【サハラ】アフリカ史総合2【以南】
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サハラ以南のブラックアフリカと呼ばれる地域の歴史総合スレです。
古代から幅広い時代と国地域の歴史を語りましょう。
前スレ
【サハラ以南】アフリカ史総合【ブラックアフリカ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1296298389/ >>798
オマーンは遠いアフリカのザンジバルに植民地があった
東南アジアには今でも海賊がいる、スールー海 >>800
オマーン帝国はアフリカ各地の内陸部には深入りせずに沿岸部だけ抑えていたみたいだな。 >>798
ヴァイキングがそもそも海洋民族じゃない スワヒリ都市の人々は、イスラームの受容によって
アラビア半島との絆が強化されると、自分たちは
内陸の「野蛮人」とは異なる「文明人」だという
アイデンティティを持つようになった イギリス人はB.C5億年前という遠く大昔から蛮行を重ねて来た。
それを気に入らないイギリス人はアメリカ大陸に移住していた。
しかし、その移住したイギリス人もまた西アフリカへ酷い蛮行を繰り返している。
アフリカ西部ギニアに行きギニア人を奴隷にしたり作物を盗んだり気に入らない奴らを殺し続けていた。
ギニア人はそれで東に逃げている。
それ後はイギリス人の植民地になっていった。
ギニアの首都コナクリの公用語はフランス語だが、イギリスの植民地だw
フランスに罪を負わせる為にフランス語を話せるイギリス人をギニアに行かせ、公用語をフランス語にさせているセコイイギリス人。
wikiでも、
1887年トンボ島の支配者イギリスからフランスにかわっている。
誰が信じるのよってw >>793
イスラム化した地域では基本アラビア語で読み書きしていて、土着言語を文字化しようとは考えなかったとか?
ポリグロットは昔から多そう >>805
スワヒリ語やハウサ語はもともとアラビア文字表記 ポルトガルのサラザール政権はアフリカのポルトガル植民地の独立を
認めようとしなかった
政治的に植民地の独立を認めても経済的には依然としてつなぎ止めておくことの
できるイギリスやフランスと異なり、ポルトガルはいったん独立を認めると、
それを引き留めておく経済力がなかったのである どうやって後発のバントゥー族がマダガスカルで主流になれた? 20世紀以降のマダガスカルの知的エリートたちのあいだには、インドネシアを
筆頭とするアジアとの歴史的つながりを誇り、またそれを探求し民衆に伝え
教育しようとする文化ナショナリズムが顕著である一方、アフリカやアフリカ人を
「遅れたもの」「劣ったもの」として、マダガスカルという国や人が
「アフリカに属する」ことを快く思わない傾向がみられる >>809
国の西側はマダガスカルの中では一段下に見られてるのかな エチオピアには国の起源をソロモン王に求める「セム的歴史観」というものがあって、
近代においてヨーロッパ列強による植民地化をはねのけて独立を維持した事実と
あいまって、「セム的歴史観」は近現代のエチオピア人に自信と誇りを与えてきた
しかし、このイデオロギーは、エチオピア正教徒であるセム系エチオピア人
(アムハラ人とティグライ人)以外のエチオピア人には受け入れがたいものであった
国民の過半数を占めるクシ系やオモ系、ナイル・サハラ語族の人々、
およびムスリムは、エチオピアの偉大な歴史と伝統から排除されたばかりでなく、
しばしばその敵対者とみなされてきた エチオピアの領土が最大になったのってエリトリアを併合していた1952〜1991年の時期なんよね
ベトナム、ミャンマー、インドネシアと並んで植民地化される側の癖に現代の方がよっぽど帝国帝国してるわ >>812
