たとえば理屈の上では、博士課程の目的は研究者の養成だ。だが幸運にもこの規則は、
アメリカではそれほど厳密に守られていない。アメリカではコンピュータ・サイエンスの
博士課程にいる人のほとんどは、単もっと勉強したかったからというだけの理由でそこにいる。
卒業後に何をするか決めてない。アメリカの大学院にいる学生は、研究職に進まなくても
失敗ではないと思っているから、多くのベンチャーが生まれるのだ。

アメリカの「競争力」を心配する人は、もっと公立学校にお金を出せと言う。しかしおそらく、
アメリカの公立学校のひどさには隠れた利点がある。あまりにひどいから、子供は大学入学を待ちこがれるんだ。
まさに私がそうだった。私はほとんど勉強せず、どんな選択肢があるかさえ教わらず、
好きに選ぶよう放っておかれた。これはやる気を失わせるが、少なくとも自由な心を持ち続けることができた。

悪い高校と良い大学というアメリカのシステムと、良い高校と悪い大学というアメリカ以外の多くの
先進国のシステムと、どちらかを選べと言われたら、私は断固アメリカのシステムを選ぶ。
みんなを失敗した天才児と思わせるより、大器晩成型の人と感じさせたほうがいいだろう。



ポール・グレアム「ベンチャーがアメリカに集中する理由」