【ユーゴスラヴィア・南スラヴ】 について
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最近学び始めたんだが、奥が深い。もっと見聞を広めたい。
世界史板なら詳しい人もいるだろうと思って。
興味あるけどよく知らないって人には分かる範囲で俺が答える そのプランはスターリンに潰されてしまった
赤化ギリシャとも組んでマケドニア共和国を創出してマケドニア問題にケリをつけるつもりだったらしい >>525
肝心のチトーがクロアチアとスロベニアのハーフだったのはどう思ってたんだろうね? >>527
その(笑)がヲタ臭くて気持ち悪い
いったい誰の目線でどこから他人様を笑いものにしているのやら 独立後のクロアチアでは「クロアチア独立国」が再評価される一方、
3000にもおよぶパルチザンの記念碑やファシズムの犠牲者の記念碑が撤去された
さらに、ブライブルクの犠牲者など、パルチザンの「蛮行」がことさら強調された あんな残忍さだけが取り柄のゴミにに評価に値する点はないと思うがね
沿岸部を軒並みイタリアに献上した腑抜けぶりに激怒した右派が一番強烈に反発してパルチザンに入った クロアチア人の起源に関しては、スラヴ起源説のほかに、イラン起源説、
ゴート起源説などがある
やっぱりセルビア人と同じスラヴ起源では嫌なのかね セルビアのキリル文字ってロシア語と共通かと思ってたんでђの文字を
見かけた時は面食らった。ローマ字だとdjになるらしいけどジャ行で
発音するのかはたまたディャ行で発音するのか ”チトー”の由来がティトゥスではなく”お前(Ti)があれ(To)をやれ”という
命令文にちなんでたのが意外だった。
両方かけ合わせてんのかな? ユーゴノスタルギヤを感じてる人のユーゴはみんな「チトーがいたユーゴ」なんだわ
「チトーがいない」ユーゴを懐かしむやつはいない
独裁者としては冥利に尽きるかもしれないがやっぱり人一人の存在に統一の全てを委ねきっていたのは良くなかったのだろう
「ユーゴスラビアとは」という共同体の行く末をみんなが見失った 一人当たりGDP
バルカン半島最下位はもちろんイスラム教のアルバニア まあアルバニアはね
中東が欧州に紛れ込んだようなものだから 最近コソボともどもイスラムマネーが投入されて急速に街が綺麗になってるらしいべ>アルバニア アルバニアといえばエンヴェル・ホッジャと冷戦後のネズミ講 イスラム教徒になれば得するってんでこぞって改宗しまくったんだっけ>アルバニア人 >>548
チトーの生地(クロアチア)に墓が建てられてたらホッジャのピラミッドと
同じ運命を辿ってたんだろうか >>549
人口300人もいない寒村だからねぇクムロヴェツ村は
チトーはクロアチア生まれだけどクロアチア人であるというアイデンティティに欠けてる、ほとんどスロベニア国境の地域だしな
すぐにウィーンに働きに出たし ユーゴ内戦の結果
欧米、カトリック↑
イスラム勢力↗か→
ロシア、正教(東方教会)↓ ボスニアのイスラム教徒は本来ボゴミール派の信者で、オスマントルコの
進出時にイスラムへ改宗したんだっけ チトー時代を懐かしみユーゴスラビア人を自称してた人達、
現在はドイツなど旧ユーゴ以外の地域に住んでる人が多いんかな。 民族の友愛を掲げユーゴスラビア人を自称した連中は
その後地獄を見ましたとさ
俺の知り合いのセルビア人が以前そう言っていたな・・・ ユーゴスラビア人=セルビア人と残り
多数派の奢りだし 第二次大戦前の”ユーゴスラビア”王国ってのがセルビア主導の国家だったっけ。 現在のトルコで白人っぽい風貌の人がいるのは、かつてバルカン半島が
オスマントルコの支配下に置かれた時に同地のスラブ人が流入してきたから?