どう見てもその時代その時代で別の家系が王朝を開いてる気がするけど、万世一系の体で各王朝はやってきたのかな
ソロモン王第何王子のご落胤の末裔とか主張して 最後の皇帝ハイレ・セラシェ1世が制定した欽定憲法には、皇統はエチオピアの女王
マケダ(シェバ)とイスラエルの王ソロモンの間に生まれたメネリクに由来することが
明記されている
1137年にクシ系のアガウ人が建国したザグウェ朝は、ソロモン王から続く皇統が一時的に中断した時期であり、メネリク1世の直系を自称するイェクノ・アムラクが1270年に
開始した王朝は、「ソロモン王朝の復活」とみなされた
16世紀のムスリム勢力との戦乱の後、キリスト教王国では各地に諸侯が乱立し、
「帝国」とは名ばかりの状態が続いた
帝国の再編と再統一が行われるのは、19世紀中期以降、テオドロス2世、
ヨハネス4世、メネリク2世という3人の皇帝の時代のことである 自称でおkの世界だな
正教的精神を継いでればいいってか 133年空いてるわけだから5、6代くらいか
ちょうど継体と同じようなものだな エチオピアがアフリカでも最古の歴史を誇るのは間違いないのだが、帝室の系譜自体はだいぶ怪しいんだよな
だからこそエチオピア皇室はあっさりと革命で倒れてしまったのかもしれない
維持できるほどの伝統や権威はなかったわけだ 日本の天皇家はゴキブリ並みにしぶといよな
第二次世界大戦で敗戦国になっても生きのびるし
普通ならあそこで滅んでもおかしくない 開放性と世界性を特徴としたアクスムと比べると、12世紀以降のキリスト教諸王国は、
深い谷と断崖によって分断され守られた北部高原で、外部世界からは切り離されて
存在していた
もちろん、完全な孤立ではなく、たとえばエチオピア正教会の大司教は
アレクサンドリアのコプト教会派遣されていたし、エチオピア人の巡礼は
聖地イェルサレムを訪問していた
また、エチオピア皇帝は15世紀に二度にわたってヨーロッパに使節団を派遣し、
ヨーロッパ人もときおりエチオピアを訪問していた
しかしこれらは、いわば、か細いパイプであった >>821
アクスム王国の時代はアラビア半島などにまで積極的に進出し領土や政治的影響力を拡大してたが
13世紀に成立したエチオピア帝国は逆に周辺のイスラム諸国の進出に押され気味で対外的に拡大しにくかったんだよな
そのせいでこの頃のエチオピアは外国とのつながりの薄い鎖国気味の国家になってしまった 場所が悪いよ
エチオピアなんてほとんど不毛の荒野だろ エチオピアが帝国としての領土をおおむね確定したのは、メネリク2世下の
1891年であるが、それに先立つヨハネス4世の治世にすでに帝国の基礎固めが
実施されていた
ヨハネス4世のお膝元である北部のティグレでは、皇帝の命を受けた
ラス・アルラ将軍がティグレ防衛のためにイタリア軍やマフディー軍と戦った
1987年1月のイタリア軍との戦いは「ドガリの虐殺」と呼ばれる
中部ではショア地方の王で、ヨハネス4世の後継者として指名されていた、
後のメネリク2世が勢力を伸ばし、1887年にかつてエジプトが支配していた
ハラル地方を併合した >>822
アフリカの角から東アフリカが原産とされてる猫の品種でも、遺伝子を調べたらベンガル湾周辺がルーツと判明したりして、
古代エジプトからエチオピア経由でケニアまで伝わったんじゃなくて、インドや東南アジアあたりからもたらされたみたいだな
エチオピアは古代エジプトからの文物をソマリアや東アフリカに伝える役割はほとんど果たしていなかったか ヌビア地方に6世紀に成立したキリスト教諸王国は、衰退しつつも15世紀まで存続した
つまり、それ以前、ヌビアとエチオピア北部は、アトバラ川や青ナイルを介して
地理的につながった、連続したキリスト教世界だったのである
ファーティマ朝時代、エジプトとマクリア王国との関係は、
おおむね友好的なものであり、両者は平和的に共存していた
13世紀に入りマムルーク朝の時代になると、国家に討伐された
アラブ系遊牧民が、大量に南下してヌビアに侵入した
彼らは破壊と掠奪を繰り返したので、マクリア王国は弱体化した
また、アラブ人とヌビア人の混交が進んだ >>823
でもアクスム王国の時代にはアラビア半島に進出していくつかの国家を支配下に収めてるんだよな
場所の悪さもあるかもしれんが、イスラム勢力の伸長に押されてしまったからという理由もあると思う 2世紀末にアクスム軍が紅海を渡ってアラビアに侵攻できたのは、
ローマがこの地域における制海権を失った結果
碑文資料によるとアクスム軍は南アラビアの沿岸部を占領しただけでなく、
非常に早い時期に内陸のオアシス都市ナジュラーンにも進出を図っている >>829
>非常に早い時期に内陸のオアシス都市ナジュラーンにも進出を図っている
そうそう。最近になって中公新書の『物語アラビアの歴史』を読むまでは、
沿岸部だけを支配してたのかと勘違いしてたから、結構アクスムがアラビア半島の内陸部の政治にまで関わっていたことに驚いた エチオピアは近代になってマフディー国家の二代目支配者、
カリファ・アブドゥラヒに攻められているな
エチオピア皇帝の宗教はキリスト教なので異教に対するジハードが成立した >>832
エチオピアは中世にもイスラム国家の侵攻を何度か受けているな
あんなところにキリスト教国家がなぜか残り続けてたらそりゃ当然ジハードの対象にはなるか >>833
復興ソロモン王朝を脅かしたイスラーム国家としては、イファト、ハデャ、
ファティガル、ドアロ、バリ、アデルなどがあった
テオドロス1世も、イシャクも、ともにアデルや沿岸部のイスラーム勢力に
殺されているな
ザラ=ヤコブの時代も、相変わらず沿岸部周辺ではイスラーム勢力との
衝突があった >>834
それだけイスラム教勢力に脅かされた状態で、周囲に同じキリスト教国の味方もなかったにもかかわらず、
キリスト教国家として存続し続けたのはエチオピアの凄いところかもしれないな >>835
地形的に守りやすいということもあったのだろうが、それなりの軍事力を持っていたんだろうな。 >>836
ザラ=ヤコブ(在位1434〜68)はヨーロッパから火器を購入していたとか >>837
ヨーロッパがエチオピアをそういう形で支援したのはやはりプレスタージョン伝説の影響なんだろうか? 1520年代から、ポルトガルとエチオピアとの間には外交関係や交流が存在していた
正確にいえば、青ナイルにまで入り込んできたポルトガルの一行の滞在を
エチオピア側が許可したにすぎなかったが、これが軍事援助を要請する契機になった
1525年前後にエチオピアは、アフメド=イブラヒム=ガジ(在位1506〜43)――
左利きを意味するグランというあだ名で知られる――の指導するイスラーム軍と
対峙することになった
オスマン帝国をバックに持つグランの軍は、最終的にエチオピア・ポルトガル連合軍に
打ち破られた 馬についてだが、サハラ以南アフリカには、西アジアからエジプトを経て、
北アフリカやサハラの南の黒人王国に広まったらしい
ガーナ帝国をはじめ、マリ、ソンライなどの王国では、
馬は支配者たちの重要な軍事上の手段として、また特権の象徴として珍重された
熱帯アフリカでは馬は繁殖しにくいため、たえず北から補給する必要があったらしい >>840
「ルーツ」リメイク版では
クンタキンテが「サハラの向こうから来た」馬を見ていたシーンがある。 車が知られておらず、他に速力の大きい騎乗用家畜の無かった西アフリカの
サヴァンナ地帯では、ある程度以上に大きい版図の軍事・政治的支配のために、
馬がきわめて重要な意味を持った アジア諸国の場合、どの国もみんな欧米のほうばかり向いていて、
同じアジアの国同士の横のつながりというのは驚くほど少ないけど、
アフリカ諸国の場合はどうなんですかね?
やっぱりアジアと同じ? >アジア諸国の場合、どの国もみんな欧米のほうばかり向いていて
本気で言ってんのか、これ もし大西洋奴隷貿易やアフリカの植民地化が行われなかったら、
アフリカの地元産業や工芸が衰退することはなく、
アフリカの低開発化が進むこともなく、
アフリカは「部族的封建制」といわれた従来の社会構造を脱し、
技術の開発・機械の利用・工業生産などが進んでいたんだろうか? 地元産業や工芸で発展できたに違いないニダ
謝罪と賠償を請求するニダ >>845
でもイスラムは入ってきていたから、今頃はアフリカ全体がイスラム化
(地中海沿いをのぞく) サハラの南北をつなぐ交易では、サハラの北からは岩塩、馬、装飾品、大理石、
衣類、布地、ヘンナの種、乾果、穀物、釉薬をかけた陶磁器などが、
一方サハラの南からは金、黒人奴隷、黒檀、ゴム、皮革、インディゴ、木材などが
運ばれた
でもサハラ以南の人々は、北から輸入される商品を自分たちで作ってみようとは
考えなかったみたいだな 高校地図帳ではナツメヤシにすら南限があったな
サバナ気候でも行けそうな気がするから、特にアフリカでも乾燥した東海岸沿いに南へ伝播してもよかったのに
今は南アフリカでも作られてるけど、これはおそらく植民地期以降のもの ちなみに南限は一応ブラックアフリカになってるサヘル地域
西アフリカの内陸までは、それでも北から来たものを何とか自前のものにしようと努力はしたか モザンビークのイスラム国が2つの村を襲撃して家を焼き払い、住民を虐殺、
女性と子供を誘拐、サッカー場で住民50人の首を切り落として処刑。
2014年にイスラム国がシリアやイラクで行っていた残虐行為を彷彿とさせる。
アフリカでの勢力拡大がとまらない。 トゥアレグといえば、かつてサハラ交易に従事していたことで有名だったが、
70〜80年代にかけて、彼らはリビアのカダフィ大佐に傭兵として雇われるようになった
傭兵となったトゥアレグは、リビア・イスラーム軍としてレバノン戦争やチャド紛争で
戦地に投入され、実戦経験を積んだ
その後、リビア・イスラーム軍は解体されるが、多くのトゥアレグたちが引き続き
リビア国軍に編入されていった
だが、カダフィ政権の崩壊とともに彼らは行き場を失い、本国マリへと帰還していった トゥアレグってマリが本拠地なんだ
でもそんなに人口いない
青いターバン 現在のトゥアレグ族はアルジェリア、マリ、ニジェール、リビアの四カ国に
分断されてしまっているよな
少数民族であることに加え、定住地を持たず、自由な移動生活を続けていた
トゥアレグは、中央政府にとっては「砂漠の無法者」であり、国家建設プロセスから
排除され続けてきた
2012年1月には、マリでトゥアレグの反政府武装勢力であるMNLAが
武装蜂起を行い、「アザワド国」という国を建てるという独立宣言を行っている >>854
人口は少ないが彼らの居住地面積は広大
日本の面積の数倍はあるだろう ちなみに、トゥアレグ族と違って恐ろしく知名度低いが、同規模の「サハラ砂漠の民」にtebou族というのが存在する
分布もトゥアレグ族の真隣で、広大な面積を誇るが、ベルベル系ではなく、ナイル語系なんだそうだ 中世ヨーロッパは、世界システム論でいう「周縁」「半周縁」だったが、
その後長い時間をかけて「中心」に移行したな
一方、サハラ以南アフリカはいつまでたっても「周縁」「半周縁」のまま
(中世のサハラ以南アフリカは、金・奴隷・象牙などを輸出し、北アフリカからは
塩・馬・装飾品・衣類・陶磁器などを輸入していた)
この両者の運命を分けたのは何だったんだろう? >>858 リビアにも住んでるけど、カダフィ政権からは外国人扱いされ、公共サービスをほとんど受けられなかったという
アラブ人からはそれとわかるほど黒人的なのかな リビアでは、軍閥がアフリカ諸国から来た難民を奴隷として
売り飛ばしているとか
ヨーロッパへ行けると夢を見てやってきた人たちなのにねえ >>860
ネットで見る限り、トゥアレグ族に比べて、より黒人に近い容姿してるね
まあ、ナイル語系だから、当然なんだろうけど 18王朝時代のエジプトから北部ソマリランドへ奴隷を獲得する目的で
何隻もの船が航行していたが、これが最古の奴隷貿易かもしれない
2世紀初めの東アフリカとアレクサンドリアとの間でも奴隷取引が行われていた
ペルシア湾岸地域の大勢の黒人奴隷はイスラームが勃興する前に奴隷貿易が
行われていたことを物語っている ナイジェリア北部にイスラム教が伝わったのは、日本でいえば室町時代の
初期にあたる14世紀のことだった
意外に伝わった時期が遅いな
イスラム教が伝わった14世紀当時、ナイジェリア北部にはハウサ人の王が
君臨する七つの王国が存在していた >>863 そのころのアフリカの角だとコイサン系が住んでたのかな カポイドなんて住んでないよ
2万年前から北アフリカはコーカソイドよりの人種 かつてカネム・ボルヌ帝国ではカヌリ人が支配者の地位を占めてきた
1839年に帝国が滅亡し、欧州列強による植民地分割の結果、
旧カネム・ボルヌ帝国の領土はナイジェリア、カメルーン、ニジェール、
チャドの四つの地域に分割された
そしてカヌリ人も4つの地域に分かれて住むことになった
カヌリ人の七割はナイジェリアに編入されたが、総人口1億8000万の
ナイジェリアで、カヌリ人の占める割合は4%程度に過ぎない
かつて帝国の支配層だったカヌリ人は、ナイジェリアでは少数民族の
立場に甘んじることになり、なおかつ経済的には最も貧しい地位に
置かれることになった >>499
つい最近民族衝突が起こってるよ
アフリカ大陸は教育が全く行き届いてないしそれ故に多産だから悲惨 >>867
主要部が高地にあって、陸の国境線が他国より比較的はっきりしているからなのか
エリトリア方面は戦争になっているけど アフリカは農産物輸入国というのが問題
農業生産性が低くそれ故に他国から農産物を輸入しなければならなく結果的に物価高になる
そして都市部でも失業率が高くなり産業を成長させることができない 生産力が高くてもエジプトみたいに人口が増えすぎると輸入に転じてしまう アフリカで首長制に留まり植民地になる前の
明確な記録が無い地域、王制の記録がある地域、
王制の支配が非常に広範囲な地域の違いは
何なのだろう あまりにも地域差が大きいので
ユーラシアや南北アメリカの地域差との比較も
必要だな 同じアフリカの黒人で気候もよく似た
東アフリカ内陸部と沿岸部、
西アフリカ沿岸部の大西洋側とギニア湾側、
ジンバブエと他の南部アフリカ、
コンゴのバンツー地域とピグミー地域を比較して
領域国家が成立する要件が何か見えるのだろうか
あまりにも似過ぎて全ては結果論になりそう
しかし、ユーラシアを見ると領域国家成立には
何かしらの自然条件の必然性は見られる
大河流域か多島海、農耕可能な地域の広さとか ナイジェリアの刑務所を武装集団が襲撃
ダイナマイトで壁を吹き飛ばし800人以上脱走 >>872
記録がある地域もヨーロッパ人やアラブ人といった部外者によるものが主だもんな
西アフリカとか古くからイスラム教が浸透した地域も多いのにそういう地域も含めてブラックアフリカ全体が半ば無文字社会の様相を呈してるのはなぜなのか? エチオピア
2020年11月政府軍がティグレ人民解放戦線(TPLF)に宣戦布告
2020年11月28日北部の州都メケレ陥落
2021年6月28日北部の州都メケレ奪還
2021年10月エチオピア軍全面攻勢 【新型コロナ】ワクチン無効のウィルス・オミクロン株、遂に日本初上陸。30代男性・南アフリカ南西部、ナミビア人外交官(大使館職員)★12 [神★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1638279750/ >>867 ナイジェリアはどちらかというとイスラム勢力が優勢な時期が多い気もするけど、イスラム教徒でも中央政府で幅を利かせてる民族とそうでない民族とあるのか ブラックアフリカ→基本的に無文字社会
西アフリカ→古くからイスラム教浸透、繁栄したイスラム王国の記録多数
どうもこの二つがうまく噛み合わないんだが
まあ実際西アフリカでもアフリカ人自身による記録は近代以前は非常に少ないようだが >>841
リュック・ベッソン監督「シルガ」では、
奴隷狩りの一団はサハラから「ラクダに乗って」サヘル(多分マリ)
の村を襲撃する場面が登場するな。 なお最近は技術革新によって海水淡水化のコストは淡水1tあたり45セントと地中海をまたいだ河川水のタンカー運搬コストより安価になった。原子力海水淡水化によって更に淡水製造コストが下がることにより、河川に依存しない大規模な灌漑が可能になると見られている。原子力海水淡水化のコストは1tあたり35セント、内陸500kmパイプライン輸送費は1tあたり1ドル20セント前後と見られている。
サハラ緑地かするんか >>883
欧米の博物館はメインの展示品が略奪品
全部返してしまうとガラガラになり集客できなくなる アフリカがなぜダメなのか?
欧米の陰謀なのか?
賢者諸君よく考えよ
ギニアの大統領
初代 独裁者
二代目 軍人、クーデターで就任
三代目 軍人、クーデターで就任
四代目 選挙で就任、投票数が拮抗して就任し暴動
暫定大統領 軍人、クーデターで就任 G20首脳がインド入り
ナイジェリアが一番乗り
えぇナイジェリア? ナイジェリアを知らないな
アフリカ一の経済規模、人口多い、原油産出国 現地時間2023年9月8日23時11分1秒に発生したモロッコの大地震では
古都マラケシュが大きな被害を受けている。
異常なのは、英国、スペイン、カタール、アラブ首長国連邦からの救助隊は
受け入れているのにフランスからの救助隊は受け入れていないことだ。
現在、ニジェールなど西アフリカの旧フランス植民地だった諸国で
駐留フランス軍を追放したり、親フランス政権を打倒する動きが相次いで
いる事と深く関係しているだろう。
これは西アフリカ諸国への地震兵器を用いた脅迫なのだ。
午後11時11分1秒という発生時刻のゾロ目は西側支配階層が好む数字。 47万年前の木造住宅の一部か 十字に組んだ木材発見―ザンビア
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023092100010
現生人類が出現する前
現生人類より優秀な人類がいたが、絶滅してしまった 2023年9月11日にリビア東部のデルナで推定400mmの大雨が降り、
大洪水でダムが決壊して1万人以上の死者が出ている。
デルナの気候は雨が少ないステップ気候で年間降水量は274mm、1.5年分の雨が
一日に降っている。更に、地中海性気候の影響の強いデルナでは雨は冬に集中、
夏は殆ど降らず、9月も平均月間雨量はたった4mm。つまり、平年の9月の
100倍の雨が一日に降っている。これはどう考えても異常である。
日本で言えば、1月の平均月間降水量が21mmと少ない前橋で1月の一日間に
2100mmの雨が降る様なものだ。
また、今回の地中海熱帯様低気圧(メディケーン)は恐らく観測史上
最強の勢力だし、乾期の9月上旬に発生していること自体異例。
この異例さをマスコミが報道できないのは、気象兵器によるリビア東部の
親ロシア政権への攻撃だからだろう。
防犯監視映像ではデルナ市街地に洪水が押し寄せ自動車が押し流されている。
その時刻は9月11日午前2時54分。デルナダム(上流にあった規模の大きいダム)
から市街地までは12kmなので、洪水が時速90kmで流れたとすれば、
ダム決壊は8分前の午前2時46分になる。
ここで気になるのが「ダム決壊時に市民が大きな爆発音を聞いた」との報道だ。
単なるダム崩壊なら洪水に伴う持続的な騒音が聞こえることはあっても、
短時間の爆発音が聞こえることは考えにくい。
9月11日午前2時46分頃に西側支配階層が満水状態になったデルナダムを
爆弾等で爆破した可能性を考えておくべきだ。
もしこの時刻であるならば、それは阪神淡路大震災、米国同時多発テロ、
東日本大震災と同じ人々が実行した大規模テロ事件の犯行声明なのだろう。
・阪神淡路大震災・・・1995年1月17日5時46分
・米国同時多発テロ・・・2001年9月11日8時46分
・東日本大震災・・・2011年3月11日14時46分
・デルナダム爆破?・・・2023年9月11日2時46分? ニジェールから駐留仏軍が撤退開始 米、「クーデター」認定(時事通信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7567f91fb2b04944353eec1dc827daaae535da3
ルノー、日産や三菱自動車との共同購買解消 判断迅速に - 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC270I40X20C23A9000000/
西アフリカのフランス植民地帝国の崩壊。
同時期にフランスの植民地から日産が独立したことも偶然ではない。
今後のフランスは植民地喪失で一挙に貧困国に転落だろう。
フランス人の優雅なバカンスはこれらの植民地からの収入で維持されていたもの。
近未来に北アフリカと経済的地位が逆転するかも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています