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「徳家」と捕鯨の歩み
https://www.sankei.com/images/news/190522/lif1905220020-p4.jpg
あのクジラ料理の老舗「徳家」が閉店へ
https://www.sankei.com/life/news/190522/lif1905220020-n1.html
「時代の区切り。店も一定の役割を終えた」 クジラ料理の老舗「徳家」が閉店へ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190522-00000524-san-soci

「クジラのおかげでいろんな人に会えた」と話す徳家の女将、大西睦子さん=大阪市中央区(柿平博文撮影)
創業の地で一時「相合橋店」として営業していた徳家の外観(平成3年ごろ)=徳家提供

2019.5.22 12:21
クジラ料理の名店として親しまれてきた大阪・千日前の「徳家(とくや)」が25日の営業をもって閉店し、52年の歴史に幕を下ろす。
店を切り盛りしてきた女将の大西睦子さん(76)は、鯨食文化の魅力を伝えるとともに、捕鯨の重要性を国内外で訴えてきた。だが後継者がおらず、体の自由がきくうちに店を整理することにしたという。
念願だった商業捕鯨の再開が7月に迫る中、「時代の区切り。店も一定の役割を終えた」と考えている。
(小泉一敏)
壁に飾られたクジラのヒゲ。
カウンターには和歌山県太地町で行われてきた勇壮な古式捕鯨のタイル絵。
約80席ある店内のあちこちに、「鯨」と大書したメニューが置かれている。
クジラにまつわる品々に、大西さんの思いがあふれる。
昭和18年生まれの大西さんにとって、子供時代のクジラの思い出といえば、学校給食だった。
日本が戦後の復興へとひた走っていた頃の貴重な栄養源で、週4回はメニューに出てきたが、「硬くて、においも強くてね」と振り返る。
かつて母が営んでいた料理店を再興させたいと、夫の実家が黒門市場にある鮮魚店だったこともあり、生まれ育った大阪・ミナミにフグ料理の専門店を開きたいと考えた。
だが、ライバル店は多く、目新しさがない。
そこで母のアドバイスをもとに選んだのが、主に家庭料理として食べられていた鯨肉だった。
42年、相合橋筋にクジラ料理専門店「徳家」を開店した。
食通をうならせようと試行錯誤を重ねて看板メニューにしたのが、水菜を入れる「ハリハリ鍋」。
ご飯のおかずとして甘辛い味付けが一般的だったのを、お酒のアテになるよう薄味の特製スープを作り、高級部位の「尾の身」を使った。
「尾の身だけはケチったらあかん」と母に教えられたという。
順調に営業が続くと考えていたのが、57年に状況が一変した。
国際捕鯨委員会(IWC)が捕鯨の一時中止(モラトリアム)を採択したのだ。
流通する鯨肉は激減し、1人前400円で始めたハリハリ鍋も値上げを余儀なくされた。
思うように鯨肉を仕入れることが困難になるにつれ、クジラ自体が捕れなくなるのではないかという不安が募り、情報収集のため日本捕鯨協会(東京)を訪ねた。
「捕鯨を守るために多くの方々が尽力している姿を見て、『私も自分ができることをしっかりやらないと』と思った」
以来約30年間にわたり、店の営業の合間を縫って、国内外のイベントに出かけた。
IWC総会にオブザーバー参加したのはざっと15回を数え、現地でクジラ料理を提供したり、反捕鯨の活動家と率直に意見を交わしたりしてきたという。
日本の商業捕鯨は63年に全面停止され、調査捕鯨だけになった。
部位によってはほとんど鯨肉を入手できなくなった。
それでも、クジラ以外の料理を出すことは考えなかった。
「クジラを捕ったり、食べたりすることに何もやましいところがないという信念があった。だからこそ、看板を下ろすわけにはいかなかった」
悲願だった商業捕鯨の再開は、昨年12月に日本がIWCからの脱退を通告したことで、今年7月に実現することになった。
「これからは、家庭やいろいろな飲食店でクジラ料理が提供される機会が増えることを期待する。徳家がなくなっても、多くの人がクジラを食べてくれれば、それでええんです」
営業最終日の25日は予約でほぼ満席。
常連客に惜しまれながら看板を下ろすことになる。
「クジラのおかげでいろんな人に会えたし、何度も国際会議に行けた。充実した人生でした」。
大西さんに、悔いはない。