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日露戦争で負傷、バルチック艦隊司令長官 世論に追い込まれ退役
産経新聞 1月27日(金)7時55分配信

■電文で判明 皇帝、革命機運に配慮
日露戦争の日本海海戦で大敗したバルチック艦隊のロジェストウェンスキー司令長官が、
ロシア皇帝から手厚い労(ねぎら)いを受けて復権を期待したものの、
下僚や新聞の厳しい批判で退役に追い込まれていたことが、当時の電文などでわかった。
軍法会議で無罪判決を受けたことは知られていたが、処遇をめぐる経緯が詳(つまび)らかになったのは初めて。
調査した日露文化センターの川村秀代表は「高級軍人や貴族にはぬるま湯だったロシア専制政治だが、
革命機運が高まってかばいきれなくなった事情がわかり、興味深い」と話している。

バルチック艦隊は1905(明治38)年5月の日本海海戦で、
東郷平八郎が率いる連合艦隊に壊滅的敗北を喫し、この大敗が決定打になって日露戦争は終結した。
艦隊旗艦スワロフで指揮を執っていたロジェストウェンスキーは被弾して負傷。駆逐艦べドーヴィに移乗した後、日本側の捕虜になった。

7月には砕けた骨片を頭から取り除く手術を受け、順調に回復。
ロシア皇帝ニコライ2世からは「貴官と全ての艦隊将兵の、ロシアと予に対する忠誠に心から感謝する」という親電が届いた。
戦わずに降伏した第3太平洋艦隊のネボガトフ司令長官には、報告電文に対する返電もなかった。

これを機に、ロジェストウェンスキーはビリリョフ海相宛てに詳細な艦隊報告を送った。
報告には、それまでの航海日誌の類にしばしば見られる艦船に関する批判が全くなく、
川村代表は「帰国後には自ら海軍改革に参加したいと考えていたのでは」と推測する。
海軍省からは、健康状態と勤務能力に関する問い合わせが来て、
海相からは「再び軍務に戻ってもらえるか」という文面もあった。