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世界史上の遊牧民たち
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0001世界@名無史さん
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2010/12/31(金) 21:23:190
匈奴やスキタイから始まり、柔然、鮮卑、突厥、エフタル、フン、アヴァール、
ハザール、ウイグル、契丹、ブルガール、マジャール、モンゴル、ティムール。
その他、世界史に名を馳せた遊牧民たちの輝かしい歴史を大いに語るスレです。
0793世界@名無史さん
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2015/01/18(日) 11:41:51.54ID:O8nIibdd0
イランで湿潤なのはカスピ海沿岸部だけだよ。
あとはカレーズ頼み。
0794世界@名無史さん
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2015/01/18(日) 14:07:48.200
ロシアだけは東へ(極東、アラスカ)、南へ(バルカン、中央アジア)って
感じだけどな
遊牧民でもなんでもないけど
0795世界@名無史さん
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2015/01/19(月) 12:39:44.310
露助が極東まで出張ってこなかったら、北方領土問題もなかったわけで
ま、歴史にタラレバは無しだがねw
0796世界@名無史さん
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2015/01/21(水) 22:27:38.350
まあね。
日本軍の部隊わずか45名が、シナ軍の8000人を全滅させた話にしたって、
いずれはシナ側から卑怯な戦法だったとかなんとか難癖つけられてさ、
賠償問題になるんじゃないかなあ。
もっともこの時のシナ軍は過半が朝鮮兵だったという説もあり、
だから賠償問題はもっと複雑になるかもしれないけど。

日本人を除くアジア人が近代以降に徹底的な弱者に堕ちたのは、
骨格的に重金属の兵器を扱えなかったというのが大きい。
例えばシナ人や朝鮮人はライフル狙撃の命中率が極端に低いし、マシンガンには腕が振り回される。
戦車や戦闘機や潜水艦に乗るとすぐに錯乱するのも、シナ人や朝鮮人の体質的な弱さである。
そういえばシナや朝鮮の古来からの武器は、日本の女性の長刀より遥かに軽く脆い。

何故日本人だけが、アジア人で例外的に重金属兵器と相性がよいのか、
いずれ解明されるだろう。
0797世界@名無史さん
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2015/01/31(土) 21:02:41.900
視力が半端無いモンゴル系の狙撃兵は独ソ戦で大活躍した
0800世界@名無史さん
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2015/02/02(月) 07:08:39.560
研究代表者森部豊『ソグド人の東方活動の関する基礎的研究』(科学研究費補助金(基盤研究(B))研究成果報告書平成21年度-平成24年度 2013/3)。
ソグド人は突厥化した。
農耕民が商業民を経て遊牧民化したということである。
農耕民は牧畜民をへて遊牧民化するとされるから、珍しい。
0802世界@名無史さん
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2015/02/02(月) 22:01:06.630
都市で罰を受けて、羊番をさせれらるというのもあるみたいだ。
0803世界@名無史さん
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2015/02/02(月) 22:45:33.010
この前のNHK番組で、モンゴル遊牧民の少女が鷹狩りやってたね 
未だに遊牧民っているんだなーと実感
0804世界@名無史さん
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2015/02/16(月) 23:55:40.780
ぶっちゃけ、遊牧民も海洋民ってよく似てるよね
どっちも、イスラム教向き
0805世界@名無史さん
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2015/02/17(火) 01:48:29.790
遊牧民はテングリ信仰が一番しっくりしないか
大昔のモンゴルのような、海を見たことの無い内陸民族では、
抜けるような青い空の綺麗さ、偉大さは想像以上なんだろう
逆に海洋民族や沿岸民族では、海信仰も芽生えるのも至極当然だと思う
0806世界@名無史さん
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2015/02/17(火) 21:55:27.640
でも海の貝が流通していたり、内陸にも巨大な塩湖があったりで、海が想像でないってわけでもないんよ。
0807世界@名無史さん
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2015/02/18(水) 09:41:41.090
まさか2000年後にアラル海が干上がってしまうとは、康居も奄祭もビックリだな
0808世界@名無史さん
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2015/06/12(金) 23:12:59.960
欧州人の祖先が解明された。
・・・today’s Europeans descend from three groups who moved into Europe at different stages of history.

45,000年前に到来した狩猟採集者達、8,000年前に近東から到来した農業者達、
そして、4,500年前に西部ロシアから到来した遊牧民達。
The first were hunter-gatherers who arrived some 45,000 years ago in Europe.
Then came farmers who arrived from the Near East about 8,000 years ago.

最後の連中が印欧語を持ち込んだ可能性が。
Finally, a group of nomadic sheepherders from western Russia called the Yamnaya arrived
about 4,500 years ago. The authors of the new studies also suggest that the Yamnaya language
may have given rise to many of the languages spoken in Europe today.・・・

最後の連中の到来は基本的に平和裏に行われた。
・・・the expansion of Yamnaya into Europe was relatively peaceful.・・・
0809世界@名無史さん
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2015/06/12(金) 23:15:01.540
ほぼ同時期に、最後の連中はシベリアにも移住している。
・・・the Yamnaya didn’t just expand west into Europe, however. The scientists examined DNA
from 4,700-year-old skeletons from a Siberian culture called the Afanasievo. It turns out that
they inherited Yamnaya DNA, too.・・・

このことが、1,200年前に西部支那に印欧語族たるトカラ族がいたことの背景にあるのでは?
The eastward expansion of Yamnaya, evident in the genetic findings, also supports the theory・・・.
Linguists have long puzzled over an Indo-European language once spoken in western China
called Tocharian. It is only known from 1,200-year-old manuscripts discovered in ancient
desert towns. It is possible that Tocharian was a vestige of the eastern spread of the Yamnaya.・・・

印欧語は既に二番目の連中が欧州に持ち込んだのではないか、とする説もある。
There is <a> speculat<ion> instead that early European farmers, the second wave of
immigrants, may have brought Indo-European to Europe from the Near East. Then, thousands
of years later, the Yamnaya brought the language again to Central Europe.・・・
http://www.nytimes.com/2015/06/16/science/dna-deciphers-roots-of-modern-europeans.html
0810世界@名無史さん
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2015/06/12(金) 23:16:09.050
なんか 嘘くさい

遊牧民といっても馬を操れるようになったのは2000年前ぐらい。
純粋な羊飼い牛飼いだった時の機動力は低い。
0812世界@名無史さん
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2015/06/14(日) 00:50:01.920
>>810
いや、遅くとも紀元前9世紀くらいには騎乗されていたことは
黒海北岸の遺跡から確認されている。
0813世界@名無史さん
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2015/06/14(日) 08:02:43.760
>>811
最近は犬戎がスキタイ系だった?説すら浮上してるようだ。
そうなると中原のすぐ北西まで西方系が居たってことになる。
wikiには
When King You demoted and exiled his Jiang queen in favor of the beautiful but common Bao Si,
the disgraced queen's father the Marquis of Shen joined with Zeng and the Quanrong barbarians to sack Hao in 771 BC.

Modern scholars have surmised that the sack of Haojing might have been connected
to a Scythian raid from the Altai before their westward expansion.
0814世界@名無史さん
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2015/06/14(日) 20:34:43.770
ウイグル人のDNAなどには高い割合でR1a、R1bが混じっている。
漢の時代ぐらいまでは、コーカソイドが漢民族の至近距離に居たのだろう。
0816世界@名無史さん
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2015/06/14(日) 22:46:50.570
>ウイグル人のDNAなどには高い割合でR1a、R1bが混じっている。
>漢の時代ぐらいまでは、コーカソイドが漢民族の至近距離に居たのだろう。
というかイラン系民族がウイグルにいるのは別段特筆するほどのことでもなく、
時代を問わず一貫して存在していた
0817世界@名無史さん
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2015/06/14(日) 22:55:08.010
唐や五代十国の時代にいた粟特(ソグド)はイラン・タジク系言語である。
南新疆にエイヌ(艾努)語が存在するから痕跡はある。
0819世界@名無史さん
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2015/06/15(月) 10:43:30.650
ちょっと白人顔すぎないか。
0823世界@名無史さん
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2015/06/16(火) 21:46:54.770
カッコよく描こうとしたら自然とコーカソイド顔になっちゃうのは仕方ない
0825世界@名無史さん
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2015/06/19(金) 09:07:48.250
英雄のイメージを投影しすぎだな
坂田利夫みたいな顔だったかもしれないじゃないかw
0827世界@名無史さん
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2015/06/20(土) 09:39:19.000
歴史書で遊牧民と牧畜民が混同されている。
例えば、スキタイ人は遊牧民、インドアーリア人は牧畜民。
0831世界@名無史さん
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2015/06/21(日) 16:36:46.940
>>828
定着度の差じゃないかな。
0832世界@名無史さん
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2015/06/23(火) 23:05:36.190
比較的定住性が強いのが牧畜民
遊動性が強く行動半径が大きいのが遊牧民。
(アフリカのマサイ族なども徒歩だが遊牧民)
さらに騎乗して機動力がずば抜けているのが騎馬民族
0833世界@名無史さん
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2015/06/24(水) 20:01:49.120
ゲルマン民族は牧畜民
モンゴル人は普段は遊牧民、チンギスハーンの時は騎馬民族

こんな感じか。
0834世界@名無史さん
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2015/07/01(水) 20:54:24.520
鐙が発明される前後じゃ騎馬民族の強さも桁違いだと思うんだけど
どうなんだ?あ?
ヨーロッパだとアヴァールは鐙使ってたけど
それ以前のフンやマジャールは使ってなかったってことだよな?お?
0836世界@名無史さん
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2015/07/02(木) 21:45:10.870
まあ細かい事気にすんなや同志よ
一体前後じゃどうなっていると聞いているンダッ!!!!
0837世界@名無史さん
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2015/07/02(木) 23:08:57.370
イーブン・ホーマー・サムタイム・ノッズってことわざだってあるじゃないかw
0838世界@名無史さん
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2015/07/03(金) 09:22:30.560
>>836
フンは使っていたんじゃないかな。
0840世界@名無史さん
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2015/07/03(金) 12:41:58.360
じゃあアヴァールがヨーロッパに初めて鐙を持ち込んだって嘘なのかい?
0842世界@名無史さん
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2015/07/03(金) 18:00:43.380
緒戦で大敗したのもゴート族だけど最後に勝利したのもゴート族
カタラウヌムで西ゴート族の奮戦でアッティラ軍が退却
アッティラの死後ゲピド族と東ゴート族らがフン族を倒した
0844世界@名無史さん
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2015/07/12(日) 00:11:51.460
いや、モンゴル以前のスキタイや匈奴、フンなどもオリエントや中華、西欧の歴史に大きく影響したし。
0845世界@名無史さん
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2015/07/12(日) 00:14:32.800
フン族を倒したっつってもドニエプル河畔や黒海北岸はアヴァールやブルガールの支配下にあって、
ゴートが戻れるような状態には無く、ゲピードなんかアヴァールに殲滅されている。
0846世界@名無史さん
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2015/07/20(月) 14:58:17.270
アヴァールがパンノニアにやって来た時に
東ゴートは既に東ローマに滅ぼされていた
東ゴートが健在ならばゲピードは同盟した
だろうからアヴァールは勝てなかったはず
西ゲルマンのランゴバルトと同盟したので
アヴァールはゲピードに勝てた
0848世界@名無史さん
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2015/08/03(月) 19:29:35.320
アッティラが死んだからって東ゴートがドニエプル河畔や黒海北岸に復帰出来たわけではない。
ビザンチウムを包囲するなど東ローマに脅威を与えたアヴァールやブルガールに
各地を転々として軍勢も劣る東ゴートやゲピードが歯が立つとは思えない。
特にブルガールはスラヴ人も動員して10万と号した軍勢でビザンチウムを包囲している。
0849世界@名無史さん
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2015/08/05(水) 04:43:34.260
ブルガールもハザールから黒海北岸を奪い返す事が出来なかったから
東ゴートと似たようなもの
東ゴートはイタリア、ブルガールもバルカンでともに農耕世界の国で
もはや草原に戻る事はなかった
0850世界@名無史さん
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2015/08/05(水) 21:39:09.770
ビザンチウムをブルガール軍が包囲してたときにハザールが背後から空き巣に入っただけだろ。
0853世界@名無史さん
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2015/11/20(金) 01:50:15.030
パンノニアに入り込んだアヴァールなどのように定住農耕生活に以降する遊牧民も居れば
モンゴルでずっと遊牧を好んだモンゴル人ような存在もいるし
いい土地見つけたって言って定住する連中とそうでない連中の差ってなんだろうな
0856世界@名無史さん
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2016/06/01(水) 22:21:52.790
人類史における紛争の大部分は、農民等定着的な人々と
遊牧民等非定着的な人々の間のものだった、という説があるんだね。
・・・The philosophical novelist and essayist Michel Tournier, who died in January,
believed that nearly all human conflicts could be traced to the tensions between rootless
and rooted peoples. He offers many examples in an essay called “Nomad and Sedentary”
in his book “The Mirror of Ideas”: the fratricide in Genesis involving the sedentary farmer
Cain’s murder of his nomadic brother Abel, a shepherd; the invention of barbed wire in
America in the 1800s, which marked the sedentarization of pioneers and bloodshed over
the rightful ownership of land; the conflicts between the nomadic Tuareg and the settled
Saharan peoples; and the Nazis’ demonization of the Jews, imagined as rootless and
thus unrighteous transients.・・・
http://www.nytimes.com/2016/05/30/opinion/clinging-to-our-roots.html
0858世界@名無史さん
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2016/06/04(土) 09:56:12.880
>>857
それならモンゴル人も定住農耕生活に移行するはずなんだわ

でも遊牧を好んで農耕民を支配して収穫物を搾取するだけで農耕生活しないんだよ
0859世界@名無史さん
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2016/09/04(日) 23:10:50.350
日本にも騎馬民族征服王朝説なんてもんが過去にあったな

日本の異民族としては、アイヌが本州にもいてマタギの祖先説もあるし
狩猟技術に長け、人食いオオカミ退治の依頼など特別待遇だった
……
  本州アイヌと蝦夷錦にみる海峡往来
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1905.pdf

 > クマやオオカミ、特にオオカミは和人が獲るのは難しか. ったようです。
 > そこで、クマ退治、オオカミ退治をする. 時には、
 > アイヌの人たちを動員してクマ狩り、オオカミ. 狩りをしました。
……
  津軽アイヌの狩猟 江戸時代の藩日記から
http://www.frpac.or.jp/application/files/28seminar_yamagata.pdf

 > 江戸時代の津軽半島にはアイヌが住み、人喰い熊や人喰い狼が現れると
 > 津軽藩(弘前藩)の. 依頼を受けて駆除をしていました。
……
もちろんアイヌは狩猟採集民で遊牧民では無いが
蝦夷が騎馬戦闘に熟達していたのは、また影響を与えた民族が別にいたのか?
0861世界@名無史さん
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2016/09/05(月) 02:03:04.480
オランダ領時代のケープ植民地において奥地を転々とした
トレックボーアは・・・・・・・違うよな。
0862世界@名無史さん
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2016/09/05(月) 12:54:19.320
>>858
モンゴルなどの遊牧民は暑さに弱いってよく書かれてるけどそれは嘘だろ?
アラビア半島やマグレブのような暑い乾燥地帯にも遊牧民いるのに
0863世界@名無史さん
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2016/09/17(土) 11:21:05.020
質問なんですけど遊牧民ってなんで馬を飼ってるんですか?
羊を飼うのは生活のために分かるのですが馬って戦争以外の何に使えるんでしょうか
犬がいなかったから羊の追い込みのために馬を使ってたのですか?
0864世界@名無史さん
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2016/09/17(土) 22:20:18.680
馬を飼わない遊牧民は結構います。
歴史書に残っている民族でも多数いる。
牛に騎乗するなんてこともやっていた。

アジアで馬がメジャーになるのは匈奴あたり。
0865世界@名無史さん
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2016/09/18(日) 03:17:57.150
アラブだと、ラクダもいる
移動、運搬、騎馬でなく騎ラクダで戦争

象も戦争に動員されるが象遊牧もいるのかな、えさ代が出ないからいないか
0866世界@名無史さん
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2016/09/20(火) 21:40:30.270
>>862
リビアの故カダフィ大佐は遊牧民の出自に誇りを持ってた
テントで寝泊まりすることも多かったという
0867世界@名無史さん
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2016/11/16(水) 05:42:43.350
>>776
中東やチベットみたいに、貿易文化があまり育たなかったのも不思議だよな。土地が広すぎたのもあるのかもしれんけど、部族間の繋がりや線引きが曖昧になってるし。だからこそロシア人と同化も早く進んだんだろうが。
0869世界@名無史さん
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2016/11/18(金) 18:46:49.040
俺もなるわ遊牧民に
0871世界@名無史さん
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2017/03/15(水) 19:15:49.520
>>868
民族に優劣はある
0872世界@名無史さん
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2017/03/19(日) 09:28:26.200
>>862
いやモンゴル系は暑さに弱い

同じ遊牧民でも遊牧騎馬民とそうでない遊牧民はかなり生活形態も違うし
清朝ではモンゴル人が江南行くとすぐ暑さと気候で病気になることから
北京より南にモンゴル人が行く事は基本禁止だった
0873世界@名無史さん
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2017/03/21(火) 13:53:28.390
>>862
ササン朝を滅ぼしたアラブ兵は騎兵率低かったろ?
遊牧民でも暑い地域は騎兵率が低い気がする
0874世界@名無史さん
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2017/03/21(火) 13:56:55.760
人口密度が低くないと騎兵は維持できないよ
0875世界@名無史さん
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2017/03/23(木) 04:15:55.950
トルコ人やブルガリア人にはアジア人特有の下戸の遺伝子を誰一人持たないらしいけど
アジアからやってきたんじゃなかったのか?
ハンガリーでさえ1%未満だけど遺伝子の保有者がいるというのに
0877世界@名無史さん
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2017/05/24(水) 11:44:42.150
>>875
アジアといっても場所が違うよ
下戸遺伝子は東アジア特有のものだからね
0878世界@名無史さん
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2017/05/24(水) 13:40:58.170
大陸内部だと保存食でもある乳発酵食品を食べるから、アルコールに強くなる
発酵するとアルコールが出来る
海岸部は食べないから対応遺伝子を持たない、みたいなことなのでしょうか

しかしブルガリアは大陸内部から来たので違うか、カスピ海、黒海の魚を食べていた?
0880世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/02(日) 00:16:47.350
トルコ人はルム、ブルガールはスラブに飲まれちゃったからね
満州族にしてもそうだけど遊牧民牧畜狩猟民は圧倒的多数の農耕民を支配した場合はそれに飲まれる運命なのよ
0882世界@名無史さん
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2017/07/02(日) 07:48:42.160
>>881
南詔や大理は、チベット系遊牧民政権だよ。
明清代の麗江土司木氏も、チベット系遊牧民だ。

曲陀関にはモンゴル語を使っていた土司もいたけど、
現在ではそこの住民は現地人と見分けがつかない。
0883世界@名無史さん
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2017/07/15(土) 14:40:04.650
ブルガール人は当時のブルガリア人口の5%以下だったらしいね
だから現ブルガリア人の体質はブルガール人とのそれとは
だいぶかけ離れているとみてよいだろうね
0884世界@名無史さん
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2017/08/20(日) 12:19:01.560
遊牧国家 ゆうぼくこっか  ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。

・遊牧民の慣習である、領地領民の分割相続により、君主の弱体化や内乱を招く
・征服した各地の文化に染まり、モノを持たない遊牧民文化が薄れる
・たいてい「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 となって各国が叛乱する

各地の叛乱どころかクーデターも誘発する短命体制
0887世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 00:20:38.550
砂漠化して遊牧人口自体が増えてないからな。
緑化してもトゲトゲのあるマメ科が勝ち抜くから牧草増えないし。
0888世界@名無史さん
垢版 |
2018/01/30(火) 12:26:20.050
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

GGTWY
0889世界@名無史さん
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2018/02/04(日) 19:04:46.960
中国はなぜ歴史上ながく遊牧を征伐し、征服させることができず、逆になぜしばしば少数に容易に征服されたのかは力が来的な答えがある

そもそも中国は歴史上大規模な北伐は行ってない。中国史における大規模北伐は過去2回であり
一度は南普(東普)の洛陽奪還北伐
そして二度目は明の北京奪還北伐である

そして中国はそれより遠く、満州、モンゴルへの北伐は歴史上も一度も行っていない。
始皇帝や武漢の北伐は北伐というほどの大事業ですらない

その答えは兵糧である。
中国が北伐を行うには消耗も想定して北伐軍5万、補充その他人足の10万が必要だ
そして期間は征伐に1年、制定と農地駐屯地確立に5-10年かかる

つまり動員数は10万でも必要な兵糧は軽く50万は必要で、首都などから1000km北進して北京に、北京から1000km北上するには、途中の中継地の整備と中継備蓄が必要だ
この開拓整備に100万の食料がいる

北伐は動員兵力で10万は必要で事業整備は100-200万の食料が必須だ。しかしその食料は金銭的な価値でいうと政府の在出を超過する。
よって大規模北伐はたかだか数百km前進した洛陽奪還(敵は自爆)
明の北京せんとの二回しかできなかった

そしてこれも誤解されがちだが、中国は実は華北、華中の大規模開拓を行ったのは歴史に新しい
歴史上は曹操の時代にやっと北京までのルートと中継農地を開拓して、明、清でやっと華北の領土化と開拓が行われた

よってそれ以前の歴史華中、華北は人口100-200万の辺境に過ぎなかった
このため北京で戦うには大兵糧が不可欠で、そこから満州までに数百万人分、そこからモンゴルまで数百万の食料が必要だったため
中国は歴史上積極的に満州ーモンゴルへの北伐をおこなえていない。実はその手段が確立されたのは
19-20世紀に鉄道がしこうされてからなのである

よって清の時代ですらモンゴル本国はてつかずで歴史上いかなる敵も征服できない聖域であり
このため中華系人も日本の満州開拓をするまで大規模な居住圏、生存圏を有さなかった
満州はそれこそ農家がはじまったのは満州国以後であり、よってモンゴルにおいては未だまともに農家すらされてないのである
0890世界@名無史さん
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2018/02/04(日) 19:14:18.590
ここにモンゴル遊牧の無敵性がそんざいして、モンゴル社会は歴史上ロシア帝国、ソ連の侵略をうけるまえ、大規模襲撃を受けたことはなかった
よって無敵の聖域を1850年頃まで堅持したがため、日本のように外敵支配をうけにくいがため
中華社会で最強の外貴族的地位を維持し、しいていえば敵は同じ社会にいる遊牧民のみで内戦しかしてなかった

それこそモンゴル人は歴史上対ソ連ロシア帝国戦、ノモンハン事件の2つの体外戦争以外、本格的な国境戦を経験していないんである

故に強く横暴にして野蛮で中国を2000年侵略した

そして相対的に中国は10万の動員と数百万の兵糧でしか北伐できないなら
遊牧は少数で侵略し食料が不要であり、中国首都までたった数百が守る関所を5-10個とっぱする
2ヶ月の首都南進では中国は動員間に合わず、首都常備兵はたった1万しかいない
よって常に力学敵に少数制圧が容易だった

そしてかりに首都に常備兵3万をおけば反乱懸念を生む+独裁危惧がうまれる+地方反乱を平定できない
よって中国の首都警備はザルだった

中国は主要人口圏において、十分な守備隊を常備的に持たな

そして明、清において大規模な恒常的な守備隊、国軍を持ち始めたがため、明は独裁といわれ、軍事+万里事業出費は増大して、農業、食料事情はあっかして
飢饉が蔓延して最悪政権の烙印をもらう。これも中国ほごにすぎなかった

またそんななかコスト面で万里事業の採算性は消して悪くなかった。
万里事業と言っても漢王国の時代は常備的に数千から1万、とうで2万、明200年で10万規模の守備隊と建設力を動員した
しかし累計動員数は5000万規模、年次負担たった2万と兵糧5万以下で事業をやった
これが武力に訴えれば一度に2000万の食料を要求して、数百年に一度兵力動員して
それを2000年計食料数億人分を動員して中国を守れるためコスト合理性はなかった
よって万里事業はコスト合理的だった
0891世界@名無史さん
垢版 |
2018/02/04(日) 19:20:53.550
独裁政権といわれ、対日、対蒙外交で失敗した最悪みんせいけんであったものの
万里事業成功の偉業は大きい

そして万里成功で遊牧侵略を阻止したにもかかわらず、ザナドゥ征伐は不可能だったからモンゴルも大貴族的地位を認め
国軍主力を満州+モンゴル連合軍にしておいた
万里をつくってもやっとそのレベルで均衡をとるのが限界だった

中国において遊牧は2000年の外患でこれは近代文明による軍事侵攻手段
及びロシア中国包囲編の牽制力が確立されるまで、2000年恒久的な外患を解消できず、発展が阻害された
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