてよいのか」といった、畏れを知らぬ非難にまで発展したことである。

「宮内庁」も打つ手なし
 言うまでもなく皇室は広く国民から敬い親しまれ、「お手本」とされてきた方々である。皇統を受け継ぐご一家とこうした世評とは本来、決して相容れないはずなのだが、先のジャーナリストは、