生け贄について
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日本の神話体系は卵生型だが、記紀は感生神話だな。
天照大神が須佐之男命の闖入によって天岩戸に隠れたとき、天照は一度死ぬ。
その後、鏡によって自らの精を受け、復活する。
原田大六氏は平原弥生古墳において、日向峠から差し昇る収穫時機の太陽と古墳の一の鳥居、
そして木簡に埋葬されてる女性の股間は一本のラインに結ばれる事を発見し、
この女性が非常に重要な巫女であったと主張している。
つまり前天照は(恐らく老衰によって死亡し、)供犠として太陽神に捧げられ、
その死骸の股間に太陽の朝日がさす事で、新たに太陽神の御子(身代わりの子)が生まれたことを示す。
ただ、気をつけねばならないのは猿田彦の存在だ。
猿田彦は記紀において「眼は八咫の鏡のごとくして、照り輝ける事赤酸醤に似れり」とあり、
猿神は南方神話では日の神だ。
つまり、本来の天岩戸伝説は、岩戸に隠れたのは日の神である猿田彦であり、
裸で踊るウズメに誘われて岩戸から出て新たなる日御子を産んだという話であるかもしれない。
その場合、上記の埋葬されてる御子とはウズメの事だろう。
とすれば、これは西アジアとの面白い類似性がある。
日本の巫女ももともとは娼婦団であったする説は昔からある。
巫女が娼婦として神殿にいて、貴族や裕福な信徒の子を生む、というこの風習は
太陽の再生を祈願するゾロアスター教に非常に似ている。
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