『暮しの手帖』編集代表であった大橋鎮子は、山口の餓死に衝撃を受けたために、自分の家で取れた卵を40〜50個集めた上で持参して、最高裁判所の当時最高裁長官だった三淵忠彦に手渡した。その卵は病気で休んでいた裁判官たちに配られて、裁判官たちの命を救ったという[41]。wiki