世界史上の遊牧民たち
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
匈奴やスキタイから始まり、柔然、鮮卑、突厥、エフタル、フン、アヴァール、
ハザール、ウイグル、契丹、ブルガール、マジャール、モンゴル、ティムール。
その他、世界史に名を馳せた遊牧民たちの輝かしい歴史を大いに語るスレです。 >>862
いやモンゴル系は暑さに弱い
同じ遊牧民でも遊牧騎馬民とそうでない遊牧民はかなり生活形態も違うし
清朝ではモンゴル人が江南行くとすぐ暑さと気候で病気になることから
北京より南にモンゴル人が行く事は基本禁止だった >>862
ササン朝を滅ぼしたアラブ兵は騎兵率低かったろ?
遊牧民でも暑い地域は騎兵率が低い気がする トルコ人やブルガリア人にはアジア人特有の下戸の遺伝子を誰一人持たないらしいけど
アジアからやってきたんじゃなかったのか?
ハンガリーでさえ1%未満だけど遺伝子の保有者がいるというのに >>875
アジアといっても場所が違うよ
下戸遺伝子は東アジア特有のものだからね 大陸内部だと保存食でもある乳発酵食品を食べるから、アルコールに強くなる
発酵するとアルコールが出来る
海岸部は食べないから対応遺伝子を持たない、みたいなことなのでしょうか
しかしブルガリアは大陸内部から来たので違うか、カスピ海、黒海の魚を食べていた? トルコ人はルム、ブルガールはスラブに飲まれちゃったからね
満州族にしてもそうだけど遊牧民牧畜狩猟民は圧倒的多数の農耕民を支配した場合はそれに飲まれる運命なのよ >>872
いやいや大理あたりまで南下して雲南王国造った連中がいただろ >>881
南詔や大理は、チベット系遊牧民政権だよ。
明清代の麗江土司木氏も、チベット系遊牧民だ。
曲陀関にはモンゴル語を使っていた土司もいたけど、
現在ではそこの住民は現地人と見分けがつかない。 ブルガール人は当時のブルガリア人口の5%以下だったらしいね
だから現ブルガリア人の体質はブルガール人とのそれとは
だいぶかけ離れているとみてよいだろうね 遊牧国家 ゆうぼくこっか ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
> 実力主義で王位を継承することが多かったため争いが頻発し,いずれも分裂したり,
> 短命国家に終わることが多かった。
・遊牧民の慣習である、領地領民の分割相続により、君主の弱体化や内乱を招く
・征服した各地の文化に染まり、モノを持たない遊牧民文化が薄れる
・たいてい「四方八方戦争吹っかけて回ったツケね。」 となって各国が叛乱する
各地の叛乱どころかクーデターも誘発する短命体制 砂漠化して遊牧人口自体が増えてないからな。
緑化してもトゲトゲのあるマメ科が勝ち抜くから牧草増えないし。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
GGTWY 中国はなぜ歴史上ながく遊牧を征伐し、征服させることができず、逆になぜしばしば少数に容易に征服されたのかは力が来的な答えがある
そもそも中国は歴史上大規模な北伐は行ってない。中国史における大規模北伐は過去2回であり
一度は南普(東普)の洛陽奪還北伐
そして二度目は明の北京奪還北伐である
そして中国はそれより遠く、満州、モンゴルへの北伐は歴史上も一度も行っていない。
始皇帝や武漢の北伐は北伐というほどの大事業ですらない
その答えは兵糧である。
中国が北伐を行うには消耗も想定して北伐軍5万、補充その他人足の10万が必要だ
そして期間は征伐に1年、制定と農地駐屯地確立に5-10年かかる
つまり動員数は10万でも必要な兵糧は軽く50万は必要で、首都などから1000km北進して北京に、北京から1000km北上するには、途中の中継地の整備と中継備蓄が必要だ
この開拓整備に100万の食料がいる
北伐は動員兵力で10万は必要で事業整備は100-200万の食料が必須だ。しかしその食料は金銭的な価値でいうと政府の在出を超過する。
よって大規模北伐はたかだか数百km前進した洛陽奪還(敵は自爆)
明の北京せんとの二回しかできなかった
そしてこれも誤解されがちだが、中国は実は華北、華中の大規模開拓を行ったのは歴史に新しい
歴史上は曹操の時代にやっと北京までのルートと中継農地を開拓して、明、清でやっと華北の領土化と開拓が行われた
よってそれ以前の歴史華中、華北は人口100-200万の辺境に過ぎなかった
このため北京で戦うには大兵糧が不可欠で、そこから満州までに数百万人分、そこからモンゴルまで数百万の食料が必要だったため
中国は歴史上積極的に満州ーモンゴルへの北伐をおこなえていない。実はその手段が確立されたのは
19-20世紀に鉄道がしこうされてからなのである
よって清の時代ですらモンゴル本国はてつかずで歴史上いかなる敵も征服できない聖域であり
このため中華系人も日本の満州開拓をするまで大規模な居住圏、生存圏を有さなかった
満州はそれこそ農家がはじまったのは満州国以後であり、よってモンゴルにおいては未だまともに農家すらされてないのである ここにモンゴル遊牧の無敵性がそんざいして、モンゴル社会は歴史上ロシア帝国、ソ連の侵略をうけるまえ、大規模襲撃を受けたことはなかった
よって無敵の聖域を1850年頃まで堅持したがため、日本のように外敵支配をうけにくいがため
中華社会で最強の外貴族的地位を維持し、しいていえば敵は同じ社会にいる遊牧民のみで内戦しかしてなかった
それこそモンゴル人は歴史上対ソ連ロシア帝国戦、ノモンハン事件の2つの体外戦争以外、本格的な国境戦を経験していないんである
故に強く横暴にして野蛮で中国を2000年侵略した
そして相対的に中国は10万の動員と数百万の兵糧でしか北伐できないなら
遊牧は少数で侵略し食料が不要であり、中国首都までたった数百が守る関所を5-10個とっぱする
2ヶ月の首都南進では中国は動員間に合わず、首都常備兵はたった1万しかいない
よって常に力学敵に少数制圧が容易だった
そしてかりに首都に常備兵3万をおけば反乱懸念を生む+独裁危惧がうまれる+地方反乱を平定できない
よって中国の首都警備はザルだった
中国は主要人口圏において、十分な守備隊を常備的に持たな
い
そして明、清において大規模な恒常的な守備隊、国軍を持ち始めたがため、明は独裁といわれ、軍事+万里事業出費は増大して、農業、食料事情はあっかして
飢饉が蔓延して最悪政権の烙印をもらう。これも中国ほごにすぎなかった
またそんななかコスト面で万里事業の採算性は消して悪くなかった。
万里事業と言っても漢王国の時代は常備的に数千から1万、とうで2万、明200年で10万規模の守備隊と建設力を動員した
しかし累計動員数は5000万規模、年次負担たった2万と兵糧5万以下で事業をやった
これが武力に訴えれば一度に2000万の食料を要求して、数百年に一度兵力動員して
それを2000年計食料数億人分を動員して中国を守れるためコスト合理性はなかった
よって万里事業はコスト合理的だった 独裁政権といわれ、対日、対蒙外交で失敗した最悪みんせいけんであったものの
万里事業成功の偉業は大きい
そして万里成功で遊牧侵略を阻止したにもかかわらず、ザナドゥ征伐は不可能だったからモンゴルも大貴族的地位を認め
国軍主力を満州+モンゴル連合軍にしておいた
万里をつくってもやっとそのレベルで均衡をとるのが限界だった
中国において遊牧は2000年の外患でこれは近代文明による軍事侵攻手段
及びロシア中国包囲編の牽制力が確立されるまで、2000年恒久的な外患を解消できず、発展が阻害された 支那(シナ)が差別語ならば、「中華」はどうなる? --- 宇山 卓栄
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180204-00010004-agora-int&p=2
中国が嫌がる理由とは
(以下略)
「民族」で読み解く世界史
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%80%8D
%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F
%B2-%E5%AE%87%E5%B1%B1-%E5%8D%93%E6%A0%84/dp/4534055587/ref=sr_1_1?
ie=UTF8&qid=1517740294&sr=8-1&keywords=%E8%AA%AD%E3%81%BF
%E8%A7%A3%E3%81%8F%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2 >>889
漢民族には遊牧世界の制圧は無理ということかな 後漢末の曹操は匈奴の単于をひっ捕らえてギョウに抑留して
その遺民は匈奴中郎将を派遣して統率してたし
唐の李世民も突厥の可汗をひっ捕らえて長安に抑留してその故地には都護府を置いて
間接統治をしている
明も永楽手の治世に女真の地をすべて制圧した後、奴児汗都司を置いて直轄統治している ザナドゥは関先生率いる紅巾軍が陥落させて、元の玉璽を奪取しているし(これはその後、李成桂の手に渡った)
永楽帝は現在のウランバートルまで遠征してるけどね
霍去病に至っては匈奴の単于庭を焼き払い、バイカル湖まで追撃し
王を三人、将軍・相国・当戸・都尉ら八十三人を捕虜とするなど北征の中でこれが一番規模が大きい 霍去病なんて若造に蹴散らされるなんて、この時代の匈奴は弱かったな
しかし、霍去病、病が去るなんて名前を持っていながら、若くして病死してしまった・・・ 時代的には、沙陀かな。トルコ系言語だから現代のキルギスみたいな感じだろうな。 尉遅恭だともう少し早い時代だから鮮卑だろうな。拓跋みたいにモンゴル系言語かもしれない。 日本の教科書やwikiにキメク・ハン国の記述が全くないな
当時世界最大の領域だったらしいが
セルジュークやロシアのタタールの故国だったの?
https://en.wikipedia.org/wiki/Kimek_confederation 5.12 四川大震災六回忌
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LJ1 お釈迦様がスキタイ人の末裔という話は
学会でどの程度の賛同が得られるものでありましょうか。
スキタイ → サカイ → サカ → 釈迦 >>626
少し時間がずれてるんだろ? サカの定住とは
でも、お釈迦様もモンゴロイドじゃなくてイランアーリア人なんだろうな スキタイ人→釈迦族→蘇我氏
とまで関連付ける人もいるからな 鮮卑系漢語が標準語になった唐の時代じゃないでしょうかね 唐の皇室は漢化した鮮卑族であり、
漢族の名族からはリスペクトされなかった
ようです。 鮮卑がシビルの語源になっててシビルハンって鮮卑のハンって事だと知った >>911
北魏の頃から司馬家血筋ってかなり入ってるぞ >>911
そもそも、北族系武人貴族の中でも唐皇室の李氏はかなり格落ちの家柄だったんだよ。 中央・東北アジアや、西アジア・北アフリカの遊牧民はよく話題になるけど、サハラ以南のアフリカって話題になりにくいな
なんか、狭い範囲の部族抗争かと思ってたら、意外に広領域支配で、バンバン交易してんのな よくわからないからブラックアフリカと呼ぶんだぞ
黒人が住んでるからじゃないからな 六四天安門忌
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〜(,_つ\/と_ ,,)〜 civ6でスキタイのことを知ったけど
遊牧民族ってすごいのな 奴隷制の発達した主因・・・支配に長けている遊牧民
狩猟採集民でも
例えば北方に漂流した日本人が現地人(千島アイヌなど)に捕まって奴隷にされ
アイヌ同士でも奴隷制はあったが
遊牧+狩猟の日常で戦闘力を維持しつつ、奴隷を働かせ農耕など作業させる
・家畜管理の技術≒奴隷管理
・家畜を使役=意思をもった相手を制御・・・支配・被支配
> ■『家畜文化』の蓄積
> メソポタミアなどの小アジアで、10,000年前にヒツジ・ヤギの家畜化が始まり、
> 9,000〜8,000年前頃に「搾乳」、少なくとも6000年前までに「去勢」の家畜技術が開発されている。
> それ以来3,300年前の本格的な“騎馬遊牧民”に至るまで、
★> 『どのように家畜の群れを意のままに管理するか』という【家畜文化】が遊牧民には蓄積されている。
★> (※後にこれを人間に当てはめ、遊牧民は奴隷管理に長けていくことになる) >>923
人手に対して資源が余ってる状態
利用可能な資源に対して人手の少ない状態
もっと人がいれば手許の資源が有効に利用できて活動圏内の富が増大する
という状況で、
二者間の紛争が起こった際に、勝者が敗者から人的資源を収奪する。
収奪された人員が、集団での決定権や移動の自由の無い劣格成員として扱わて
労働力を収奪される状態が、奴隷。 古墳スレで聞こうと思ったけど適したスレが無かったので、こちらで質問させてください
良いスレありましたら移動するので誘導お願いします
内容は、遊牧民は古墳を作るのか?です
場所は内モンゴルの額済納(エチナ/エジン)旗
シルクロードから少しだけ北に外れたゴビ砂漠の南部
湖が幾つかあり南北に長い川が流れていてエチナ川とか黒川とか呼ばれています
※この川の近くには観光で有名な黒水城(カラホト遺跡)があります
この川沿いをGoogleマップ航空写真で見ると、大きな塚が幾つか築かれていて、周囲は立派な水堀で囲われており、その周囲に2〜4個の三角形(まじない?墓守拠点?)が見えるんです
たくさんありますが3つ座標を出します
3号
41.8843223, 100.5621395
4号
41.7642048, 100.7177981
5号
41.7245296, 100.4551113
この辺りは砂漠だから農耕民が住む訳ないし、遊牧民の関係ではないかなと思うのですが、詳しい方おられますか?
もう少し西の辺りに某国の秘密のミサイル射撃場があるせいか、まったくネット情報が出てきません… ちなみに、かつて南側(シルクロード側)にいた農耕民と、この北側にいた遊牧民とで、川の水の権利をめぐって対立があったそうです 35.3592001, 132.7795953
この出雲の古墳に似てるんやが モンゴル中央部を流れるオルホン川沿いの発掘調査で、ルンチェン、
またはルウト(「竜の都」の意味)で名を馳せた、遊牧国家「匈奴」の首都が見つかった。
発掘調査はモンゴルのウランバートル大学が主体となってアルハンガイ州ウリジンスキー地区で行われた。発掘関連のニュースサイト「ヘリテージ・デイリー」によれば、古代都市の遺構は2017年に最初に発見されていたものの、研究者らは3年を経て、この発見を公表した。
発掘現場からは都市の二重の壁、ため池、「天子」の飾り文字の入った建物の跡が見つかったことから、考古学者らは遺跡が匈奴のかつての「竜の都」のルンチェンではないかと考えている。
この発見に対して、考古学者らの間からはそもそもルンチェンが存在したかどうかを疑う説も多く挙げられている。 コピペだからだろうけど、ルンチェンまたはルウト(「竜の都」の意味)って漢文資料だったら「龍城」では?
発掘は中国関連だから、新華網に出てる。
ここじゃないけど、匈奴の城関係の報告は和訳がでてて、PDFでみれる。 西夏と吐蕃ってどちらもチベット系だよね?
なんで仲良くできなかったの? 印欧語族同士で争ってたりするし
言語が近いと言うだけで仲良く出来るとは限らないのでは? 柔然と鮮卑、メルキトとモンゴルなんか近親憎悪に見える。 >>935
縄張り意識の強い隣人どうしほど仲悪いのは自然なことじゃないか?
1室を兄弟2人の部屋にすると何かとケンカするし
隣り合う小中学校も仲悪いことが多い 気候変動によって家畜を失った遊牧民は
南下して人間を食うしかなかった
それを防ごうとしたのが万里の長城だ
遊牧民は人食い馬賊となった
そして今は世界の支配者になっている
主要各国の支配層は人食いだ
デイビッド・アイクが言うレプティリアンはそいつらのこと
人間の心を持たない人食い、サイコパス 西欧の支配層って系統的には遊牧民というより牧畜民じゃね? 欧米諸国を支配しているユダヤ人も、元はと言えば、ルーシ・可汗国の遊牧民。
その頃から、可汗たちは北欧のバイキングと手を結んでいた。
そして、そのバイキングがイギリスを征服してからも協力関係は変わらなかった。
大英帝国はアングロサクソンとユダヤ人の同盟の産物だと言われているが、
その真の意味は、海賊と山賊の同盟が世界中を略奪して回った、という事だ。 2018/01/28
【考古学】中国考古学者バクトリア地域(中央アジア)に古代遊牧民族「月氏族」の遺跡を発見[18/01/27]
https:
//egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1517119307/
2020/06/27
【考古学】男性だと考えられてきた古代遊牧民のスキタイ戦士の遺体が「13歳以下の少女」だったことがDNA検査で判明 [しじみ★]
https:
//egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1593230463/
7/21
【考古学】遊牧国家「匈奴」の幻の「竜の都」 モンゴルで遺構が発見 [しじみ★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1595286715/
2020/09/19
【歴史】「バイキングの多くは混血」だった、大規模DNA分析で豊かな多様性が判明 白人至上主義者の画一的な虚構を打ち破る研究 [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1600444381/ >>229
主家の本領から割いて出せよ。
守られた九州の御家人の所領を割いてから、守った近畿・関東の武士に渡せよ。
地面が無ければ金銀と、なにがしかの名誉たとえば四位の叙爵とかでもいいのよ? >>159
いや一つの民族だろ
17世紀だって国が分かれていても、同じ民族だろ。
イングランド人ってのは民族でなくて国民だわな。
スコットランド人も国民で、民族はアングロサクソン人とゲール人。 質問なんですが突厥とか骸骨とか鮮卑とか匈奴とかの人種ってどんな感じだったの? >>53
>>74
興味深い話だったので吐蕃について聞きたいのだけど、まだいるかな?
高麗時代の韓国ドラマを見ていると、旧地名なのか「都房(日本語吹替ではトバン)」という拠点の名前が頻繁に出てくるんだけど、この「吐蕃(Tŭbō/Tŭfān)」と関わりはあるのかな? >>946
お前ら同じアジア人だろ、と外国人に言われたら
中華や朝鮮と一緒にするなよって感情わかない?
そういう意識のこと言ってるんでしょ? >>950
横レスだけど、それらは全然無関係だし、そもそも発音が違う
「房」の音節末子音は ŋ
「蕃」の音節末子音は n
それから、中期高麗にあった組織「都房」というのは、
地名じゃなくて、武人政権時代初中期の私兵組織の名称
(ただし、武人政権時代初中期の私兵組織が全てその名称だったわけではない) >>945
貴金属類も、その辺から適当にただで湧いて出るものなんかではないですぞ
採掘にはもちろん人手も元手も要る
それに、そもそも当時は貨幣経済がまだまだ未発達だった
平安末の平氏政権が倒れたのも、
当時の日本経済が貨幣経済に不慣れだったから、通貨流通・重商主義の政策に周りがついていけなかった、
という事情が大きいほどだし
それに、武家政権時代初期の「御恩と奉公」の関係って、結構ドライな関係で、まさに契約関係
上司から報酬出ないなら、部下はあっさり離れていく >>952
ありがとう
ムサンというドラマでは、まるで地名のように言ってたけど、ただの組織名なの?自衛隊とか内閣みたいな感じかな?ちょっと意識して見返してみようと思う >>228-229
おもしろい話
理屈は分かってても騙された気分になっちゃったのかね >>958
遊牧民族スレだったのに北方に限定しちゃったの?
なんでそんなアホなことに 紀元前9世紀にに勃興したスキタイが最初の遊牧帝国なら17世紀に勃興したジュンガルが最後の遊牧帝国だったな。 >>961
これの元を書いたのはワタシですが
マルチポはしてません >>965
それは不要
次スレ使ってからで良い
乱立すんな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。