中国はなぜ歴史上ながく遊牧を征伐し、征服させることができず、逆になぜしばしば少数に容易に征服されたのかは力が来的な答えがある

そもそも中国は歴史上大規模な北伐は行ってない。中国史における大規模北伐は過去2回であり
一度は南普(東普)の洛陽奪還北伐
そして二度目は明の北京奪還北伐である

そして中国はそれより遠く、満州、モンゴルへの北伐は歴史上も一度も行っていない。
始皇帝や武漢の北伐は北伐というほどの大事業ですらない

その答えは兵糧である。
中国が北伐を行うには消耗も想定して北伐軍5万、補充その他人足の10万が必要だ
そして期間は征伐に1年、制定と農地駐屯地確立に5-10年かかる

つまり動員数は10万でも必要な兵糧は軽く50万は必要で、首都などから1000km北進して北京に、北京から1000km北上するには、途中の中継地の整備と中継備蓄が必要だ
この開拓整備に100万の食料がいる

北伐は動員兵力で10万は必要で事業整備は100-200万の食料が必須だ。しかしその食料は金銭的な価値でいうと政府の在出を超過する。
よって大規模北伐はたかだか数百km前進した洛陽奪還(敵は自爆)
明の北京せんとの二回しかできなかった

そしてこれも誤解されがちだが、中国は実は華北、華中の大規模開拓を行ったのは歴史に新しい
歴史上は曹操の時代にやっと北京までのルートと中継農地を開拓して、明、清でやっと華北の領土化と開拓が行われた

よってそれ以前の歴史華中、華北は人口100-200万の辺境に過ぎなかった
このため北京で戦うには大兵糧が不可欠で、そこから満州までに数百万人分、そこからモンゴルまで数百万の食料が必要だったため
中国は歴史上積極的に満州ーモンゴルへの北伐をおこなえていない。実はその手段が確立されたのは
19-20世紀に鉄道がしこうされてからなのである

よって清の時代ですらモンゴル本国はてつかずで歴史上いかなる敵も征服できない聖域であり
このため中華系人も日本の満州開拓をするまで大規模な居住圏、生存圏を有さなかった
満州はそれこそ農家がはじまったのは満州国以後であり、よってモンゴルにおいては未だまともに農家すらされてないのである