>>845

映画サークルに入ってはいたけど、そもそも評論なんて書く人間まあおらんかったから、キネマ旬報の評論とかを読んで、コレではダメと思ったということ。

てか、観たありのままを文章にできているってすごいぞ。

たとえば写真という技術がありながら、絵画とかデザインとか新聞とか芸術とかがどうしてなくならないかというと、
ありのままを簡潔に説明したいという人々の欲求があり、簡潔に知りたいという欲求があるからや。


だから、私の文章は見たままを書いているだけ、「幼稚園児が昨日見たポケモンの感想」 、というのは、褒め言葉でしかない。

中核派「前進」なんて、「幼稚園児が昨日見たポケモンの感想」 とさえも批判されてないよなあ。

とにかく、批判されるというのは、それだけ注目を浴びる文章ということや。


フツーは、音祇さんみたいに、感想をもらえないから、感想を欲しいと言うてまうんやけど、
私の場合は、いくら否定的なモノ(工作)であっても感想がわんさか来るんやから、影響力絶大やねん。