イベリア半島では北アフリカから流入してきたアラブ人やベルベル人の血が
入ってそうだけど。 旧ユーゴ系のカナダ人といえば外ドラ「キャッスル」でベケット刑事の人もそうだったような。
作品内ではベケット刑事がロシア人のふりをしてたけど結構ハマってた。 それ言い出したら紀元前にケルト人(ガラテア人)がアナトリアに侵入してきてるんだが
トルコにはトゥルムっていうバグパイプも伝わってる 古代のアナトリア沿岸部(イオニア地方)にはギリシャ人が住んでいたしな モンテネグロのニコラ1世、民族衣装でしか見たことなかったけど洋服姿もあったのね。
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/c/cb/Prince_Vsevolod_Ivanovich_of_Russia_with_his_ister_and_their_great_grandfather.jpg 現在のモンテネグロ王室当主はフランスで建築家やってた人なのか 旧ユーゴでチーム組んだら
WCの決勝まではいっていたかも この国は欧米VSロシアVSイスラム教徒の世界大戦リハーサルの為に内戦が起こされた国だ
実際ユーゴ内戦が終わった後、911が起きた
ハルマゲドン成就に利用された国なんよ モンテネグロ、昔は主教が統治する地域で代々甥っ子が同地の
主教を引き継いでいったのね。 ドゥブロヴニク、1808年にナポレオン統治下のフランスに滅ぼされるまでは
小さいながらも独立した都市国家、ドゥブロヴニク共和国として名を馳せていた
この街の起源については7世紀前半、アヴァール人やスラヴ人の襲撃、掠奪を逃れて
ローマ都市エピダウルムからラウスまたはラウサと呼ばれる岩礁に移り住んだ人々の
居住地が、対岸のスルジ山麓に形成されたスラヴ人の集落と結合し、一つの都市として
発展していったと説明されることが多い セルビアはユーゴスラビアが解体したせいで内陸国になってしまったな 重要な港湾は殆どクロアチア側に帰属したからな。
ポーラ/プーラ、フィウメ/リエカ、ザーラ/ザダル、スパラート/スプリト。 クロアチア紛争でユーゴ勝利の暁にはモンテネグロがドゥブロヴニクを併合する予定だったのは黒歴史 モンテネグロだけど王室の現当主を”儀礼時における自国の代表“として
迎え入れてんのね。 モンテネグロの自国語表記Crna Gora だけどCrnaって
英語発音だとサーナになるんかな。 ボスニア出身の女性歌手ヤドランカ、おととしお亡くなりになってたとはorz >>577
セルビアとの違いを全面に出すのはそれが一番だからね
でも立憲君主国家にする気は全くないと思う、ジュカノビッチが大統領と首相を行ったり来たりできなくなるからね >>575
ミロシェビッチって東欧からドイツ人が追放されるハメになったヒトラー並みに最悪やな そういやセルビアでも王族一家(カラジョジェヴィッチ家)がセルビア本国に住んでるけど,
モンテネグロみたく”儀礼時における自国の代表“として迎えてるんやろか。 アルバニアの王族の結婚式に参列したセルビア王室当主(写真右端)&
モンテネグロ王室当主(写真左端)
ttp://www.royalfamily.org/royal-couple-at-royal-wedding-in-albania/ >>582
人気がない
国外逃亡してずっとイギリスのスイートホテルに籠ったまま終戦 南スラヴつながりでブルガリアの話題もあがってたんで・・・
かのアンドレ・ザ・ジャイアントがブルガリア系だったことをつい最近になって知りますたorz オスマン帝国支配時代のベオグラードは、街のあちこちにミナレットが立つ、
今よりもずっと東洋風の都市だったらしいな
19世紀以降、欧化政策のせいで西欧風の街になった ペータル1世ってセルビア国王となる以前にジョン・スチュアート・ミルのセルビア語訳も
手掛けてたのな。 バルカン諸国では、自治や独立が達成されると
国外から公や国王を招聘する例が多かったが、
セルビアでは蜂起の指導者が公位に就いた
その点で他のバルカン諸国とは異色 『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』(塚本哲也、文藝春秋)に、
「セルビア人は気性が激しく、命知らずで誇り高く、ナショナリズムに燃え、
何を仕でかすか分らない民族として知られていた」
とあるが、セルビア人に限らずバルカンの諸民族はみな似たような感じだろ 農夫上がりということで他の国々からバカにされたんやろか>セルビアの君主 この間のスロベニアの選挙で反移民政党が第一党になったが安定多数には遠いので多分強行策は取れない 暗殺教室の○ッ○先生(伏字)のネーミングは旧ユーゴのサッカー選手にちなんでるっぽい 冷戦時代、トリエステには多くのユーゴスヴィア国民が
西側製品の買い出しのために来ていたな 関税逃れのためにジーパン重ね着で税関突破しようとしてたユーゴ国民が結構したそうな
ユーゴのパスポートは80年代までは優れもで西側との行き来も自由だった アルカン(セルビアマフィアのボス)は冷戦時代、西欧で
凶悪犯罪を繰り返してきたっけ 冷戦中の西欧人にとってのユーゴってどんなもんだったんだろう
日本ではユーゴの印象は他の東欧共産国よりややよかったと聞くけれど 前も書いたが80年代までは良かった
ユーゴ内戦で全部おじゃんでセルビアは世界の悪魔に
思えばこの国は優れた外交感覚やシステムがあった訳ではないことはミロシェビッチ時代で証明されてる
朝起きてから各国の新聞を20誌ぐらいチェックするのが日課だったチトーありき 第一次世界大戦前のセルビアには黒手組(統一か死か)という過激派組織があったな
大戦を起こしたのはオーストリアだけど、そこに至るまでの過程を調べてみると
セルビアも結構アレだ マケドニアが「旧ユーゴスラビアマケドニア共和国」から北マケドニアに改称するそうな
ギリシャもこれで文句は言わんそうだ マジかよwwwww
確かに単なるマケドニア人を名乗るのは図々しいにも程があるがな 「旧ユーゴのマケドニア共和国」からコブ付きとは言えマケドニアを名乗ることを許したのはギリシャ側の結構な譲歩
EUからマケドニア入れておきたいからはよ折れろと圧力があったようで >>597
チトー時代、有力な共産党員は民族主義反対のポーズをとっていたというけれど
結局はみな偏狭な民族主義を剥き出しにしているしね…
仮にも70年以上続いたユーゴスラビアという国家に対してアイデンティティの形成がこれほど希薄だったとは >>602
ソ連人というアイデンティティも希薄だったな バルカンは、キリスト教世界から見てもイスラーム世界から見ても辺境なんだな
西欧がバルカンに興味を持つようになったのは、ロマン主義の時代、
ギリシアの周辺地域としてだったし 第二次大戦後〜50年代の旧ユーゴ国内ってウスタシャ残党の
テロ活動に悩まされてたんかね? UDBAの無裁判殺人が認可されてた時期なんでそんな事はできない、治安維持のためなら怪しいというレベルでも問答無用で投獄
48年の時点でもアメリカ国務省は「コミンフォルムを追放されても政情の悪化は見られない」と報告出してる クロアチア作成のユーゴシークレットサービスのドキュメンタリーがあるが戦後すぐにチェトニックが19箇所でテロを図ったが全部阻止されたらしい
ウスタシャももちろん狙ったが大半が即射殺されて運悪く生き残った構成員が激しい拷問にとても耐えきれずに逆に機密を吐かされた
UDBAは恐ろしく優秀 ユーゴ初期の粛清は結構エグい
「国家の敵」粛清は56万人ほどやったというのはランコビッチの弁 コミンフォルム脱退後は粛清の矛先が国内のスターリンシンパへ… 秘密警察職員とか共産党関係者ってユーゴ分裂後は民族主義者や民衆の報復に遭わなかったのだろうか?
特に混血者だったりすると行き場がなさそうだけど >>610
秘密警察関係者は分裂後のだいたい失脚してないし年金生活で悠々自適
トゥジマンでも秘密警察の犯罪については深く詮索を避けてる トゥジマンがユーゴに疑念を持ったのは家族が戦後すぐに他殺されてて捜査がすぐ打ち切られたのを秘密警察の仕事だと疑った所からなんだがそこは堪えてるんだろう
若い頃に在り方に反抗してたクロアチア独立国の再評価にも舵を切ったし「クロアチア独立」を是が非でも達成するために色んな矛盾を抱えた人物でもある 旧ユーゴの二大地域をスペインにたとえると
セルビア=カスティーリャ
クロアチア=カタルーニャ
っぽく見えんくもないように思えてきた。 チトーの父親の名前ってトゥジュマンの名前と同じ“フラニョ“だったのね。
>>612
トゥジュマンだけど家族が殺されなくてもいずれは民族主義に走ってたんかな? >>611
トゥジマンの念願だったWW2中のパルチザンの戦争犯罪の開示にはUDBAの内通がどうしても必要だったんでそこは便宜した
今でも機密資料の大半は共産主義者同盟後継のクロアチア社民党の手の中にあって読めない チトーの自伝読んでると意外と若い頃はクロアチア民族主義的な考えをしてる
立場が上がるにつれてだんだんとバランサー的な態度になっていく ワールドカップカップのセルビア対スイスでコソボを追われたアルバニア系移民の選手に点とられてセルビアが負けたそうな ブルース・ブラザーズのジョン・ベルーシがイタリア系ではなく
アルバニア系だったことをつい最近知りますたorz >>616
母親はスロベニア人というのを聞いていたせいか最初から汎ユーゴ的な人物だったと勘違いしていました
スロベニアのルーツを持つ混血であることにあまり感傷や葛藤は無かったのかな? >>620
そういう葛藤はほとんど無かったな
戦争行って帰ってきたら地元が訳わかんねぇ国になってて困惑してるのが面白かった、おそらく当時の若者の偽らざる感想なんじゃないかねそれが
憎しみに駆られる人間が出てくるのもさもありなん >>621
その頃の東欧人は自分のアイデンティティや感性に反して国境線やら支配体制やらが目まぐるしく変わって混乱したんだろうね
チトーの芸術関係の趣味哲学とかについて何か書いてあった? >>622
ウィーンの軽音楽が好きでクラシックならベートーベンとチャイコフスキー
絵はルネサンスが好きで近年ならドラクロワ、社会主義リアリズムは全く絵になっちゃいないと酷評
芸術関係はこんな感じ ああ、あとオーストリアの文化は愛してるけど二重帝国は大嫌いで早く崩壊してほしかったみたい ユーゴ崩壊に一番未練がないのはクロアチアなんだがイストリア半島では未だに違うらしい
歴史上クロアチアが統治してた時期がほとんど無いから民族主義に共感できない イストリア半島あたりの人はセルビア人との間に葛藤が無いから、時々ベオグラードの言葉を聞くとあーいいな懐かしい、くらいにしか思わないみたいね まあスロベニアとクロアチアは先進国の一部だったというプライドがあるからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています