生け贄について
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
狩猟民族であるアイヌは熊祭を行ったが、これは殺される熊の霊を慰撫して、神々の世界に帰す儀式である。
もしこの儀式をしないなら熊の霊が悪さをして、次の獲物を邪魔するだろうという恐れや不安があったんだと思う。
生贄の場合、慰撫する対象が熊祭のような獲物ではなく、別の神になるから生贄にされる生物は手段と見なされて共感は減退する傾向にある。 へえ、教えてくれてアンガト。
それで質問していい、信長が浅井長政を髑髏の飾りにしているの。
杯というのが小説家が書いて以来そっち通説になっちゃったけど、ほんとはそうなのね
資料文献はそっちを指す。でさ、世界史版だろ、此処さ。モンゴルとか
狩猟民族にそんな風習めく話あるのかしら。生贄のおどろおどろしさとも相通じるものがあるかな
教えてくれる? 髑髏杯は、スキタイの昔からユーラシアに伝統の風習
匈奴の冒頓単于は月氏の王を、柔然の豆羅伏跋豆伐可汗は高車王の弥俄突を、
ペチェネグ人はルーシのスヴァトスラフ1世を、サファヴィー朝のイスマーイールはシャイバーニー朝のムハンマドを髑髏杯にした
また北欧神話にも、鍛冶師ヴェルンドがスウェーデンの王子二人を殺して髑髏杯にしたとある
「戦国策」には趙襄子が智伯の髑髏を杯にしたとあり、信長の話はこれに取材したものかも知れない >>34
ありがとうございました。何せ物をまったく知らずに小説家を目指しています
歴史物を書ける知識は持ち合わせがございません。それでも小出しにあれこれ
致したく、執筆の暇つぶしとネタの仕入れに、世界史版なぞ無理もいいところも
お邪魔をして突っ込みました。戦国時代に興味があります。ただ小説を書くには
あれこれ関連付けます。世界的視野で物事をとらえたい、またまたお邪魔をさせていただくかもしれません。
非常に勉強になりました。心よりお礼を申し上げます。
前のレスですがキリスト教が脳裏によぎって、罪云々の言葉を乗っけてしまいました。
神への恐れおののき、家の近所にも菅原道真公の天神様がありますが、似ているようで、少し違いました。
あくまで神の祟りを恐れた、それがために人類はよからぬ妄想に突っ走り魔女狩り等の
騒ぎにもなったような、今歴史を鑑みるに過去に思いをはせます。ついでにこっちも訂正、謝罪します。
生け贄文化には自然への感謝と人間の業、原罪の自覚といった、
どちらかというと善い(とされる)方面の精神性と、
スケープゴート的な悪い(とされる)方面が見え隠れしてるな〜 ランゴバルド族の王アルボインはゲピド族を滅ぼして王の頭を髑髏杯にし
ブルガリアのクルム可汗は東ローマ皇帝ニケフォロスの髑髏杯を作ったという(後者は後付の伝説らしいが)
またヒンドゥー教や密教では、頭蓋骨の眉から上を切って髑髏杯(カパーラ)を作ることがあり
シヴァ神やカーリー、明王や憤怒尊が、よく血を満たした髑髏杯を手にして血をすすっている >>37
引き続いてありがとうございます。次回作は他をいきますが、その次あたり、またいきたい!
歴史はつきせぬ夢の宝庫です。これは絶対にまた書かせてもらいます。
つうか、才能ねえのね、俺、それでもオモロイだろ。信長の髑髏は
それでも、いい加減には書きたくありません。やはり史実を抑えたい、抑えられるか、そのからっぱ頭で、そういった話も
なくはない… お粗末です。
荒唐無稽は信条なのですが、時代、年代、そこいらの逸話をいい加減ですませたくありません。感謝です! ルネ・ジラールが論じている
しかしレビ記はやたら生贄の話ばかりだな なんで神はもしかしたら草食系だと考えなかったんだろうか カインは農産物を供え、アベルは子羊を捧げたが、
受け入れられたのはアベルの捧げ物だった 人は理想の秩序を求めるが自らを生贄とする者は稀である シナでは犬もよく生贄としたが、羊頭狗肉というように羊よりランクが低い
岳は山に羊の頭(丘)を供える形で、嶽は犬に言(祝詞)を添えて(獄)山に供える形
術は四辻に、述は道路に、就は城門(京)に、献は鼎に、器は器物に、犬を殺して捧げ清めることを表す
また人と犬を共に埋めて悪霊を祓い防ぐのを伏という 釈迦は生け贄を否定した聖人
これが仏教には無秩序無政府的な趣があることに通じるのではないか 昔、中国国家博物館展で見た殷商時代の四羊尊って青銅器の器は宇宙的と言ってもいい造型でヤバかったな。
羊が宝物って遊牧民的だよな。
釈迦も前世では飢えた虎にわが身を差し出したり
火の中に飛び込んで老人にわが身を食べさせたりしてたよね >>45
でも、もらうことだけは熱心だなww
古代インドは豊かだったから、乞食の宗教でよかったのかもしれないが
南伝のほうは、そういった伝統をわりと残しているけど、
寒いところでは、結局禅にまで行き着いてしまったww 生け贄と言えばドルイド教や古代ゲルマンの宗教も外せないしフェニキアのモロク信仰もある。 カルタゴはバアル・ハンモンで
アンモンでの信仰がモロクでしょ? >>50
H・クレンゲル著/五味亨訳 、「古代シリアの歴史と文化」には
モレクはおそらく供物として捧げられた幼児を受け取る神の名ではなくて、
むしろたとえば「奉献」あるいはそれに近い意味の宗教概念を表わす用語でしょう。
とあった 家畜を飼い馴らす知恵で、人間も飼い馴らすことができるかもしれない そう言えば、一度強姦すれば身も心も飼い馴らせると考えてたアホがいたなあ 強姦された被害者は一気に性格かわるらしいね
強姦や極端な暴行は飼い慣らしではない。
あくまでも家畜は労働力として働ける状態にあるべきだから >>54
そういや飼い馴らされてたかどうかは知らんが
アステカでは奇形の人間が動物園で飼われていたな。 民族の歴史的文化や知恵は悪用しようと思えばいくらでも悪用出来るな
ためになるスレだ ホロコーストって元々は獣を丸焼きにして神前に供える儀式を意味するユダヤの宗教用語なんだってな 古代アステカの「ウエイ・ミクカイルウイトル(死者の大祭)」
生贄になる奴隷の手足を縛り火の中に投げ込む
↓
焼け死ぬ直前に引きずり出す
↓
心臓を黒曜石のナイフで抉る
世界史で一番怖い生贄の儀式だわ どんな経緯でその生け贄儀式が生まれたんだろうな・・・ 焼け死ぬ直前っていう絶妙なタイミングの吟味に何回も何回も試行したのだろうか。 アステカは儀式をつかさどる神官がクスリでいっちゃってたから
どんどんサディスティックになっていったんだろうな >>61
生贄に麻薬を打ってから焼いたようだね。
火の神に関係する儀式だから焼いてるんだよな。
アステカの生贄だとピラミッドの上から心臓を取られた生贄を蹴落とすんだが
生贄がピラミッドの下に落ちてから「俺は死んじまった」だとか喋ったとかいう
のをスペイン人が聞いた逸話が残ってる。
生贄はすぐには死ねなかったようだね。
まあ何にしてもひでー儀式だった。 エリコの戦いやミデヤン人に対する等の聖絶は生贄の側面もある? 世界が破滅するかもしれんっていう恐れに駆られていたんだろう。 キリストそのものが人類への生贄だからな。
ただ向きが逆だよね。
神へ人類が生贄を捧げるか、
神の子が人類の生贄になるかの違いがある。 >>69 イスラム教は羊の生贄祭りがなかったっけ。クルバン・バイラムとかいう。あれはチュルク系の伝統儀式がイスラム化後も生き残ったのかな 生贄の呪術的意義というのは、生き物が死ぬ時に放出される強いエネルギーの利用。
一般に、生き物の種類によって、そのエネルギーの強さは変わるとされ、
また大型の獣は特に強いとされる。
スペインの闘牛なども、そうした考え方が大本にあるらしい。 バラモン教が生贄中心だが、
仏教もヒンズー教もそれは否定したでいいのか?
ユダヤ教は神殿にいろいろなもの捧げてたけど、
パウロはそういう律法は否定した。
現代ユダヤ教はどうなんだっけ?
イスラムも喜捨や礼拝は求めるけど、生贄はないよな? ホロコーストってもともとはユダヤ教で生贄の動物を丸焼きにする儀式の名前だったような イスラムだと、イード・アル・アドハーというのがあって、
家畜を一頭捧げて振る舞えというのが犠牲祭なんだな。
ハレの日の宴会の一種で逆にキリスト教だろうが日本だろうが、
これがない社会はないっぽいが。
むしろ、そういう生贄ない方がおかしいのか? 動物の生贄は古今東西腐るほどあるよな
日本の神道だって神前に鯛を供える
人間の生贄となるとかなり限られてくるが 神とか超越的な物に捧げる名目で宴会やって祭りやって、捧げ物食って、
羽目を外して緊張を解いて、社会を再統合しない文化は実質ないからな。
教理的にそういうのが必要ないキリスト教や仏教も、
社会がそれをやるのは黙認して実質認めている。
完全殺生戒のジャイナ教くらいか?
それでも、穀物や野菜は捧げてたりして。 柳田國男は諏訪大社で人間の生贄が神々に捧げられたと書き残しておる・・・ >>81
どうなんだろ
東京都神社庁の研修会に出たことあるが「神様のお食事」と説明してた。
生贄=神に捧げる犠牲と解釈すればやはり生贄か
鯛の尾が反ってるのは生きの良さを表してるというしね 仏壇に食い物供えんのも人柱のなれの果てではある。
お通夜も。冠婚葬祭は生贄とは切り離せない。古今東西。
スレの主題が、食い物一般か、人間かで違ってくるが。 いや仏教は生け贄の禁止こそが教義の根幹だよ。ぶっちゃけ他はどうでも良い。 >>82
ジャイナ教の本格信者は野菜、果物もまた生えてくる部分しか食べないからな。
タネや根っこは食べない徹底ぶり 今世界で流行ってる宗教って比較的新しい宗教なんだよな
それ以前の原始宗教は生贄を要求するものばかり
そういった宗教のあり方に疑問を持って産まれたのがキリスト、イスラム、仏教 神社の玉籤はもともと串に刺した人肉で、魂串と書く。
その死体解体は女性の役目だった。
巫女とは神子であり、女性ではなく、男性の専門職。だから神主は男だ。
神社の女性は市と呼ばれるケガレを受ける役目で(イザナミもそうであったように)死を受け持つ。
そのため、かつては占いなどで神宿りした市を殴り殺したり簀巻きにして障り(ケガレ)を川に流した。
水に流すとはこの事から来ている。
この起源はあまりに古く、由来は定かではないが
土偶や銅鐸・銅鏡を焼いて破壊し、埋葬した呪術性と同根であると考えられ、
同様の呪術はチュルクなど北方遊牧民、ケルト、オリエントなどに広く見られる。 ただ、現代人の感覚からすれば人肉供犠は野蛮に感じるが、これはむしろ世界標準だ。
現在でも東南アジアでは僧侶が自ら焼かれ、その肉を聖体として弟子や信者が食べる。
この儀式は(キリスト教徒は否定してるが記録は大量にある)原始キリスト教の聖体拝領と同じだ。
19世紀に至るまでキリスト教徒は聖遺物である殉教者のミイラを争って買い求め、食した。
十字軍の遠征はもともと、この聖遺物獲得のために企画された一面が強く、実際に多くの墓が暴かれ持ち去られた。
意地悪な見方をすれば人肉獲得の戦争であったも言える。
トマス・アクィナスも死体を鍋で煮られた
まあ食うためじゃなく敵対派に辱められるのを防ぐために煮溶かしたとか 資本家を労働者の生け贄にするのが共産革命
労働者を資本家の生け贄とするのが資本主義 教義上は否定しなきゃいけない仏教も現実には生贄、
お供え物認めてるしな。
イスラム教には生贄組み込まれてるし、キリスト教も、
クリスマスだハロウィンだ、生贄交換儀式、
異教のフェティシズムを取り込んでいる。 そろそろこのスレなりに、生贄の定義をしないと話がかみ合わなくなるんじゃない? >>93
中山太郎
>>95確かにね。
例えば、歩き巫女は立ち寄った村で捕らえられて人柱にされたなんて話もよくあり、それも供犠の一種。
現在のキリスト今日の晩餐で、牛肉のミンチをパンに混ぜてパイのように焼き、ちぎって食べるのも供犠。
インカの神殿で心臓を捧げるのは生贄だが、部族間抗争で日常化していた食人は違うのかどうか。
勇者の力を受け継ぐという意味で、発想は同根だけれど・・・・
さらに言えばグリム童話の「杜松の木」は食人だが、その根幹は遊牧民的父系社会の供犠体系が下敷きで
父に肝や股の肉をたべさせる中国の風習も供犠。
ならばお祝い事があると食べた堕胎児のスープはどうなるのか?とか。
柳田や折口、中山太郎や和歌森太郎の時代は割と自由に考証出来ましたからね。
面白くはあるのですが、今から見ると割と際物な説もある。
玉串の件は、同じ時代の説でも玉を魂、串を枝とした柳田説の方が穏当かと。
玉は尊貴の称として、祀る道具(地に刺すから串)を尊んだとの説もあり。
扱い方に由来するとの説もありますが、上記二説の方がそれらしいですね。
巫女のことをイチ(一、市)と呼ぶことはありましたが、鎌倉時代以降の用
例しか存じません。より古いものがあれば申し訳ないのですが。
また、特に生贄の解体に携わった形跡もない。
「イケニへ」という言葉は平安中期の『倭名類聚抄』に登場するのが一番古
いようですが、実践を記したのは平安後期の『今昔物語集』が最初で、三河
の風祭の例では猪を生きたまま在地の人々(男でしょう)が解体しており、
美作や飛騨でも宮司以下男ばかりが俎板と刀と調味料を人間の生贄と共に奉
げたことになっていますが、これも実際に使われたのは鹿・猪でした。
シシとは肉を指し、イノシシ、カノシシ(シカ)というぐらい肉と言えば両
者を指して重要視されたもの。>>9でも少し触れましたが。
伝承はあくまで人から代えた結果の「現代の祭儀」を説明するためのもので
あって、歴史的事実として人が奉げられた形跡はありません。
あったとしても記録に残るよりも以前のことで、巫女の制度や名称に残るよ
うなものではなかったでしょう。 多分、生贄とみなされる条件がいくつかあって、例えばそれがAからGまであったとして、
各事例はそのうち、どれとどれが該当する、という分類法が妥当なんだろうな。 死穢というのも本来は人と五畜(ここでは牛馬犬猿鶏)に及んだもので、鹿
や猪は対象外。祭儀を穢れと見做す必要もなかったでしょう。
その肉を食らうことも嫌われなかったことは、天皇が歯固めに両者の肉を口
にされたことからも分かる。
平安後期からこの食肉を穢れと見做す説が広まって、旧儀の実践との間に齟
齬を生じていますが。これは穢れ説の後付によるもの。
穢れという概念も、時代によって整備されたり範囲が広がったりしているの
で、ややこしいものですが。
神社で血肉を奉げる祭儀が行われていた事をある程度史料が語るようになっ
てからの例では、>>89のようなことは鵜呑みには出来ないと思います。
ついでに、巫女のことをイタあるいはイタコと呼ぶこともイチないしはイチ
コと同じく平安末〜鎌倉時代に見えて来ますが、この板は生贄を奉げる板=
俎板ではなく、神がかりになるのに弾いた琴を置いた台に由来する模様。
元々は熊野社ゆかりの巫女によく使われていました。 プリオン関連の病からも、人が人を食ってたのは実証されてるが、
生贄としての人間となると中南米とかはともかく、
いきなり怪しくなるんだよな。
飢餓や戦争の特殊状況化ならともかく、儀式として人間供えたのは、
かつてそういうのがあったって伝説でとたんに実証できなくなる。 一緒に生きながら為政者の墓に埋められた人間て、
確認されてるのって、有史以降どうなんだっけ?
人形の前は人間だったわけで。 >>99
犬なんかはどうですかね?
弥生時代の犬の骨は焼かれたり切断され、食用に供されたという通説がある一方、
シャーマンが呪詛のために殺したり、首だけ土から出して埋めた犬神作りの話もある。
この類型は北東アジアに広く分布していますが、一方で宮廷では隼人が犬吠を行う。
犬は果たして食用であったのかトーテムとして供された神聖な動物であったのか?
>>98
>AからGまであったとして
では叩き台として、こんな感じで。
A. 神(またはそれに類する存在)に対する捧げ物である。
B. なんらかの見返りを求めている。
C. 生物を殺す。
D. 儀式を伴う。
E. 象徴的意味がある。
F. 最初に死体を食べるのは神(またはそれに類する存在)で、その食事が終わった後に人間が残りを食べる。
遠慮なく叩いてください。 >>101
日本だと卑弥呼が有名だよね
箸墓古墳発掘すると人骨がいっぱいでてきそう >>102
犬神伝承は江戸時代に記録された文書が正しいとすれば、15世紀の阿波に存
在したというのが一番古いですね。
やや時代が下って、長宗我部元親の時代に弾圧されたという話もあります。
古代日本からの伝承というより、仏教で知られた外法の中に、頭骸骨を利用
したものがあったので、これに由来するのかもしれません。
唐にこうした術があり、円珍は渡唐した際に卵型の珍しい頭の形をしていた
ので、術目当てに首を獲られぬようにと役人から忠告されています。
蟲毒の影響もあったかもしれません。
ただ、中国では猫を使うことは多くあったものの、牛・犬・鶏は名目こそあ
れ実際に使った例はない(澤田瑞穂先生)とか。 >>103
生贄のもっともとされる人間供犠の場合、
食人が想定されてるとは限らないからな。
人柱とか。
ポトラッチとかは確実に奴隷は殺されてたが、
儀式性、宗教性はどう位置づけるんだろう。
その場のノリだし、何に対する見返りなのか。
陶酔はあったろうし。
埴輪の前に人間埋めてたとして、淡々としたもので、
当事者の意識としてはあの世とこの世がつながってたろうから、
陶酔も何もないだろうし。
一つ一つ違い人間は複雑だとしか言えない。 >>106
>食人が想定されてるとは限らないからな。
だから個々の事例は、上に挙げられている条件のうち、どれとどれが当てはまるか、
を見て、類型化するってことでしょ。
全部が当てはまるのは少数派。 >犬は果たして食用であったのかトーテムとして供された神聖な動物であったのか?
狐や蛇が祖であったという伝承はあるものの、犬が祖であるという話は日本では珍しい。
『今昔物語集』にあるのは、どちらかといえば犬と女のみの異常婚姻譚で、子孫を
なしたというものではありませんし。
それから百年足らずの内に編纂された『唐物語』にもあるように、漢籍からの移入
であって、定着を見なかったものと思われます。
同じく漢籍起源で人と馬が繋がる蚕伝承は、東北を中心に定着しましたが。
犬婿伝承は、沖縄・鹿児島に伝えられています。
隼人が吠声で奉仕したというのも、中央とは違った特徴ゆえでしょう。
平安時代の吠声(多分、犬・狼の真似)が奈良時代からあったであろうこと
は、『万葉集』に「隼人の名に負ふ夜声」とあることからも推測出来る。
「吠」という漢字は、元々特に犬の鳴き声を指したもの。
8世紀、牛を殺して「漢神」を祀る信仰があり、丑年生まれの桓武天皇が即位
されて禁令が出ましたが、日本における獣の解体・供犠までもが大陸起源と
までは言えないかもしれませんね。
むしろ野獣を殺すのに対し、牛を殺すことを大陸式と見るべきか。 >狐や蛇が祖であったという伝承はあるものの、
余談ながら、こちらも母方が中心ですね。
記紀ですと天皇家の母方の先祖は鮫ないしは竜ですが(豊玉媛とその妹)。
父方の先祖とした場合、雷神が丹塗り(赤は雷神の色)の矢に化けて娘と同
衾して子をなしたという場合が多い。
ただ雷神自体も蛇と結びついていたようですし、獣との通婚を卑しむ風潮が
後から出て来て区別されたものかもしれません。
『日本人とユダヤ人』に、日本には処女懐胎説話がないと書かれていたと思
いますが、これは処女懐胎の一例でしょう。
日天に感応して処女が孕んだといった話が『大唐西域記』に出て来ますが、
こうした話も古くから伝わっている以上、受け入れる姿勢はあった筈です。
果実を食べて懐妊したという、環太平洋に広がる型の話もある。
生贄からずれますが。 >>110
日本は確かに感応型の神話はあまりありませんね。
記紀は明らかに卵形で、鳥トーテム。
ここでちょっとお聞きしたいのは、何故日本人は鳥や蛇を普通に食べるのか、ですね。
世界的にトーテムを食すのは供犠が済んだ神聖な肉です。
古事記の記載に、アマテラスが天岩戸に隠れた際、長鳴鳥を集めて鳴かした、とある。
これは太陽が鳥の鳴き声で迎えられ再生を果たしたという意味ですから、
鳥が非常に大きな意味を持っているはずです。
同様に朝に遠鳴きをするインドの猿は同じ意味で朝日の神で、大切に扱われます。
かつては大和民とほぼ同じ地域に住んでいたアイヌもまた、
熊おくりなどトーテムに対し最大級の敬意を払います。
日本の供犠、というか大和民の供犠は今ひとつ一貫性が無い。
この特徴は感応型である中国北方民の影響であり、
土着、あるいは南方由来卵形の神話体系と齟齬をきたしたからではないか、と感じているのですが・・・
>この特徴は感応型である中国北方民の影響であり、
>土着、あるいは南方由来卵形の神話体系と齟齬をきたしたからではないか、と感じているのですが・・・
南北の神話の混淆については指摘されていますし、犬の扱いに限らず「一貫
性のなさ」に繋がっていると思います。
漢籍・仏典の思想の洗礼と、時代ごとの変化もありますし。
>同様に朝に遠鳴きをするインドの猿は同じ意味で朝日の神で、大切に扱われます。
日吉と猿の関係は記紀の時代まで遡るものではない(春日の鹿、熊野の烏、稲
荷の狐も同様)ですが、やはり日を見て反応することに由来するのでしょう。
猿田彦についても、太陽神としての性質を指摘する説があります。
レヴィ・ストロースも論じていましたが。
古代エジプトで知恵の神であるトート(トキの場合もある)はヒヒの姿で信仰
されていますが、ヒヒが太陽を拝む、あるいは太陽の出る扉を開くというのは
お決まりのモチーフだそうで。これも性質由来でしょうね。 >何故日本人は鳥や蛇を普通に食べるのか
長鳴鳥を鶏と解したのは後世の説ですが、これは妥当でしょう。
鶏を食した可能性は、天武天皇の時代に牛馬犬猿鶏を食することを禁じたと
いうことがあったので、食べられていた可能性はありますが、殺して食べた
のか、死んだものを食材としたのかは分かりません。
また、古代の法は名目上挙げたものが多く、実効性は勿論のこと、果たして
そこまで目に余るほど食べていたのかという疑問も浮かびます。
鶏を殺した例として、『日本書紀』に闘鶏の結果を嫌って切ったという話が
ありますが、腹立ち紛れの例ですし、殺した下道臣前津屋も間も無く討たれ
ていますから、報いともとれますね。
闘鶏自体が大陸からの移入ですし、神話に限らず新しい文化(仏教も含む)
の影響を受ければ、動物観も変化したのではないでしょうか。
ただ、それにしても鶏殺しは珍しかったと思いますよ。
平安時代前期には「漢神」を祀るために牛を殺したり、鶏の卵をゆでて食べ
て報いを受けた説話がありましたが、鶏殺しの話はありません。
時代が下るほど古い「神話」の影響は希薄になっていったでしょうが、それ
にしても時代が下ってからも鶏食いは珍しい。 仏教の影響が多分にあったのでしょうが、『徒然草』に家で飼うのは鶏犬ぐ
らいでいいとあるのも、番と時のためでしたからね。
古代には神話的な役割の影響、中世には仏教の影響としても、ほとんど殺し
て食べるという利用法がとられていない。
蛇を食べるのは、一寸思いつきません。
蛙なら『日本書紀』に葛城の風俗として見えていますが。
『今昔物語集』に、悪徳行商の行為として見えているくらいですか。
八岐大蛇退治と三輪山の神などに対する信仰の両立は矛盾して見えますが、
蛇自体の霊性は認めながらも、敬意の対象を自勢力との関係から取捨選択し
たと考えればいいのではないでしょうか。
同じ動物に対し、敬意と利用が両立することは、中国でも成立したと思いま
すが、「世界的に」というのと日本だけが矛盾するというより、異なる態度
が成立することは多くの文化が混淆し、変化していく中では自然と起こりう
る問題であるということも、考えた方がよいと思います。
それでは、インドでは何故猿へのああした文化が出来たのかという話となり
その歴史的経緯・分布がどうなっているのかという話になりますが。
「歴史不在」のインドですから難しいでしょうが、インドの動物文化、食文
化も古代から連綿と続いているものなのでしょうか。 >>108
だから肝心な人柱みたいのがいきやり外れるのが問題あるだろって、
意見出したのに?
馬鹿はこれだから。 俺も、
馬鹿はこれだから。
は、理解できた。
普通に、○○が抜けてるから追加、って言えばいいのに >>101
最古の事例はシュメールだと思うよ。生贄というか殉死という要素が強い感じもするけど。
前2600年頃のウル王墓(789号)には、約60人の男女や牛(牛車付)が墓室脇に埋葬されてた。
外傷なく抵抗した様子もないので、殉死との説が強い。このへんは殷の大墓とは趣が異なる。 小難しい話はいいから>>61みたいな残忍な生贄儀式の話をもっと教えて!!!
>>114
なるほど、鶏は食用ではなかったというのは逆に納得がいきました。
鶏林の祭祀では鶏は食べなかったらしいですし。
鶏は東南アジアの食用が南部中国からもたらされたものではなく
初めから神聖な生き物として朝鮮からもたらされたのかも知れませんね。
もしそれが正しいとすれば新羅は王族がコーカソイドですから
日本の卵生神話は中国ではなく西アジアの影響かもしれませんね。
蛇については、どの本で読んだかは忘れたのですが、
蛇飯というのが全国各地に残っているそうで、蛇信仰のお膝元とも言える奈良にもあるそうです。
それがいわゆる縄文由来なのか、逆に全然新しいのか解りませんが・・・ いまでも鶏肉苦手な日本人ってけっこういるじゃん
氷川きよしとか
それって関係あるのかね >初めから神聖な生き物として朝鮮からもたらされたのかも知れませんね。
『魏志』や『後漢書』には牛馬なし(これも実際は違うらしい)とあるもの
の鶏の記載はなく、『隋書』には博打好きとあれど闘鶏には言及なし。
しかし4世紀前半には鶏型埴輪が出ていますし、動物型埴輪の中でも一番早
いそうですから、信仰面で重視されていたのでしょう。
完全な推測になりますが、生命力を振興すると考えられたのでは。
鶏の件ですが、『古語拾遺』の中に、大地主神が人に牛肉を食べさせたこと
に御歳神が怒り、祟りをなしたので、白猪・白馬・白鶏を献じて鎮めたとい
う話があります。
祟りをなした理由を牛肉の穢れと説明したものがありますが、その後託宣で
牛肉を田の水口に置いたことが見えるので、神に関わるものを人が口にした
ことをとがめたものかもしれません。
家畜と野獣の違いはありますが、鹿の血で田の実りをもたらした話が『播磨
国風土記』に見えています。
ただ、白猪・白馬・白鶏を献じたというのがよく分かりません。
白猪は屠り、白馬・白鶏は飼養したというのが穏当だと思うのですが。
蛇を日常的に食用にした件は、存じません。
蛇皮(蝮でしょう)を薬にすることは平安時代には行われていましたが。
蝮酒も新しそうです。焼酎は16世紀に薩摩で生まれたようですし。
それより前は、基本的に酒の長期保存自体が難しい。 日本に影響のあった中国の例を挙げると、元々は元旦に鶏を殺して掲げてい
たのが、『荊楚歳時記』の時代には鶏の絵を掛けるようになり、逆に鶏を殺
さないようになっていたということです。
また身固めのためか鶏卵を食していたのが、梁の武帝の時代に禁じられて消
えた由(北方では自然廃れたか)。
これとは逆に、梁の武帝が鶏卵を好んで死後報いを受けたので追福をしたと
いう話が『法苑珠林』にありますが、『荊楚歳時記』も『法苑珠林』も我が
国ではおおいに参照されたもので、これらの書籍の内容が与えた影響も大き
かろうと存じます。
『捜神記』には、白犬白鶏は食すべからず(白鶏が身内を食われたので冥官
に飼い主を訴えたため)とあり、また白馬が冥官の乗物として出ています。
白馬の節会があったように、白馬が特別視された例は多い。
これもまた大陸の思想が影響したものだろうと思います。
神に馬を献じた例(絵馬の起源)としては、丹生川上の神が早いですが、こ
こでは祈雨の際に黒馬が、止雨の際に白馬が奉納されていました。 日本は供犠ではなく供物の文化という事ですかね。
農耕・牧畜社会はどちらかといえば供犠が多いと思いますが
その意味でも日本は原始宗教の臭いが濃い。
>>106
>一つ一つ違い人間は複雑だとしか言えない。
それ言ったら、話は終わりだよ 日本の神話体系は卵生型だが、記紀は感生神話だな。
天照大神が須佐之男命の闖入によって天岩戸に隠れたとき、天照は一度死ぬ。
その後、鏡によって自らの精を受け、復活する。
原田大六氏は平原弥生古墳において、日向峠から差し昇る収穫時機の太陽と古墳の一の鳥居、
そして木簡に埋葬されてる女性の股間は一本のラインに結ばれる事を発見し、
この女性が非常に重要な巫女であったと主張している。
つまり前天照は(恐らく老衰によって死亡し、)供犠として太陽神に捧げられ、
その死骸の股間に太陽の朝日がさす事で、新たに太陽神の御子(身代わりの子)が生まれたことを示す。
ただ、気をつけねばならないのは猿田彦の存在だ。
猿田彦は記紀において「眼は八咫の鏡のごとくして、照り輝ける事赤酸醤に似れり」とあり、
猿神は南方神話では日の神だ。
つまり、本来の天岩戸伝説は、岩戸に隠れたのは日の神である猿田彦であり、
裸で踊るウズメに誘われて岩戸から出て新たなる日御子を産んだという話であるかもしれない。
その場合、上記の埋葬されてる御子とはウズメの事だろう。
とすれば、これは西アジアとの面白い類似性がある。
日本の巫女ももともとは娼婦団であったする説は昔からある。
巫女が娼婦として神殿にいて、貴族や裕福な信徒の子を生む、というこの風習は
太陽の再生を祈願するゾロアスター教に非常に似ている。
>>128-129
民俗・神話学板のほうがいいんじゃないか? 何を今更。
人類学も歴史も境ないだろ。供犠については。 生贄の話として、まあ、生と死を逆転させること通じて、
彼岸への連続性を確保することなんだよな。
で、そこから派生するものとして、食ったり宴会する形で、
連帯性の確保に利用することもあるが、それはあくまで二義的。
ポトラッチにおいては彼岸や宴会よりも無駄遣いこそと転倒しているけど、
そこらへんは転倒したところから逆に上がろうとした混乱があるから、
仕方ない。
宴会から聖なるものを取り戻そうとする逆サイクルだから。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています