【ユーゴスラヴィア・南スラヴ】 について
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最近学び始めたんだが、奥が深い。もっと見聞を広めたい。
世界史板なら詳しい人もいるだろうと思って。
興味あるけどよく知らないって人には分かる範囲で俺が答える >>453
いや、ギリシャも圧力を加えられてるしここは多少マケドニアも強気に行くと思う
北マケドニアとかマケドニア=スコピエ共和国ぐらいが妥当では 今のギリシャ人も昔のマケドニア人ではないのに!
コイツら本当に粘着している
トルコ人と南スラブ人とそして少しだけ残った元からのギリシャ人の混合だろうに 少しでも残ったギリシャ人と混合したなら十分マケドニア人の末裔だろ
完全無関係なのにマケドニア名乗ってる連中とは違うでしょ ギリシャナショナリズムを形成するにおいて古代マケドニアはかなり重点を置いてるし観光でも「マケドニア」と名乗ってる国があるとギリシャのほうが偽物みたいになるから仕方あるまい
実際、古代マケドニアの重要な史跡はほとんどギリシャ側だしな 実際は現代トルコ人も圧倒的多数のギリシャ人に少数のアラブ人の混血で
トルコ要素なんて言語ぐらいしか残ってないけどな
ハプロ見ても中央アジア由来のN、Q、C合わせても7%ぐらい
まだガラテア人由来と見られるR1bのほうがデカい15% トルコ人は欧州・中東各民族の混合体だからね
何が一番多いのだろうか いわゆる僭称地名(国名)っていうやつだねマケドニア呼称問題 第二次世界大戦中、イタリア軍によってバルカン半島で行われた残虐行為がほとんど
知られていないのはなぜなんだろう。
ギリシアで行われたドメニコンの虐殺とか(ギリシャ占領当時、抵抗軍の攻撃を
口実にドメニコン村の全ての男性を一列に並べ約150人を虐殺)。 ウスタシャやドイツや日本と言った他の枢軸国と違って犠牲者の数が少なすぎるから
あと敵性集落の場合は非戦闘員でも男性の全員殺害は敵の兵力の増長を予防するため当時としてはよくあることで
日本軍に至っては方面軍単位で単位で組織ぐるみでやっていた
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/gallery2/sanko-4ibs-sentosyoho.jpg
>2 敵性ありと認むる住民中16歳以上60歳までの男子
あと儘滅戦といって女や幼児、家畜まで皆殺しにして「無人区」を作ることも行われていた
『裸女のいる隊列』別冊『文藝春秋』42号、1954年10月
老百姓(ラオパイシン)、ーー日本軍にとって、この言葉は、なんの人格的な意味もなかった。彼らは野良犬や、虫けらと、すこしもちがう存在ではなかった。
長い戦争の期間をとおして、日本軍に殺された住民の数は、恐らく日本軍と闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。
すくなくとも、中国の奥地では、戦場で見る敵兵の死体よりも、農民の数の方が、私たちの眼に多く映るのが、普通だったのだ。
ある時期においては、ときには、公然と、住民をみな殺しにしろという軍命令が出たこともある。燼滅作戦というのが、それだった。 平松鷹史「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社)
第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。
石井清太郎「いのちの戦記」
この兵は抗州湾に上陸して、上海戦線の腹背を衝いた柳川兵団の兵士であった。私はその兵士から、兵団長の命令なるものを聞いて暫らく信じられなかった。それは、生ある者は皆殺せ、家は悉く焼け、と言うのである。
朝香進一「初年兵日記」
南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、
住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。
その残酷さは目をおおわせるものがあった。
梶村止『観測小隊長の日記 大陸を戦う』
思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありゐたり。
太平洋戦争研究会「南京虐殺で対立する証言者たち」
―共産主義の暴虐を許さず、共匪の跳梁を粉砕するため、農夫、工夫はもとより、女子どもにいたるまで、全員殺戮すべし。 敵への通謀や加勢を恐れての非戦闘員の虐殺や養いきれなくなった捕虜の殺害は規模の大小はあれど
良く起こる事であるが、ウスタシャによる虐殺は殺しを楽しんでいたとしか思えず常軌を逸していた
犠牲者は判明しているだけでも、73万人に及びが、殺し方は陰険そのもので
幼い幼児を川に突き落として殺し、正教徒の祭司の体を刀でゆっくり削ぎ落して殺す、母親に幼い息子の喉を斬らせて、その血をボールに受けさせてから殺す
などなど、ノコギリやハンマーといった様々な拷問器具も使われ残忍に殺された
これすべて当時のウスタシャメンバーたちが当時のドイツ当てに自慢げに報告したこと
あまりにもひど過ぎるのでナチスの保安警察(SD)やアインザッツグルッペンですらみかねて止めに入るほどであった つうか、そんだけしか殺してないのって思う
我々の父祖とか大陸だけでも2000万を殺戮してるのに ウスタシャ出身者は戦後特に念入りになぶり殺しにされたらしいな チトーが後に禍根となるのを恐れて、ウスタシャの虐殺記録をわざわざ隠ぺいしたようだが
さっさと、こんな連中は始末しておいたほうが、わだかまりも晴れて、分裂後の両民族の惨劇は避けられて様な気がする。 イタリアは、2009年2月にイタリアの駐ギリシャ大使がドメニコンの虐殺の
慰霊式典に初めて参加し、公式に謝罪した。
旧ユーゴスラビアでの戦争犯罪の謝罪はまだである。 ユーゴ側も色々やってるからお互いに謝らないとダメだろうけどもうどこにも共産ユーゴの責任を謝るような政治団体がない 統一イタリアは長らくイッレデンティズモ(失地回復主義)を唱えていたが、
第一次世界大戦の結果、北東部国境地域(トリエステ、イストリア半島)はイタリアに
併合された。それはイタリアの失地回復主義の完成であったが、トリエステや
イストリア半島の領有権を主張するスロヴェニア人、クロアチア人の側からの
新たな失地回復主義の始まりでもあった。 イストリア半島やダルマチアからイタリア系住民をかなり放逐してるからなぁ 考えてみれば、チトーはやっぱりすごかったのだな。
こんなところを曲がりなりにも統治していたのだからな。 >>475
オスマン帝国の時代は人権も糞もなかったのだから、
露骨にアメと鞭の分断政策が使えたのだろうけど、
チトーの時代は曲がりなりにも人権の概念が入った20世紀の
話だからな。 48年の段階でもう軍警察組織は完全にチトーが掌握しててスターリンの工作を寄せ付けない体制が完成してるとアメリカ国務省が判断してるからそんじょそこらの活動家上がりとは訳が違う セルビアでは、コソヴォは中世セルビア王国の文化的中心であり、オスマン帝国の
支配下でセルビア人がこの地を去った後にアルバニア人が入植したとされている。
一方アルバニア人は、古代バルカンの先住イリリア人=アルバニア人が、7世紀以来の
スラヴ人の入植によって放逐・同化されたという主張する。 >>468
チェトニク出身者も同じ目にあったんかな? チェトニックはほとんど脱出出来なかったのでまとめて死刑判決食らってたはず
イギリスに亡命してた奴らも白手組と関連がある奴は欠席のまま死刑判決出した 例外的に脱出できたチェトニック
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Mom%C4%8Dilo_%C4%90uji%C4%87 チェトニックというとなぜか髭もじゃのイメージが・・・ 近年のセルビアのドラマではジャン・レノぽかった。でもって
チョビ髭時代は田代まさしぽかった>ミハイロビッチ
ttp://www.politika.rs/old/uploads/rubrike/277428/i/1/Nebojsa-Glogovac-kao-Draza-Mihajlovic.png
ttp://www.pogledi.rs/wp-content/uploads/2013/05/Draza-Mihailovich-as-a-civilian.jpg 現在、セルビア人ディアスポラが最も多く住んでいる国はドイツである
多くのセルビア人がドイツに移り住むことになったのは、1960年代末に、
当時の西ドイツが労働力不足を補うため、ユーゴスラヴィアから多くの労働者を
受け入れたことがきっかけである
西ドイツが社会主義ユーゴスラヴィアから労働者を受け入れたのは、
単に経済的な理由だけではなく、社会主義陣営との関係正常化を目指した
ブラントの東方外交の一環でもあった アメリカの映画・外ドラでは悪役扱いされる事の多いセルビアだけど,
ドイツではどうなんやろ >>486
正教圏に属する東欧のセルビアよりも
カトリック圏の西欧のクロアチアが善玉に見えるのはしかたない ユーゴはドイツ人捕虜の扱いが特別劣悪だったのをアデナウアーの時代に工作機械貰う代わりにようやく認めて送還したってエピソードがあるんで内心思う所はあったんじゃないかね
チトー政権はドイツ捕虜の虐殺があったことも一切認めてこなかったがユーゴ崩壊の時にクロアチアと組んで掘り返したし >>486
そのせいかどうかわからないが、近年、アメリカでは自らをセルビア系であると
申告する人々の数が減少しているらしい。
以前、セルビア系出ると申告していた人々の一部は、アメリカ人、ヨーロッパ系、
ユーゴスラヴィア系などと申告するようになったと言われている。
このことは、セルビア系としてのアイデンティティを保持すべきだと主張する
アメリカのセルビア系住民、あるいはセルビア本国のセルビア人の間で懸念されている。 ユーゴスラヴィア系と言うのは哀れだな
民族融和の意味でそういう回答を過去の調査でしていたのだろうが
1990年代の内戦で無残にも引きちぎられてしまったからな
今ではアイデンティティの拠り所にもならんわ いや、違う
両親が違う民族で答えようがない時に「ユーゴスラビア」と回答する クロアチア人やセルビア人という民族がもともとあるわけじゃないんだろ
宗教の違いだけだろ 90年代にクロアチアでは言語から西欧起源の語彙を次々とスラヴ風の語彙に置き換え、
逆にセルビアでは西欧からの外来語の摂取に熱心、という現象がみられた。
今はどうなっているのか知らないが。
もう「言語純化」なんて馬鹿なことはやめたんだろうか。 パットン大戦車軍団って映画でブラッドレー将軍やってた人,
セルビア系だったのね。 セルビアとクロアチアの比較
言語 同一
文字 セルビア・キリル クロアチア・ローマ
宗教 セルビア・正教 クロフチア・カトリック
人種 セルビア・黒髪 クロアチア・茶髪
文化 セルビア・バルカン クロアチア・中欧
文字以下がけっこう違うのに言語がほぼ同じと言うのが面白い トルドーJrがNORADやNATOから脱退・人員引き揚げを
おこなったとしてもどうせ次の右派政権時に復帰するんだろうな。 レス先間違えてしまいました(滝汗)
ごめんなさいorz 科学者のニコラ・テスラはセルビア人
テスラは、当時ハプスブルク帝国内にあったクロアチアで、
セルビア人聖職者の息子として生まれた
プラハやグラーツで教育を受けた後、アメリカに渡り、
エジソンのもとで働いたが、後に独立。
エジソンが信奉する直流電流システムではなく、
交流電流システムが優れていると主張し、
その優位性をナイアガラの滝を使った壮大な実験で証明してみせた
現在家庭で使われている交流システムが実用化されたのは
テスラの業績である 女優のミラ・ジョヴォヴィチ(セルビア語ではヨヴォヴィチ)もセルビア系
彼女の父はコソヴォ出身のセルビア人で、
ジョヴォヴィチ自信はウクライナで生まれ、アメリカに移住した >>496
酒は?クロアチアはワインだと予想できるけどセルビアがウォトカとか? >>503
セルビアでもワインが飲まれている
大小さまざまの業者によって、赤、白、ロゼ、合わせて700種類以上もの
ワインが製造されている セルビアもクロアチアもスリヴォヴィツァは欠かせないねぇ ポーランド人もワインは飲むんだろうけど蒸留酒好きだよね 何で酒かっていうとオーストリアがワインでカトリック、ドイツがビールとプロテスタントと無宗教だから
わかると思うけど バルカン半島では、ローマ時代からワインが作られていたらしい
19世紀になって、オーストリア=ハンガリーなどから取り入れた
技術を使って質の良いワインが量産されるようになった ミロシュ・オブレノヴィッチがオスマントルコから自治を取りつけた後の
セルビアだけど、官僚はハプスブルク領で生まれそこで教育を受けた人が
多かったんかな? https://www.thelocal.at/20180424/austria-says-it-cant-stop-far-right-event-commemorating-1945-massacre
オーストリアで、共産主義パルチザンによって1945年に殺害された、クロアチアの
ファシズム政党ウスタシャの支持者を弔う式典が開かれる。この式典はウスタシャや
極右の支持者が集まる場となってきたが、クルツ首相は式典の開催は禁止できないと
する。 クロアチア人って、ウスタシャがやったことについて、
ぜんぜん反省してないの? そういやチトーはクロアチアとスロヴェニアのハーフだったっけ トゥジュマンも戦時中はチトーのパルチザンにいた。
ウスタシャ側の内通者だったかは知らんけど。 ザグレブとかのクロアチアの都市には現在"アンテ・パヴェリッチ通り"
が存在するんかね? >>516
戦時中の心意気は本当だったと思うよ、こんなことは止めろと訴えてゲシュタポに投獄された経験もある
狂ったのは戦後に家族が謎の他殺体で見つかった後
捜査の打ちきりのあまりの早さで「超法規的措置のよる殺人」の許可が降りてたUDBAの仕業だと確信してから クロアチアやスロヴェニアは自国をバルカンの国と呼ばれたくないらしいね
「バルカン=暴力的、後進的」というイメージがあるから? クロアチアはともかくスロヴェニアって言うほど地理的にはバルカン半島じゃ無いと思う
ギリ付け根に位置してると言えなくもないけどそれならハンガリーもウクライナもバルカン国家になるし
文化圏的な意味でならあそこら辺のごちゃごちゃしてる所はとりあえず一纏めにしとけばいいと思うからバルカン扱いで 東欧諸国が、自国を東欧ではなく中欧と呼んでもらいたがっているようなものか 鉄のカーテン以前には東欧という概念がそもそもなかった
いくつもの共通の文化的要素によって中欧という概念が頻用されていた
黒パン、ビール、ソーセージの文化だろうか
ビールのスープというのも中欧文化 ユーゴを懐かしく思う?というアンケートで共和国中、断トツの最下位だったのがクロアチア
コソボはさらに下だがな クロアチアやスロヴェニアはユーゴスラビアの中で経済的先進地域だったから、
「自らの生み出した富が連邦を通して南部の後進地域に流れている」
という経済的な不平等感を持っていた >>524
なぜか対象外だった、次はやってほしいもんだね ユーゴスラビア人と言う民族を超え友愛に満ちたフリをした概念は続かんのよ(笑)
本当にやるのならブルガリア人を入れないとね そのプランはスターリンに潰されてしまった
赤化ギリシャとも組んでマケドニア共和国を創出してマケドニア問題にケリをつけるつもりだったらしい >>525
肝心のチトーがクロアチアとスロベニアのハーフだったのはどう思ってたんだろうね? >>527
その(笑)がヲタ臭くて気持ち悪い
いったい誰の目線でどこから他人様を笑いものにしているのやら 独立後のクロアチアでは「クロアチア独立国」が再評価される一方、
3000にもおよぶパルチザンの記念碑やファシズムの犠牲者の記念碑が撤去された
さらに、ブライブルクの犠牲者など、パルチザンの「蛮行」がことさら強調された あんな残忍さだけが取り柄のゴミにに評価に値する点はないと思うがね
沿岸部を軒並みイタリアに献上した腑抜けぶりに激怒した右派が一番強烈に反発してパルチザンに入った クロアチア人の起源に関しては、スラヴ起源説のほかに、イラン起源説、
ゴート起源説などがある
やっぱりセルビア人と同じスラヴ起源では嫌なのかね セルビアのキリル文字ってロシア語と共通かと思ってたんでђの文字を
見かけた時は面食らった。ローマ字だとdjになるらしいけどジャ行で
発音するのかはたまたディャ行で発音するのか ”チトー”の由来がティトゥスではなく”お前(Ti)があれ(To)をやれ”という
命令文にちなんでたのが意外だった。
両方かけ合わせてんのかな? ユーゴノスタルギヤを感じてる人のユーゴはみんな「チトーがいたユーゴ」なんだわ
「チトーがいない」ユーゴを懐かしむやつはいない
独裁者としては冥利に尽きるかもしれないがやっぱり人一人の存在に統一の全てを委ねきっていたのは良くなかったのだろう
「ユーゴスラビアとは」という共同体の行く末をみんなが見失った 一人当たりGDP
バルカン半島最下位はもちろんイスラム教のアルバニア まあアルバニアはね
中東が欧州に紛れ込んだようなものだから 最近コソボともどもイスラムマネーが投入されて急速に街が綺麗になってるらしいべ>アルバニア アルバニアといえばエンヴェル・ホッジャと冷戦後のネズミ講 イスラム教徒になれば得するってんでこぞって改宗しまくったんだっけ>アルバニア人 >>548
チトーの生地(クロアチア)に墓が建てられてたらホッジャのピラミッドと
同じ運命を辿ってたんだろうか >>549
人口300人もいない寒村だからねぇクムロヴェツ村は
チトーはクロアチア生まれだけどクロアチア人であるというアイデンティティに欠けてる、ほとんどスロベニア国境の地域だしな
すぐにウィーンに働きに出たし ユーゴ内戦の結果
欧米、カトリック↑
イスラム勢力↗か→
ロシア、正教(東方教会)↓ ボスニアのイスラム教徒は本来ボゴミール派の信者で、オスマントルコの
進出時にイスラムへ改宗したんだっけ チトー時代を懐かしみユーゴスラビア人を自称してた人達、
現在はドイツなど旧ユーゴ以外の地域に住んでる人が多いんかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています