【ユーゴスラヴィア・南スラヴ】 について
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最近学び始めたんだが、奥が深い。もっと見聞を広めたい。
世界史板なら詳しい人もいるだろうと思って。
興味あるけどよく知らないって人には分かる範囲で俺が答える じゃあユーゴスラビア人は最低でもセルビア語とマケドニア語をやる必要があったのか >>383
スロベニアは子供や年寄りでも英語話せる
ヨーロッパの中でもオランダ、北欧に次ぐレベルだと思う
クロアチアは普通の格好してる若者ならほぼ話せる
セルビアはクロアチアとだいたい同じ程度だが、やや少ない
ボスニアは日本なみに通じない
モンテネグロは観光業従事者のみ通じる
マケドニア、コソボは行ったことないからわからんが、たぶんボスニアなみに通じないと思う >>388
地理的・歴史的な西欧への距離感がモロに反映されてる感じだな >>389
それは間違いなくありますね
クロアチアで年配の人に話しかけると、
内陸部では「英語はわからんがドイツ語なら」
沿岸部だと「英語はわからんがイタリア語なら」
と返ってくること何度もありましたから ハプスブルク時代にクロアチアを領有していたからでしょうか
オーストリア人の中にはドイツしたクロアチア人の子孫も
いるようですけど(ロタール・レンドゥリック将軍など),
イタリア人の中にもイタリア化したクロアチア人の子孫
っていたりするんでしょうか。18C末までヴェネツィアは
ドヴロヴニク以外のダルマチアを領有してたんでそこから
クロアチア人がヴェネツィアに流れてきてってのもアリかな
って気がしたんですが・・ >>391
マカロニ・ウェスタンを代表する俳優ジャンニ・ガルコがそうみたい
ただダルマチアに殖民したイタリア系の子孫なのか、元々いたクロアチア系なのかは分からない
とりあえず生まれはザーラ クロアチアの中のスラヴォニア地方,18世紀後半までは
オスマントルコの支配下にあったってのをウィキを見て
知りました。
その頃のスラヴォニアのクロアチア人の文化・生活様式って
>151 : 世界@名無史さん[] 投稿日:03/04/02 05:59
>オスマン末期、サラエボのカトリックは辮髪をしていたというのを
>どこかの本で読んだことがある。
>カトリックもイスラムに支配された時代は
>今の姿では想像できないほど非西欧的だったようで
みたいな感じだったのかなぁ 「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ史―多民族国家の試練」と「戦争広告代理店」を読み終えたんですけどボスニアヘルツェゴビナ
の事が載ってるおすすめの本ないですか? 中世のセルビアやクロアチアについて詳しく書かれた本ってないの?
意外と歴史が長い国なのに日本の教科書じゃ完全スルーだもんな クロアチア人やボスニア人の多くは
クロマニヨン人の子孫だからね セルビア独立運動の闘士カラジョルジェのカラはカラヤンのカラ同様,
トルコ語で"黒い"を意味する言葉だったんですね。
前者は黒いジョルジェ,後者は黒いヤン(ヤンニス?)でしたっけ >>389
改めて考えてみたら、英語って「ヨーロッパの西の端っこの言語」なんだよな。
アイスランド語とゲール語の次に「極西」の言葉。
イベリア半島があるから、正確には「北西の端っこ」と言うべきだろうけど。
東へ行くほど(南東へ行くほど)通じなくなるのは、道理と言えば道理。 >>393
オスマン帝国支配時代のクロアチア人で有名な人物といえばリュステム・パシャがいる
大出世してオスマン帝国の宰相の地位まで登った人物
彼の伝記の英訳を読めば当時のクロアチア人の様子がつかめるんじゃないの クロアチアとかセルビアはやってくれるけど
ボスニアはなかなかないね
悲しいかな イギリス人とクロアチア人はやや顔立ちが違う
クロアチア人にクロマニヨン人の血が混じっているのがなんとなくわかる >>404
ダルマチアでオスマントルコが長期間支配した場所というと現ボスニア領
のネウム(ドゥブロヴニクがヴェネツィアとの緩衝地帯にするためオスマントルコ
に譲ったんでしたっけ)が思い浮かびますが,リュステム・パシャの出身地
スクラディンもそうだったんですね。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Skradin NHK BSプレミアム
2017年5月14日 6時45分
ヨーロッパ空撮紀行「クロアチア〜アドリア海沿岸」 ユーゴスラヴィア史なんて、誰も作らないだろうな。
そう平成の合併でつぶれてしまった市町村史みたいな感覚で バルカン史といえば柴宜弘先生
『ユーゴスラヴィアの実験――自主管理と民族問題と』
『ユーゴスラヴィアで何が起きているか』
『バルカンの民族主義』
『ユーゴスラヴィア現代史』
『図説バルカンの歴史』
というか柴先生以外に専門家を知らない ハリウッドではロシア人役にイギリス俳優をあてがう事が多いけど,
セルビア人役ではあてがわないような。 プロフェッショナル 仕事の流儀▽猫を知れば世界が変わる 動物写真家・岩合光昭
2017年5月29日(月) 午後7時30分(73分) NHK総合
命のエネルギーがあふれ出る写真はいかにして生まれるのか?「猫とイコールでありたい」と語る岩合光昭に長期密着。ボスニア・ヘルツェゴビナでは予期せぬハプニング
のなか、奇跡の瞬間がやってくる。40年に渡るキャリアを、ライオンやパンダなどの貴重な映像でひもとくほか、
10月からの朝ドラでヒロインとなる女優・葵わかなが
「猫好き」代表として、岩合に「猫を上手に撮るコツ」
を教わるコーナーも。猫たっぷりの73分! 往年の名脇役,カール・マルデン
この人がセルビア系だったことはずっと後になってから知りますた。 テニスのジョコビッチって父方がモンテネグロ系で母方がクロアチア系の人だったんだな
英語版のWikipediaにも載ってるね セルビアが嫌いという馬鹿な理由でジョコビッチ叩いてる奴ってかなり多い気がするけど間抜けすぎんだろ
まさかジョコがモンテネグロとクロアチアのハーフとはな 第一次大戦後のセルボ=クロアート=スロヴェーン(のちにユーゴスラビア)軍。
海軍はかつてハプスブルク海軍に所属してたクロアチア人やスロヴェニア人が
多そうなイメージだけど,海軍内の要職も彼らで占められたんかね? そういやウスタシャ政権下で国防相を務めたスラヴコ・クヴァテルニクは
オーストリア=ハンガリー軍の将校で,第一次大戦後はセルボ・クロアート・
スロヴェーン軍に勤務してたっけか。 クロアチアとボスニアの間に
文字・宗教・人種等超えられない壁があるからね >>423
>クロアチアとボスニア
そういえばウスタシャ政権下のクロアチアで外相を務めた人物にボスニアのイスラム教徒がいたなあ
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Mehmed_Alajbegovi%C4%87#cite_note-FOOTNOTEDizdarGr.C4.8Di.C4.87Ravli.C4.87Stupari.C4.8719975-3 そういやオスマン帝国の海軍将校にシナン-パシャっていうクロアチア人がいるな
リュステム-パシャの弟 外ドラ「24」で悪役のセルビア人親子(親父はデニス・ホッパーw)が出てきたけど,
上の息子を演じてるのはスロベニア系の人なのね。 うむ
2chMate 2.5.0/HUAWEI/HUAWEI CRR-L09/5.1.1 現代マケドニア人は古代マケドニア人と
どれくらい血統的なつながりがあるのかね 現代エジプト人は古代エジプト人と
どれくらい血統的なつながりがあるのかね 現段イタリア人は古代ローマ人と
どれくらい血統的なつながりがあるのかね >>432
?
>>433
現代エジプト人≒古代エジプト人+黒人
>>434
現代イタリア人≒古代ローマ人+ゲルマン人 古代エジプト人≒地中海系人種+黒人
古代ローマ人≒地中海系人種+中東系人種 名前ネタですが
フラニョ・トゥジュマンのフラニョがフランチェスコのクロアチア語読み
だった事を最近になって知りますた。
お隣スロヴェニアだとフラニョはフランツェとなるみたいですがその綴り
はフランスとおんなじw 第二次大戦のドイツ軍侵攻時におけるユーゴスラビア軍の陸軍の編成
ttp://www.vojska.net/eng/world-war-2/kingdom-of-yugoslavia/organization/1941/
チェトニクのリーダーとなるドラジャ・ミハイロヴィッチが第2軍の副参謀長、のちに傀儡政権
の首班となるミラン・ネディッチが第2軍集団の司令官としてそれぞれ名を連ねてたり、中将クラスの
軍人が師団長を務めてたりなどの情報がわかって興味深いけど,准将・中将・大将がいても少将は
いないのね。 セルビア国内でチェトニックやミハイロヴィッチ大佐が再評価されつつあるってのを
きいたことがあるけど,クロアチア国内でもウスタシャやパヴェリッチが再評価
されてんのかね? セルビアやモンテネグロもだけどクロアチアもアオスタ公家を王室に迎え直さねーかな >>441
マジ?こんなカスどもを再評価するぐらいならランコビッチでも再評価したほうがマシだろうに 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
QIAMU 近現代のギリシャは、バイエルンやデンマークから国王を迎えたが、ギリシャ人の血を
一滴も引かない人物が国王となることに抵抗はなかったのかね? ていうか、国王への親近感ゼロじゃないかな
だから容易に王政廃止に踏み切れる >>438
ローマは人口的に言うとケルティベリアやガリアなどのケルト系が最大派閥だろ
あと3世紀頃にはローマ軍のかなりがゲルマン系市民になってる 陰謀論でなければ内戦の本質は見えない
宗派や民族をマニアックに論じる事が趣味ならそれはそれで良いけど
内戦の本質はソ連共産党やユーゴ共産同の幹部がいくらで欧米資本家に
買収されたのかという事だ そういう単純な事が一番大事
しょせんT.ルーズベルトの時代からF.ルーズベルトの時代まで偽左翼として
偽の社会主義革命をやったつもりなら、労働者や農民の為に命を掛けられない偽左翼が
民族や国家に命を掛ける本物の右翼になれる訳もなく、破壊分子としてしか機能しないだろう
あんな破壊が本当に民族や宗派や部族に属する者の為になると思っていたとは思えない >>446
いや?オソン1世は東ローマ皇帝の血統だから遠くギリシア人の血を引いていると言える。
ギリシアの愛国者にしてみりゃアナトリアに手を伸ばす名分も手に入るのでオイシイ。 マケドニア共和国の改名問題だがやはりヴァンダルしかないのだろうか?
南ブルガリアとかどうなの? >>453
いや、ギリシャも圧力を加えられてるしここは多少マケドニアも強気に行くと思う
北マケドニアとかマケドニア=スコピエ共和国ぐらいが妥当では 今のギリシャ人も昔のマケドニア人ではないのに!
コイツら本当に粘着している
トルコ人と南スラブ人とそして少しだけ残った元からのギリシャ人の混合だろうに 少しでも残ったギリシャ人と混合したなら十分マケドニア人の末裔だろ
完全無関係なのにマケドニア名乗ってる連中とは違うでしょ ギリシャナショナリズムを形成するにおいて古代マケドニアはかなり重点を置いてるし観光でも「マケドニア」と名乗ってる国があるとギリシャのほうが偽物みたいになるから仕方あるまい
実際、古代マケドニアの重要な史跡はほとんどギリシャ側だしな 実際は現代トルコ人も圧倒的多数のギリシャ人に少数のアラブ人の混血で
トルコ要素なんて言語ぐらいしか残ってないけどな
ハプロ見ても中央アジア由来のN、Q、C合わせても7%ぐらい
まだガラテア人由来と見られるR1bのほうがデカい15% トルコ人は欧州・中東各民族の混合体だからね
何が一番多いのだろうか いわゆる僭称地名(国名)っていうやつだねマケドニア呼称問題 第二次世界大戦中、イタリア軍によってバルカン半島で行われた残虐行為がほとんど
知られていないのはなぜなんだろう。
ギリシアで行われたドメニコンの虐殺とか(ギリシャ占領当時、抵抗軍の攻撃を
口実にドメニコン村の全ての男性を一列に並べ約150人を虐殺)。 ウスタシャやドイツや日本と言った他の枢軸国と違って犠牲者の数が少なすぎるから
あと敵性集落の場合は非戦闘員でも男性の全員殺害は敵の兵力の増長を予防するため当時としてはよくあることで
日本軍に至っては方面軍単位で単位で組織ぐるみでやっていた
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/gallery2/sanko-4ibs-sentosyoho.jpg
>2 敵性ありと認むる住民中16歳以上60歳までの男子
あと儘滅戦といって女や幼児、家畜まで皆殺しにして「無人区」を作ることも行われていた
『裸女のいる隊列』別冊『文藝春秋』42号、1954年10月
老百姓(ラオパイシン)、ーー日本軍にとって、この言葉は、なんの人格的な意味もなかった。彼らは野良犬や、虫けらと、すこしもちがう存在ではなかった。
長い戦争の期間をとおして、日本軍に殺された住民の数は、恐らく日本軍と闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。
すくなくとも、中国の奥地では、戦場で見る敵兵の死体よりも、農民の数の方が、私たちの眼に多く映るのが、普通だったのだ。
ある時期においては、ときには、公然と、住民をみな殺しにしろという軍命令が出たこともある。燼滅作戦というのが、それだった。 平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社)
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
石井清太郎「いのちの戦記」
この兵は抗州湾に上陸して、上海戦線の腹背を衝いた柳川兵団の兵士であった。私はその兵士から、兵団長の命令なるものを聞いて暫らく信じられなかった。それは、生ある者は皆殺せ、家は悉く焼け、と言うのである。
朝香進一「初年兵日記」
南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、
住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。
その残酷さは目をおおわせるものがあった。
梶村止『観測小隊長の日記 大陸を戦う』
思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありゐたり。
太平洋戦争研究会「南京虐殺で対立する証言者たち」
―共産主義の暴虐を許さず、共匪の跳梁を粉砕するため、農夫、工夫はもとより、女子どもにいたるまで、全員殺戮すべし。 敵への通謀や加勢を恐れての非戦闘員の虐殺や養いきれなくなった捕虜の殺害は規模の大小はあれど
良く起こる事であるが、ウスタシャによる虐殺は殺しを楽しんでいたとしか思えず常軌を逸していた
犠牲者は判明しているだけでも、73万人に及びが、殺し方は陰険そのもので
幼い幼児を川に突き落として殺し、正教徒の祭司の体を刀でゆっくり削ぎ落して殺す、母親に幼い息子の喉を斬らせて、その血をボールに受けさせてから殺す
などなど、ノコギリやハンマーといった様々な拷問器具も使われ残忍に殺された
これすべて当時のウスタシャメンバーたちが当時のドイツ当てに自慢げに報告したこと
あまりにもひど過ぎるのでナチスの保安警察(SD)やアインザッツグルッペンですらみかねて止めに入るほどであった つうか、そんだけしか殺してないのって思う
我々の父祖とか大陸だけでも2000万を殺戮してるのに ウスタシャ出身者は戦後特に念入りになぶり殺しにされたらしいな チトーが後に禍根となるのを恐れて、ウスタシャの虐殺記録をわざわざ隠ぺいしたようだが
さっさと、こんな連中は始末しておいたほうが、わだかまりも晴れて、分裂後の両民族の惨劇は避けられて様な気がする。 イタリアは、2009年2月にイタリアの駐ギリシャ大使がドメニコンの虐殺の
慰霊式典に初めて参加し、公式に謝罪した。
旧ユーゴスラビアでの戦争犯罪の謝罪はまだである。 ユーゴ側も色々やってるからお互いに謝らないとダメだろうけどもうどこにも共産ユーゴの責任を謝るような政治団体がない 統一イタリアは長らくイッレデンティズモ(失地回復主義)を唱えていたが、
第一次世界大戦の結果、北東部国境地域(トリエステ、イストリア半島)はイタリアに
併合された。それはイタリアの失地回復主義の完成であったが、トリエステや
イストリア半島の領有権を主張するスロヴェニア人、クロアチア人の側からの
新たな失地回復主義の始まりでもあった。 イストリア半島やダルマチアからイタリア系住民をかなり放逐してるからなぁ 考えてみれば、チトーはやっぱりすごかったのだな。
こんなところを曲がりなりにも統治していたのだからな。 >>475
オスマン帝国の時代は人権も糞もなかったのだから、
露骨にアメと鞭の分断政策が使えたのだろうけど、
チトーの時代は曲がりなりにも人権の概念が入った20世紀の
話だからな。 48年の段階でもう軍警察組織は完全にチトーが掌握しててスターリンの工作を寄せ付けない体制が完成してるとアメリカ国務省が判断してるからそんじょそこらの活動家上がりとは訳が違う セルビアでは、コソヴォは中世セルビア王国の文化的中心であり、オスマン帝国の
支配下でセルビア人がこの地を去った後にアルバニア人が入植したとされている。
一方アルバニア人は、古代バルカンの先住イリリア人=アルバニア人が、7世紀以来の
スラヴ人の入植によって放逐・同化されたという主張する。 >>468
チェトニク出身者も同じ目にあったんかな? チェトニックはほとんど脱出出来なかったのでまとめて死刑判決食らってたはず
イギリスに亡命してた奴らも白手組と関連がある奴は欠席のまま死刑判決出した 例外的に脱出できたチェトニック
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Mom%C4%8Dilo_%C4%90uji%C4%87 チェトニックというとなぜか髭もじゃのイメージが・・・ 近年のセルビアのドラマではジャン・レノぽかった。でもって
チョビ髭時代は田代まさしぽかった>ミハイロビッチ
ttp://www.politika.rs/old/uploads/rubrike/277428/i/1/Nebojsa-Glogovac-kao-Draza-Mihajlovic.png
ttp://www.pogledi.rs/wp-content/uploads/2013/05/Draza-Mihailovich-as-a-civilian.jpg 現在、セルビア人ディアスポラが最も多く住んでいる国はドイツである
多くのセルビア人がドイツに移り住むことになったのは、1960年代末に、
当時の西ドイツが労働力不足を補うため、ユーゴスラヴィアから多くの労働者を
受け入れたことがきっかけである
西ドイツが社会主義ユーゴスラヴィアから労働者を受け入れたのは、
単に経済的な理由だけではなく、社会主義陣営との関係正常化を目指した
ブラントの東方外交の一環でもあった アメリカの映画・外ドラでは悪役扱いされる事の多いセルビアだけど,
ドイツではどうなんやろ >>486
正教圏に属する東欧のセルビアよりも
カトリック圏の西欧のクロアチアが善玉に見えるのはしかたない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています