当時を知る人は知っていると思うが、一番重要な事それは、田中角栄総理大臣は、逮捕後党外にでた後も木曜クラブの
実質のオーナーで権力を握ってたということです。首相退任後やロッキード事件による逮捕(1976年7月)後も田中派を
通じて政局に対する影響力を保ち続け、マスコミは「(目白の)闇将軍」の異名を名付けた

1985年創政会の結成などがありましたが、当時の政治的な立場はまだまだ竹下、金丸の及ぶところではありませんでした。
政治的失脚は創政会の結成によるストレスでの深酒で脳梗塞で倒れてからです。

田中内閣は、昭和47年(1972年)7月6日 - 第1次田中内閣が成立から、昭和49年(1979)12月9日 内閣総辞職までですが、
その後も田中角栄は闇将軍と言われたように、また中曽根内閣(1982〜1987)が田中曽根内閣と言われたように隠然と存在しました。

田中角栄の失脚は創政会結成の昭和60年(1985)です。
総理失脚などというものは角さんにとっては大したことではなく、
創世会結成は人間・角さんにとって飼い犬にかまれることで、
それによって脳梗塞を発症して、政治的に失脚してしまったのです。

結局ロッキード事件が田中角栄を失脚に陥れたのです。>>142.>>147