【ユーゴスラヴィア・南スラヴ】 について
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最近学び始めたんだが、奥が深い。もっと見聞を広めたい。
世界史板なら詳しい人もいるだろうと思って。
興味あるけどよく知らないって人には分かる範囲で俺が答える >>602
ソ連人というアイデンティティも希薄だったな バルカンは、キリスト教世界から見てもイスラーム世界から見ても辺境なんだな
西欧がバルカンに興味を持つようになったのは、ロマン主義の時代、
ギリシアの周辺地域としてだったし 第二次大戦後〜50年代の旧ユーゴ国内ってウスタシャ残党の
テロ活動に悩まされてたんかね? UDBAの無裁判殺人が認可されてた時期なんでそんな事はできない、治安維持のためなら怪しいというレベルでも問答無用で投獄
48年の時点でもアメリカ国務省は「コミンフォルムを追放されても政情の悪化は見られない」と報告出してる クロアチア作成のユーゴシークレットサービスのドキュメンタリーがあるが戦後すぐにチェトニックが19箇所でテロを図ったが全部阻止されたらしい
ウスタシャももちろん狙ったが大半が即射殺されて運悪く生き残った構成員が激しい拷問にとても耐えきれずに逆に機密を吐かされた
UDBAは恐ろしく優秀 ユーゴ初期の粛清は結構エグい
「国家の敵」粛清は56万人ほどやったというのはランコビッチの弁 コミンフォルム脱退後は粛清の矛先が国内のスターリンシンパへ… 秘密警察職員とか共産党関係者ってユーゴ分裂後は民族主義者や民衆の報復に遭わなかったのだろうか?
特に混血者だったりすると行き場がなさそうだけど >>610
秘密警察関係者は分裂後のだいたい失脚してないし年金生活で悠々自適
トゥジマンでも秘密警察の犯罪については深く詮索を避けてる トゥジマンがユーゴに疑念を持ったのは家族が戦後すぐに他殺されてて捜査がすぐ打ち切られたのを秘密警察の仕事だと疑った所からなんだがそこは堪えてるんだろう
若い頃に在り方に反抗してたクロアチア独立国の再評価にも舵を切ったし「クロアチア独立」を是が非でも達成するために色んな矛盾を抱えた人物でもある 旧ユーゴの二大地域をスペインにたとえると
セルビア=カスティーリャ
クロアチア=カタルーニャ
っぽく見えんくもないように思えてきた。 チトーの父親の名前ってトゥジュマンの名前と同じ“フラニョ“だったのね。
>>612
トゥジュマンだけど家族が殺されなくてもいずれは民族主義に走ってたんかな? >>611
トゥジマンの念願だったWW2中のパルチザンの戦争犯罪の開示にはUDBAの内通がどうしても必要だったんでそこは便宜した
今でも機密資料の大半は共産主義者同盟後継のクロアチア社民党の手の中にあって読めない チトーの自伝読んでると意外と若い頃はクロアチア民族主義的な考えをしてる
立場が上がるにつれてだんだんとバランサー的な態度になっていく ワールドカップカップのセルビア対スイスでコソボを追われたアルバニア系移民の選手に点とられてセルビアが負けたそうな ブルース・ブラザーズのジョン・ベルーシがイタリア系ではなく
アルバニア系だったことをつい最近知りますたorz >>616
母親はスロベニア人というのを聞いていたせいか最初から汎ユーゴ的な人物だったと勘違いしていました
スロベニアのルーツを持つ混血であることにあまり感傷や葛藤は無かったのかな? >>620
そういう葛藤はほとんど無かったな
戦争行って帰ってきたら地元が訳わかんねぇ国になってて困惑してるのが面白かった、おそらく当時の若者の偽らざる感想なんじゃないかねそれが
憎しみに駆られる人間が出てくるのもさもありなん >>621
その頃の東欧人は自分のアイデンティティや感性に反して国境線やら支配体制やらが目まぐるしく変わって混乱したんだろうね
チトーの芸術関係の趣味哲学とかについて何か書いてあった? >>622
ウィーンの軽音楽が好きでクラシックならベートーベンとチャイコフスキー
絵はルネサンスが好きで近年ならドラクロワ、社会主義リアリズムは全く絵になっちゃいないと酷評
芸術関係はこんな感じ ああ、あとオーストリアの文化は愛してるけど二重帝国は大嫌いで早く崩壊してほしかったみたい ユーゴ崩壊に一番未練がないのはクロアチアなんだがイストリア半島では未だに違うらしい
歴史上クロアチアが統治してた時期がほとんど無いから民族主義に共感できない イストリア半島あたりの人はセルビア人との間に葛藤が無いから、時々ベオグラードの言葉を聞くとあーいいな懐かしい、くらいにしか思わないみたいね まあスロベニアとクロアチアは先進国の一部だったというプライドがあるからね オーストリアからスロベニアに入ると途端にヘビースモーカーが増えてバルカン世界に入ったのをしみじみ感じるけどな トゥジマンが生きてる頃でも強硬な民族右派だったクロアチア民主同盟がイストラ郡選挙区では全く議席が取れなかった
地域政党イストリア民主同盟はチトーの時代を否定しないので通りの名前とかに共産主義政権時代の残滓がまだ残ってる >>625 >>629
クロアチア民族主義者から裏切り者扱いされることもあったんかな
>イストリア半島のクロアチア人でクロアチア民族主義に積極的ではない人たち >>630
そりゃもうな
トゥジマンに連日メディア攻勢をかけられたがそれでも陥落しなかった
沖縄とか大阪の維新とかの次元じゃないぐらい強固な地域主義 ユーゴやチトーという枠組みの恩恵を受けたという意識が強いんだろうか?
イタリア化を防いでくれたからとか? どう歴史を振り返ってもクロアチア独立国は何一つイストリアの解放には絡めてないからな、あそこのクロアチア人を解放したのはパルチザン以外の何者でもない
あとマイノリティ対策であの辺はイタリア語を公用語に盛り込んだがトゥジマンかそれを守るか怪しかったのでイタリア系住民にも嫌われた
そういうイストリアの住民の為に用意されたのがイストリア民主会議 地理にあまり詳しくなかった頃,スロヴェニアは海に面してない
内陸国だと思ってますた。
でもイストリア半島の一部はスロヴェニア領だったんですね。 逆に旧ユーゴのクロアチア人地域の中で最もクロアチア民族主義が
強いのってどこなんだろ? >>635
ブコヴァルとかあの辺のセルビア国境に近いゾーン
クロアチア紛争で一番被害を被った所なんで なぜか知らんけどボスニア=ヘルツェゴヴィナのクロアチア人地域も
クロアチア民族主義が強そうなイメージがあった
ウスタシャのパヴェリッチが同地の出身だったりボスニア紛争時に
セルビア人勢力と血みどろの争いを繰り広げてたりってのがあった
からだと思ふけど >>636
同地のセルビア人(クロアチア国籍)もゴリゴリのセルビア民族主義 あのシェシェリのボスニアのセルビア人居住区出身なんでどうも本国から外れた奴は極端な思想に走りやすい ワールドカップブラジル行きが掛かった試合でボスニアサポーターの横断幕に「助けてくれチトー」って
横断幕があったらしい ボスニアで一緒に暮らしてるクロアチア系やセルビア系には恨みがあっても、
統治者チトーは良い思い出として記憶されてるってことなのかなボスニア人には ボシュニャクだけはそうだろうね
スルプスカは未だにシェシェリ級の民族極右がウヨウヨしてる ウスタシャによるクロアチア独立国ではボシュニャクの閣僚もいたのね
ttps://en.wikipedia.org/wiki/D%C5%BEafer_Kulenovi%C4%87
>>641
ボスニアだけでなくセルビア本国のセルビア人やクロアチア本国のクロアチア人に
対する憎しみも深いんかね>ボシュニャク まあ当のチトーはクロアチア本国のクロアチア人ではあるけど ボスニアはチトーみたいなコスモポリタン的人物が多いな。
オシムやハリルホジッチ(母親セルビア人)もそうだし。 >>643
クロアチア独立国ではイスラム教徒もクロアチア人扱いだった どう頑張って再評価しようとしてもウスタシャは無能
過度に苛烈な殺戮を行った結果初動で大量にパルチザン参加者を増やして自分たちじゃ治安維持もおぼつかなくなってドイツSS部隊にご出陣願った腑抜け あとさぁ、ボスニア山間部の治安を早期に失った結果ダルマチア沿岸部が常に脅威にさらされてイタリア軍にまで迷惑かけてるのこいつら
マジでクロアチア愛国オナニーぐらいにしか使い道がないゴミだったとまで言っていい ウスタシャの残虐ぶりにはドイツ軍も唖然となったんだっけ >>649
そうだよ
あといずれコントロールできない存在になるとも追記されてる 統治しやすいように傀儡国を用意したのにこいつらは何をやってるんだという呆れも見てとれるよ パヴェリッチやミハイロビッチみたいな売国奴を持ち上げないと独立の正当性を主張出来ないというのも惨めな話だなと思う 浦和レッズのズラタン・リュビヤンキッチと大宮や名古屋でプレーしたミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチってセルビア人だったんだな
スロヴェニアを知るための60章に書いてあって驚いたよ サッカー元スロヴェニア代表のレジェンド、ズラトコ・ザホヴィッチもセルビア人だね
Wikipediaの英語版に記載されてる
元々旧ユーゴ内では冬季スポーツが強くて球技は弱かったスロヴェニアだけど、セルビアやクロアチアやボスニアからの移民のおかげで近年は球技の強化も進んでる マケドニアだけはクソ弱いな
コソボは皮肉なことに紛争で移民した奴らの二世の活躍が目立つ セルビアと対戦し物議をかもしたスイス代表
ジャカとシャキリ=コソボ
のほかにも
監督ペトコビッチ=クロアチア
セフェロビッチ=ボスニア
ドルミッチ=クロアチア
(ジェマイリ=アルバニア)
と、セルビアが「スイスにだけは負けるな」というのも分かる布陣 >>655
セルビアからの移住者って独立後のスロヴェニアでは迫害を受けてないんやろか?
クロアチアと違ってスロヴェニアはセルビアとの接点や直接的な利害関係が薄い
イメージ(違ってたらスンマセン) スロベニアのセルビア人は普通に溶け込んでいるイメージ
リュブリャナ中心街にセルビア正教会がある
なおクロアチア、ボスニアなど他のユーゴスラビア系も同様
あまり民族主義が強くない スロヴェニアは歴史が浅いの
なんたら王国とかが大昔にあった歴史が存在しないので極端な奴が生まれにくい スロヴェニアは国民の9割がスロヴェニア系で
旧ユーゴ紛争のときにもクロアチア以南よりは戦争が小規模かつ短期間で終結したから
その後も民族間対立が深刻化せずに済んだ事情があるね スロヴェニアは経済的にも他の国と比べると豊かだし、西欧社会との繋がりの方が濃い >>660
この地域の揉め事はだいたいそれだよね
なんたら王国の最大版図を自分の領土だ‼と主張して紛争になるパターン
ある意味スロベニアは冷めているというか Wikipediaの英語版確認したが、バスケのスロヴェニア代表だと中心選手のドラギッチとドンチッチの父親がセルビア人
サッカーだとインテルミラノのハンダノヴィッチがボスニア移民のムスリムなんだな
移民を積極活用してスポーツの強化を図る国は多いけど、スロヴェニアの場合は旧ユーゴ内からの移民限定なのが面白い スロヴェニアの民族居住のキリがやけにいいのも「民族の定義」をごく最近新設したからなんだわ セルビアからの移住者VSクロアチアからの移住者
セルビアからの移住者VSボスニアからのボシュニャク移住者
セルビアからの移住者VSコソヴォからのアルバニア系移住者
…
むしろ移住者間での民族対立が激しそう>スロヴェニア 旧ユーゴ時代に”ユーゴスラヴィア人”を自称してた人達,
崩壊後も旧ユーゴ内にとどまってるとしたらスロヴェニアとか
クロアチアの中でも民族主義の薄いイストリア半島あたり
なんかな? スロベニアは意外と社会主義政権時代を否定しない
まぁクロアチアの次点で独立肯定が多いんだが崩壊の震源地の割には意外と低調とも言える(肯定が過半数いかない) 博物館にチトーの胸像とユーゴスラビア国旗が掲げられてるよ@スロベニア 分裂当時ユーゴから一番抜けたがってたのはスロベニアだと思ってた チトーの名前を通りとかに使うのは違憲だという判決をスロヴェニアは出してるが従わない自治体だらけで改名は進まないらしい 既に定着しているチトー関係の地名も変更しなければならないということ?
現憲法だと反ユーゴ条項みたいなのあるのか wiki英語版に記事があるよん
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Tito_street_decision_in_Slovenia
2009年にわざわざチトーの名を冠した通りを作ろうとしたことに対する判決なんで既存の通りに関しちゃグレーのま明言を避けた形 戦後のチトーの「人権侵害」が争点なのかな
従来の地名まで手を出してたらキリがないんだろうね コソボでのユーゴ共産党の組織作りは戦前からいまいち熱心じゃない
コソボ出身の大幹部だって居ないしアルバニアにくれてやる気だった説もある 初代コソボ共産党書記長はアルバニア共産党結党に派遣した奴をついででやらせてる
チトーらしからぬ杜撰さなんだよねこの辺 コソヴォの故・ルゴヴァ大統領、旧ユーゴ関連の本でこの人を
知ったけど線の細いインテリって感じだった。 チトーは元々アルバニアを合併するつもりだったと聞く。それがスターリンにバレてソ連と対立。ギリシャに関しても同様で今のマケドニア問題へと繋がると。 バルカン連邦構想だな
ブルガリアやギリシャやアルバニアと組んで長年紛争の元になってた国境線を引き直すつもりだったが頓挫した 民謡だけでもいいけど、メディアプロモでいろいろ見聞きしたいよなあ。 ホッジャはチトーがコソボで約束を違えたと批判してるな
発言元がホッジャなんでアレなんだが 冷戦中ハンガリーがトランシルヴァニア問題で同じ東側のルーマニアを徹底批判してたように
アルバニアもコソヴォを我々に返還しろとか文句言ってたの? チトーがコソボのアルバニア譲渡の約束を反故にしたというのはホッジャの言い分
もちろんユーゴは認めてないが いっそチトーがコソボを譲渡しておいた方がユーゴ国内の南スラブ率が高くなってよかったのにな 「日本で言うと京都が別の民族に占拠されてるようなもんだぜ?」と説明したセルビアのサッカー選手がいたようないなったような
チトーと言えどここをパージするのは難しかったと思われる 6世紀にもなってバルカン半島へ不法占拠しにやってきた南スラブ人どもが、
イリュリア時代からのバルカンの住人アルバニア人に何ぬかしとる?
偽マケドニア人といい、なんて図々しいやつらだ!!とか思ってそう イリュリア運動ってのがあったな
クロアチア人が南スラブ人じゃなくてイリュリア人だと勘違いしてた時代があったがのちのちの南スラブ統一運動にも繋がる 第一次大戦後に発足したセルボ=クロアート=スロヴェーン王国だけど
クロアチアやスロヴェニアではキリル文字の強制などのセルビア化が
図られたりしたんかね? 強制つうか元々クロアチアではキリル文字やグラゴル文字も併用されてたけどな
(民族主義高揚でセルビアとの違いを際立たせる為)ローマ字だけになったのは本当にここ最近だよ https://i.imgur.com/2rqVfor.png
クロアチア語で面白いことに気付いた
シュト方言が話される地域では民族右派のクロアチア民主同盟の党勢が強いがカイ方言やチャ方言の地域ではそうでもない
イストリアで弱いのは上でも言ったが北の方のザゴリエ辺りもあまり勝てない ザゴリエはチトーの故郷だね
川向こうはスロベニア
本人もハーフ スロベニアって元神聖ローマ帝国だからもしかしてドイツの一部になりたがってたりする? スロベニアはユーゴにせよEUにせよ、小国でありながらキャスチングボードを握れるポジションにいたがる向きがあるから、ミロシェビッチ→独立の時もそうだが大国に吸収される立場は望まないだろう。 バイリガル、トリリンガルがざらにいるがスロベニア語をやめないのがスロベニア人だよ
プライドほ高い スロベニア語とクロアチア語ってどこまで違うんだろう?
カトリックの南スラヴという点では共通しているのにここまで民族識別されているということはよほど言語形態が違うのか
スロベニア語は印欧語族やスラヴ諸語の古い形態を残しているというけれど スロベニア語は山地の言葉が基準だから離れている
標準としている言語がクロアチア、ボスニア、モンテネグロ、セルビアは平地の言語「シュト方言」で同じ サッカーまたクロアチアがベスト4か
セルビアは面白くないだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています