「政治の延長」「外交の一種」、いずれにしろ、
要は「政治的判断や外交的判断の制約を受ける」って意味だろ。
その意味では孫子の言葉はその「「政治的判断や外交的判断」
について語ったもので、クラゼヴィッツは単に、
戦争と政治の関係について言及しただけで、
当然、「平時の外交行為と同様に戦争も積極的に行え」なんて意味で
言っているわけじゃないから、孫子となんら対立しない。