生け贄について
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農耕文明は当然のことながら狩猟文明の後だろうから、狩猟文化に於ける獲物の解体に伴う儀礼からだろうな。
生け贄それはキリスト以降西洋宗教最大のテーマなのではないでしょうか
日本において生け贄文化はあまり発達しなかったと思いますが
いずれ生け贄文化と対面するときが来ると思われます >>5
生け贄文化は西洋ほど発達、宗教、習慣に組み込まれなかったという意味です
日本史上にまったくなかったなどとは言っていない 日本は人柱やりまくりで、到底西欧の非をあげつらえる立場じゃないと思うぞ。
>>3
諏訪などの地方で鹿や猪(元々「狩り」と言えば鹿狩り、拡大しても鹿・猪
狩りを指した)を捕え、神前の俎板の上で解体し、調味料も添えたもので、
当然と言えば当然ながら、「食べる」ための行為でしたからね。
日本でも猟師は山中で解体した際に獣の内臓を食べ、平地の人々が漠然とキ
モやハラワタと呼んでいた部位を呼び分けていましたが。
要するに、狩猟で得た獲物を食べられるようにして神に奉げたもので、田畑
で得たものを餅や飯にして奉げるのと、本質的には変わりが無い。
かつては人間を奉げていたのを止めて鹿や猪にしたという話がありますが、
実際に人を奉げていたという明確な記録はないようです。
土木工事(特に水に関わるもの)で人を人柱として埋める行為よりも、この
手の解体・神と人との共食の方が古いように見えます。
弟橘姫が入水されたなどの、「神に魅入られた人、もしくは物」があったの
で水に入れざるを得なかったという話は古代からありますが、こちらは中国
からの移入かもしれません。
平清盛の経島や毛利元就の百万一心などは、人柱の代わりに文字を刻んだ石
を埋めたという美談ですが、こちらも実行された確実な記録はない筈です。
類似したものとして、古代には人を殉死させたのを埴輪に代えた(提案者が
菅原・大江・秋篠氏の祖である土師氏)という話もあるのですが、これまた
美談を作るために「野蛮な往古の時代」を描いたものかもしれません。
儒教(『礼記』など)にも見えるように、中国的美談ですし。 >>8
朝鮮よりはマシだろ?
てか日本ディスるのやめね? 一応、『魏志倭人伝』には卑弥呼死亡時に殉死者が出された話がありますが、
墓が見つかっておりませんので、現時点では確認不能ですね。
近世初期の殉死となると、生贄とはまた異なる。
卑弥呼の話で思い出しましたが、ヘロドトスがスキタイの有力者が亡くなっ
た場合、妾(正妻ではない)以下従者や料理女を殉死させて同じ墓に埋葬し、
更に一年後に墓の周辺で戦士と馬を複数死なせたと書いています。
実際、発掘結果からも共同で葬られた遺体が見つかっていますね。
殉死者は全員が絞め殺されたという話です。 ミトラ教、ユダヤ教、キリスト教あたりの生け贄についての考え方を知るためにオススメの本とかありますか? うちのばっちゃんも仏壇にご飯供えて、そのあと冷めたお下がりをくってるが
これも生贄の名残というか、マイルドにマイルドになった結果なのだろうか
これは、死者もご飯を食べるだろうという考えなのか
生前と同じように米を出すことによって、習慣を持続させ死別の悲しさや仕事量の減少からくる寂しさなんかを紛らわせる意味なのだろうか
神に人や牛を捧げる行為とは根本から違うような気がする
そもそも 生贄の儀式とはよく言うが
いつから生贄と儀式は一体化したのだろうか
デモンストレーションとしては、
・殺すということの派手さ
・人、牛などの重要なものを消費する主催者の太っ腹
・それを消費したのだから、効果も期待できるはずだ という倒置的期待
などの要素があるから、儀式の目玉として人々に見せるほうが都合がいいこともあるのだろう
スポーツ ギャンブル 破壊 宗教 振る舞い など いろんな要素が詰まってるな
いろんな文化や美学が生贄の儀式を起源としているのかもしれない
マグロの解体ショーとかの現代の生贄の儀式なのか
逆に要らないものを捨てるための生贄なんかは秘するのかな フェニキアとか 昔テレビで日本の子供たちがどっかの部族にホームステイする番組あって、
その部族は客人に歓迎の食材にする子豚をヤリで突かせるんだよ。
真面目で大人しそうな小学高学年の女の子もやらされてて、
泣きながらやっている姿は見てられなかったな。
ああいう異文化交流の仕方ってどちらにも得はないなと思った。
同じ地域の他部族同士ならなんらかの意味もあるかもしれないが ああいう儀式の絵面は強烈な印象を残すな。
テレビで観ただけなのにあの場面の記憶は、
他の懐かしい番組の記憶とはなにか強烈に違う感覚がある 生け贄というか人柱の話
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/43634_47041.html うるるん滞在記だったと思うけど、
由紀さおりがどこかの国で屠殺見て泣いていた記憶がある
由紀さおりは、
「泣くなんておかしいよね、普段から肉を食べているのに」
みたいなことを言っていた。
生命の根元にかかわるから生け贄の儀式だったり、
生物の命を断つ場面はなにか人の心に訴えかけるものがある
こんなことを考えてしまうオレは出家でもしたほうがいいのだろうか 本来共犯者のくせに自分だけ潔白だと思い込んでさんざん肉を貪り、たまにそういう場面に出くわすと泣くとか…
昔の生贄なんかより屠殺場で毎日何千何万と牛や豚を機械的に殺す方が残酷だわな。
肉喰いたきゃ殺されるものの悲しみぐらい共有するのがせめてもの礼儀。 >>21
言ってることは正しいがなかなか実感湧かないよ
スーパーで見るカット肉や調理品しか知らぬ身では >>21
中学生か?
思春期の妄想レベルの話なら他所でやってくれ 残酷です。それでもそれを残酷とひと言で片づけてしまったらその文明事態を見失います
なんて建前をまずいって。それでもオモロイつうか、それがどこの文明もふつうに
歩んでいる営みで。平安時代の陰陽道、式神も共通する自然への畏敬の念だと思うね
西洋の魔女狩りだって残酷さは生贄の単数を上回るものがある。これも結構近々まで行われていた
その本質、此処の文明はそれぞれ異なるし、其処に結構な発見とかあってそれを見るのが好きだな
たとえばちょっと違うかもしないけれど、錬金術とかさ。これも一風変わった自然へのあこがれが原点だったのではないっかってオモフ
生け贄の儀式はそれに参加する者にどのような影響を与えるのか?
または生け贄の儀式とはなにを意図して行われるのか?
に興味があります >>24
お前が言い過ぎっつかさ、21の意見、これこそ生贄の原点なんだよ。
この幼稚さ、ごめん、其処に自然への恐れを持った。だから供物をささげるという
発想になったんだ。京都の板前さんだって、いつも殺生をしている、故に
罪の意識を持って神に手を合わせる。これはね、ふつうに古来からの
人間の営みで 生贄というと中南米のアステカ文明は一日に一度
生贄の心臓を太陽に捧げていたそうだが怖いな >>27
どう見ても現代日本人の価値観を刷り込まれた子供の意見だろ
和製仏教や、戦後食糧難が産んだ食料観、畜産業者の方便
なんかが入り混じってる。
とても人間の原点とはなどとはいえない。古来よりの営みとも。
それに生贄に罪の意識はつきものではない。 確かに豊穣を祈る儀式と思うよ
神が糧を与え賜うた、それに感謝をささげる根源に
許しも請う意識はあったと思う。
菅原道真、崇徳院、平将門の三大怨霊を祀った、
あれは神の怒りを恐れた、そうばっさり切り捨てられてもな。
自然への畏怖、凶作の度にそれを神の怒りと思ったはずだ 古代中国では、羊がよく生贄にされた。
羊を捧げるのはよいこととされ、「善」「義」「美」「祥」などの文字ができた。
善は羊+言で、羊を捧げて神判のお告げを得ること。
義は羊+我で、羊を大きな刃物(我)で解体すること。
美は羊+大で、羊の全身、ないし大きく肥えた美味なる羊。
祥は示+羊で、神の前の机に羊を捧げてよい結果を得ること。
ほかに鮮、養、羨、羞、儀、議、詳、群、翔など、羊部の漢字は多い。
羌は羊飼い(羊+人)で、姜はその姓(母系部族)である。
殷商では羌を家畜扱いして人身供犠を行っていたが、周は羌と結んで商を倒した。
また牛も生贄とされ、犠には牛も羊もいる。
諸侯の盟主は牛の耳を切って皿に血を満たし、これを飲み合って盟約の証とした。 狩猟民族であるアイヌは熊祭を行ったが、これは殺される熊の霊を慰撫して、神々の世界に帰す儀式である。
もしこの儀式をしないなら熊の霊が悪さをして、次の獲物を邪魔するだろうという恐れや不安があったんだと思う。
生贄の場合、慰撫する対象が熊祭のような獲物ではなく、別の神になるから生贄にされる生物は手段と見なされて共感は減退する傾向にある。 へえ、教えてくれてアンガト。
それで質問していい、信長が浅井長政を髑髏の飾りにしているの。
杯というのが小説家が書いて以来そっち通説になっちゃったけど、ほんとはそうなのね
資料文献はそっちを指す。でさ、世界史版だろ、此処さ。モンゴルとか
狩猟民族にそんな風習めく話あるのかしら。生贄のおどろおどろしさとも相通じるものがあるかな
教えてくれる? 髑髏杯は、スキタイの昔からユーラシアに伝統の風習
匈奴の冒頓単于は月氏の王を、柔然の豆羅伏跋豆伐可汗は高車王の弥俄突を、
ペチェネグ人はルーシのスヴァトスラフ1世を、サファヴィー朝のイスマーイールはシャイバーニー朝のムハンマドを髑髏杯にした
また北欧神話にも、鍛冶師ヴェルンドがスウェーデンの王子二人を殺して髑髏杯にしたとある
「戦国策」には趙襄子が智伯の髑髏を杯にしたとあり、信長の話はこれに取材したものかも知れない >>34
ありがとうございました。何せ物をまったく知らずに小説家を目指しています
歴史物を書ける知識は持ち合わせがございません。それでも小出しにあれこれ
致したく、執筆の暇つぶしとネタの仕入れに、世界史版なぞ無理もいいところも
お邪魔をして突っ込みました。戦国時代に興味があります。ただ小説を書くには
あれこれ関連付けます。世界的視野で物事をとらえたい、またまたお邪魔をさせていただくかもしれません。
非常に勉強になりました。心よりお礼を申し上げます。
前のレスですがキリスト教が脳裏によぎって、罪云々の言葉を乗っけてしまいました。
神への恐れおののき、家の近所にも菅原道真公の天神様がありますが、似ているようで、少し違いました。
あくまで神の祟りを恐れた、それがために人類はよからぬ妄想に突っ走り魔女狩り等の
騒ぎにもなったような、今歴史を鑑みるに過去に思いをはせます。ついでにこっちも訂正、謝罪します。
生け贄文化には自然への感謝と人間の業、原罪の自覚といった、
どちらかというと善い(とされる)方面の精神性と、
スケープゴート的な悪い(とされる)方面が見え隠れしてるな〜 ランゴバルド族の王アルボインはゲピド族を滅ぼして王の頭を髑髏杯にし
ブルガリアのクルム可汗は東ローマ皇帝ニケフォロスの髑髏杯を作ったという(後者は後付の伝説らしいが)
またヒンドゥー教や密教では、頭蓋骨の眉から上を切って髑髏杯(カパーラ)を作ることがあり
シヴァ神やカーリー、明王や憤怒尊が、よく血を満たした髑髏杯を手にして血をすすっている >>37
引き続いてありがとうございます。次回作は他をいきますが、その次あたり、またいきたい!
歴史はつきせぬ夢の宝庫です。これは絶対にまた書かせてもらいます。
つうか、才能ねえのね、俺、それでもオモロイだろ。信長の髑髏は
それでも、いい加減には書きたくありません。やはり史実を抑えたい、抑えられるか、そのからっぱ頭で、そういった話も
なくはない… お粗末です。
荒唐無稽は信条なのですが、時代、年代、そこいらの逸話をいい加減ですませたくありません。感謝です! ルネ・ジラールが論じている
しかしレビ記はやたら生贄の話ばかりだな なんで神はもしかしたら草食系だと考えなかったんだろうか カインは農産物を供え、アベルは子羊を捧げたが、
受け入れられたのはアベルの捧げ物だった 人は理想の秩序を求めるが自らを生贄とする者は稀である シナでは犬もよく生贄としたが、羊頭狗肉というように羊よりランクが低い
岳は山に羊の頭(丘)を供える形で、嶽は犬に言(祝詞)を添えて(獄)山に供える形
術は四辻に、述は道路に、就は城門(京)に、献は鼎に、器は器物に、犬を殺して捧げ清めることを表す
また人と犬を共に埋めて悪霊を祓い防ぐのを伏という 釈迦は生け贄を否定した聖人
これが仏教には無秩序無政府的な趣があることに通じるのではないか 昔、中国国家博物館展で見た殷商時代の四羊尊って青銅器の器は宇宙的と言ってもいい造型でヤバかったな。
羊が宝物って遊牧民的だよな。
釈迦も前世では飢えた虎にわが身を差し出したり
火の中に飛び込んで老人にわが身を食べさせたりしてたよね >>45
でも、もらうことだけは熱心だなww
古代インドは豊かだったから、乞食の宗教でよかったのかもしれないが
南伝のほうは、そういった伝統をわりと残しているけど、
寒いところでは、結局禅にまで行き着いてしまったww 生け贄と言えばドルイド教や古代ゲルマンの宗教も外せないしフェニキアのモロク信仰もある。 カルタゴはバアル・ハンモンで
アンモンでの信仰がモロクでしょ? >>50
H・クレンゲル著/五味亨訳 、「古代シリアの歴史と文化」には
モレクはおそらく供物として捧げられた幼児を受け取る神の名ではなくて、
むしろたとえば「奉献」あるいはそれに近い意味の宗教概念を表わす用語でしょう。
とあった 家畜を飼い馴らす知恵で、人間も飼い馴らすことができるかもしれない そう言えば、一度強姦すれば身も心も飼い馴らせると考えてたアホがいたなあ 強姦された被害者は一気に性格かわるらしいね
強姦や極端な暴行は飼い慣らしではない。
あくまでも家畜は労働力として働ける状態にあるべきだから >>54
そういや飼い馴らされてたかどうかは知らんが
アステカでは奇形の人間が動物園で飼われていたな。 民族の歴史的文化や知恵は悪用しようと思えばいくらでも悪用出来るな
ためになるスレだ ホロコーストって元々は獣を丸焼きにして神前に供える儀式を意味するユダヤの宗教用語なんだってな 古代アステカの「ウエイ・ミクカイルウイトル(死者の大祭)」
生贄になる奴隷の手足を縛り火の中に投げ込む
↓
焼け死ぬ直前に引きずり出す
↓
心臓を黒曜石のナイフで抉る
世界史で一番怖い生贄の儀式だわ どんな経緯でその生け贄儀式が生まれたんだろうな・・・ 焼け死ぬ直前っていう絶妙なタイミングの吟味に何回も何回も試行したのだろうか。 アステカは儀式をつかさどる神官がクスリでいっちゃってたから
どんどんサディスティックになっていったんだろうな >>61
生贄に麻薬を打ってから焼いたようだね。
火の神に関係する儀式だから焼いてるんだよな。
アステカの生贄だとピラミッドの上から心臓を取られた生贄を蹴落とすんだが
生贄がピラミッドの下に落ちてから「俺は死んじまった」だとか喋ったとかいう
のをスペイン人が聞いた逸話が残ってる。
生贄はすぐには死ねなかったようだね。
まあ何にしてもひでー儀式だった。 エリコの戦いやミデヤン人に対する等の聖絶は生贄の側面もある? 世界が破滅するかもしれんっていう恐れに駆られていたんだろう。 キリストそのものが人類への生贄だからな。
ただ向きが逆だよね。
神へ人類が生贄を捧げるか、
神の子が人類の生贄になるかの違いがある。 >>69 イスラム教は羊の生贄祭りがなかったっけ。クルバン・バイラムとかいう。あれはチュルク系の伝統儀式がイスラム化後も生き残ったのかな 生贄の呪術的意義というのは、生き物が死ぬ時に放出される強いエネルギーの利用。
一般に、生き物の種類によって、そのエネルギーの強さは変わるとされ、
また大型の獣は特に強いとされる。
スペインの闘牛なども、そうした考え方が大本にあるらしい。 バラモン教が生贄中心だが、
仏教もヒンズー教もそれは否定したでいいのか?
ユダヤ教は神殿にいろいろなもの捧げてたけど、
パウロはそういう律法は否定した。
現代ユダヤ教はどうなんだっけ?
イスラムも喜捨や礼拝は求めるけど、生贄はないよな? ホロコーストってもともとはユダヤ教で生贄の動物を丸焼きにする儀式の名前だったような イスラムだと、イード・アル・アドハーというのがあって、
家畜を一頭捧げて振る舞えというのが犠牲祭なんだな。
ハレの日の宴会の一種で逆にキリスト教だろうが日本だろうが、
これがない社会はないっぽいが。
むしろ、そういう生贄ない方がおかしいのか? 動物の生贄は古今東西腐るほどあるよな
日本の神道だって神前に鯛を供える
人間の生贄となるとかなり限られてくるが 神とか超越的な物に捧げる名目で宴会やって祭りやって、捧げ物食って、
羽目を外して緊張を解いて、社会を再統合しない文化は実質ないからな。
教理的にそういうのが必要ないキリスト教や仏教も、
社会がそれをやるのは黙認して実質認めている。
完全殺生戒のジャイナ教くらいか?
それでも、穀物や野菜は捧げてたりして。 柳田國男は諏訪大社で人間の生贄が神々に捧げられたと書き残しておる・・・ >>81
どうなんだろ
東京都神社庁の研修会に出たことあるが「神様のお食事」と説明してた。
生贄=神に捧げる犠牲と解釈すればやはり生贄か
鯛の尾が反ってるのは生きの良さを表してるというしね 仏壇に食い物供えんのも人柱のなれの果てではある。
お通夜も。冠婚葬祭は生贄とは切り離せない。古今東西。
スレの主題が、食い物一般か、人間かで違ってくるが。 いや仏教は生け贄の禁止こそが教義の根幹だよ。ぶっちゃけ他はどうでも良い。 >>82
ジャイナ教の本格信者は野菜、果物もまた生えてくる部分しか食べないからな。
タネや根っこは食べない徹底ぶり 今世界で流行ってる宗教って比較的新しい宗教なんだよな
それ以前の原始宗教は生贄を要求するものばかり
そういった宗教のあり方に疑問を持って産まれたのがキリスト、イスラム、仏教 神社の玉籤はもともと串に刺した人肉で、魂串と書く。
その死体解体は女性の役目だった。
巫女とは神子であり、女性ではなく、男性の専門職。だから神主は男だ。
神社の女性は市と呼ばれるケガレを受ける役目で(イザナミもそうであったように)死を受け持つ。
そのため、かつては占いなどで神宿りした市を殴り殺したり簀巻きにして障り(ケガレ)を川に流した。
水に流すとはこの事から来ている。
この起源はあまりに古く、由来は定かではないが
土偶や銅鐸・銅鏡を焼いて破壊し、埋葬した呪術性と同根であると考えられ、
同様の呪術はチュルクなど北方遊牧民、ケルト、オリエントなどに広く見られる。 ただ、現代人の感覚からすれば人肉供犠は野蛮に感じるが、これはむしろ世界標準だ。
現在でも東南アジアでは僧侶が自ら焼かれ、その肉を聖体として弟子や信者が食べる。
この儀式は(キリスト教徒は否定してるが記録は大量にある)原始キリスト教の聖体拝領と同じだ。
19世紀に至るまでキリスト教徒は聖遺物である殉教者のミイラを争って買い求め、食した。
十字軍の遠征はもともと、この聖遺物獲得のために企画された一面が強く、実際に多くの墓が暴かれ持ち去られた。
意地悪な見方をすれば人肉獲得の戦争であったも言える。
トマス・アクィナスも死体を鍋で煮られた
まあ食うためじゃなく敵対派に辱められるのを防ぐために煮溶かしたとか 資本家を労働者の生け贄にするのが共産革命
労働者を資本家の生け贄とするのが資本主義 教義上は否定しなきゃいけない仏教も現実には生贄、
お供え物認めてるしな。
イスラム教には生贄組み込まれてるし、キリスト教も、
クリスマスだハロウィンだ、生贄交換儀式、
異教のフェティシズムを取り込んでいる。 そろそろこのスレなりに、生贄の定義をしないと話がかみ合わなくなるんじゃない? >>93
中山太郎
>>95確かにね。
例えば、歩き巫女は立ち寄った村で捕らえられて人柱にされたなんて話もよくあり、それも供犠の一種。
現在のキリスト今日の晩餐で、牛肉のミンチをパンに混ぜてパイのように焼き、ちぎって食べるのも供犠。
インカの神殿で心臓を捧げるのは生贄だが、部族間抗争で日常化していた食人は違うのかどうか。
勇者の力を受け継ぐという意味で、発想は同根だけれど・・・・
さらに言えばグリム童話の「杜松の木」は食人だが、その根幹は遊牧民的父系社会の供犠体系が下敷きで
父に肝や股の肉をたべさせる中国の風習も供犠。
ならばお祝い事があると食べた堕胎児のスープはどうなるのか?とか。
柳田や折口、中山太郎や和歌森太郎の時代は割と自由に考証出来ましたからね。
面白くはあるのですが、今から見ると割と際物な説もある。
玉串の件は、同じ時代の説でも玉を魂、串を枝とした柳田説の方が穏当かと。
玉は尊貴の称として、祀る道具(地に刺すから串)を尊んだとの説もあり。
扱い方に由来するとの説もありますが、上記二説の方がそれらしいですね。
巫女のことをイチ(一、市)と呼ぶことはありましたが、鎌倉時代以降の用
例しか存じません。より古いものがあれば申し訳ないのですが。
また、特に生贄の解体に携わった形跡もない。
「イケニへ」という言葉は平安中期の『倭名類聚抄』に登場するのが一番古
いようですが、実践を記したのは平安後期の『今昔物語集』が最初で、三河
の風祭の例では猪を生きたまま在地の人々(男でしょう)が解体しており、
美作や飛騨でも宮司以下男ばかりが俎板と刀と調味料を人間の生贄と共に奉
げたことになっていますが、これも実際に使われたのは鹿・猪でした。
シシとは肉を指し、イノシシ、カノシシ(シカ)というぐらい肉と言えば両
者を指して重要視されたもの。>>9でも少し触れましたが。
伝承はあくまで人から代えた結果の「現代の祭儀」を説明するためのもので
あって、歴史的事実として人が奉げられた形跡はありません。
あったとしても記録に残るよりも以前のことで、巫女の制度や名称に残るよ
うなものではなかったでしょう。 多分、生贄とみなされる条件がいくつかあって、例えばそれがAからGまであったとして、
各事例はそのうち、どれとどれが該当する、という分類法が妥当なんだろうな。 死穢というのも本来は人と五畜(ここでは牛馬犬猿鶏)に及んだもので、鹿
や猪は対象外。祭儀を穢れと見做す必要もなかったでしょう。
その肉を食らうことも嫌われなかったことは、天皇が歯固めに両者の肉を口
にされたことからも分かる。
平安後期からこの食肉を穢れと見做す説が広まって、旧儀の実践との間に齟
齬を生じていますが。これは穢れ説の後付によるもの。
穢れという概念も、時代によって整備されたり範囲が広がったりしているの
で、ややこしいものですが。
神社で血肉を奉げる祭儀が行われていた事をある程度史料が語るようになっ
てからの例では、>>89のようなことは鵜呑みには出来ないと思います。
ついでに、巫女のことをイタあるいはイタコと呼ぶこともイチないしはイチ
コと同じく平安末〜鎌倉時代に見えて来ますが、この板は生贄を奉げる板=
俎板ではなく、神がかりになるのに弾いた琴を置いた台に由来する模様。
元々は熊野社ゆかりの巫女によく使われていました。 プリオン関連の病からも、人が人を食ってたのは実証されてるが、
生贄としての人間となると中南米とかはともかく、
いきなり怪しくなるんだよな。
飢餓や戦争の特殊状況化ならともかく、儀式として人間供えたのは、
かつてそういうのがあったって伝説でとたんに実証できなくなる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています