1991年、ジャーナリストのダニー・キャソラーロがのホテルのバスタブで死亡しているが発見され、警察は自殺と断定。
彼はスパイ・ソフトウェア「」プロミス」の国際ルートを追ってアメリカ・イスラエルを取材しながら
同時に1980年代の共和党政権内部の「オクトパス」と呼ばれる組織の調査も進めていた
用心のために知人のウィリアム・ターナーに預けていた取材ファイルを、キャソラーロは死の当日に返却されているが、ファイルは死亡現場からは見つかっていない。


1967年、FBI出身のジャーナリストのターナーはジム・ギャリソンからケネディ暗殺事件の調査協力を頼まれ、キューバとオズワルドの線を調べ始めた。
オズワルド単独犯行説を信じていなかった彼は、KGBのオズワルド・ファイルを何とかして見たいと考え、大胆な行動に出た。
メキシコシティのソビエト大使館に行き、KGBのヴァレリー・コスチコフにオズワルドの情報が欲しいと単刀直入に交渉した。
「キューバやCIAの関与が明らかになれば、それはソビエトのためにもなる」と説得をしたターナーに、
数日後、「あなたの希望に沿えるかもしれない」と言いながらコスチコフは詳細は語らず1冊の本を手渡した。

タイトルは『ソビエト連邦の今日と明日』。
からかわれたと思ったターナーはそれ以上の接触を諦めた。

8ヶ月後の1968年4月、ギャリソンの元にジュネーブの出版社から『Plot』と題するタイプされた原稿が突然送られてきた。

◆著者はジェイムズ・ヘップバーン
◆パリとロンドンで学び、アメリカ滞在時にジャクリーン・ケネディの知遇を得た
◆この原稿は『さらばアメリカ』という本の第1〜3章であり現在第4章を執筆中

とのメモも添付されていた

読み始めたターナーは、多国籍企業、情報機関、軍、銀行、マフィアのネットワークを示し、CIA、ケネディ家の詳細な内部情報を語る内容に
俄然興味を抱き、出版社に続きを読みたいと連絡すると、ジュネーブに直接来てもらわければ続きは見せられないとの返事であった。



つづく