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日本の没落の元凶は田中角栄にある
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0001世界@名無史さん
垢版 |
2010/09/30(木) 12:32:380
土建屋の厨獄進出という目先の利益に囚われた
売国国交正常化が全ての元凶だったのだ。

実際、日本の土建屋なんか厨獄に進出できなかったしwwww
0595世界@名無史さん
垢版 |
2014/09/15(月) 01:45:42.920
>>570-572
2014/9/14付
(ASEAN半世紀)(2)反日契機に「対等」うたう 福田ドクトリン誕生 経済で「真空」埋める
http://www.nikkei.com/article/DGKDZO77073710T10C14A9TY8000
http://www.nikkei.com/content/pic/20140914/96959996889DE5E5E2E5E1E5E3E2E3E1E2EBE0E2E3E6868BEAE2E2E2-DSKDZO7707372013092014TY8000-PB1-6.jpg
 1974年1月、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟する5カ国を歴訪した首相の田中角栄は、
タイとインドネシアで激しい反日デモに遭った。
 
 日本不信が噴出

 「田中よ、われわれを円で支配しようとするな」「黒い商人の田中は帰れ」
 特にインドネシアの首都ジャカルタでは、暴徒と化したデモ隊が日本車や日系企業のビルを焼き打ちし、
街は騒乱状態になった。田中は滞在中の3日間、迎賓館のある独立宮殿の構内から一歩も外に出られず、
最後はヘリコプターで脱出せざるを得なかった。
 インドネシアのデモは当時の大統領、スハルトを追い落とそうとする勢力が仕掛けた権力闘争の側面もあり、
ひとえに反日感情のせいにはできない。それでも、日本政府の受けた衝撃は大きかった。
 外務省が田中の帰国直後にまとめた内部文書は、反日デモの背景を次のように分析している。
 「対日批判の内容はわが国のインドネシアにおける経済進出、経済協力のあり方、および日本人の経済活動
を含むビヘイビアー(態度)であるといえる」…
0596595
垢版 |
2014/09/15(月) 01:46:39.500
 77年に入って、ASEANは8月にマレーシアのクアラルンプールで開く創立10周年記念の首脳会議に日本の
首相、福田赳夫を招きたいと表明する。…

 「軍事大国」捨てる

 「最終訪問地マニラにおいて『わが国の東南アジア政策』についての主要な柱を盛り込んだ福田ドクトリンともいう
べきスピーチを行う」。外務省がこう明記したメモをつくったのは、福田歴訪の準備が大詰めを迎えた7月初めだった。
 メモには南東アジア2課長だった元中国大使、谷野作太郎のサインが残る。アジア局参事官の枝村はメモを
基に「心と心のふれあう関係の構築」など4原則からなる福田ドクトリンの原案をまとめた。
 枝村が初稿を書き上げると、ほどなくして首相官邸から「軍事大国にならないとの決意を盛り込むように」という
福田の指示が届く。枝村はこれをドクトリンの第1原則に据えた。…

 福田ドクトリンをきっかけに、ASEANは日本の支援を全面的に受け入れるようになる。77年に約2億7千万ドル
だった日本からASEANに向けた政府開発援助(ODA)の純支出額は、92年に約30億ドルと10倍以上に膨らんだ。…
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