チベット史総合スレ その4 [転載禁止]©2ch.net
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>>112
越中での源義仲軍団ではないけど、牛を操ったんだよ。 >>114
>牛を操った
正確には、ヤクね。
真っ黒けの毛長牛。 部品をばらして運搬して現地で組み立てる方式か
長安をどう落としたのか気にはなっていた 長安のみならず、イスラム帝国にも大々的に侵攻して連戦連勝してるんだがどうやったんだろうな・・・
不思議でしょうがない。 >>118
>金ばらまいて城門あけさせた
ちがうね。
中国の皇帝が夜逃げしたから、空き家に入っただけ。
チベット王のお妃が中国のお姫さん(金城公主)で、長安にのこっていた金城のお兄さんを中国の皇帝に即位させ、
改元・大赦を行わせるなど、チベットはすきほうだいやった 後の大理国とか金銀大理石が豊富に採れたらしいから
北の蛮族とは違って軍備は豪華だったに違いないだろう どうしようもない弱兵だけどな。
西の吐蕃には頭が上がらず、東の支那には媚びへつらう。
まぁ立地上仕方ないけどね。 >>114
義仲ってなかなか戦上手だったよな 最後義経に負けるまではほぼ無敗だったし
水島合戦とか源行家がメインの戦いなどは除いて
同時代の義経の名将っぷりに隠れてしまってるが、義仲もなかなかだと思うぞ 義仲vs冒頓単于の戦いなんて想像するだけで面白そうだ 蛮族世界代表vs日本代表って感じでw 青海は元々羌族のものである
羌族の土地を奪い不法に領土主張を行うチベット族はさっさと青海から出ていき羌族に土地を返還せよ
タングートの子孫を名乗るアムド人はラサの影響を受けたチベット語の使用をやめ羌語を使用せよ
チベット文字の使用をやめて西夏文字に切り替えるのだ
ソンツェンガンポとグシ・ハンを絶対に許してはならない タングートはタングラ山麓に住む集団の自称で
モンゴル語だったり、ラサチベット語だったり、西夏語であったり
首長の使う言葉が入れ替わっているみたいだね。 タングートは吐蕃が崩壊した後の現地居残り組だろ。
奴隷兵士的な物じゃなきゃまんまチベット人じゃん。 でも西夏はタングート民族だというし、西夏語はウーツァン地方のチベット語とは違うぞ 西夏を建国するまで二百年かかってるしね。
言語は変化したんじゃないのかな。
交流が殆ど無ければそんなものだよ。 タングートがチベット人だったらビルマ族とか彜族まで全部チベット人になってしまうレベル
そこまでいったらもうチベット族やネワール族やらシナ・チベット語族が全部中国人にされても大差ない だって、現にチベットの一部族だったんだろ。
なら別にチベット人で構わないだろう。
西夏文字も今は昔だしな。 やはり敦煌付近でなく青海に建国すべきだったな
チベット文化に中国文化が融合し、
新たな文化が誕生しそう 西夏に滅ぼされたらしいけど、文献上は青唐って政権があったじゃん 青唐は西夏ではなく、最終的には宋に滅ぼされたみたいよ。
建国二代目で早くも分裂するし、対西夏用の緩衝国として弱すぎるって思われたみたい。 西寧付近は現在では既にかなりイスラム化してるんだよな
河西走廊は漢民族の土地の様に見えて意外と回族多いわ語順がSOVの方言使うわで純粋な漢土とは言えない >>137
チベット仏教ならともかく、
またイスラム教か
ゴキブリ並みに増えるな 馬氏とか康氏といった家はもともとムスリムだったというぞ。
定住民ではなかったから、信仰を維持したわけでもないみたいだけど
ウズベキスタンみたいに定住していたら、ムスリム率は高止まりしていたと思うよ。 >>142
青海湖の「青」と、タングートの「タン(唐)」だよ 結局チベット史はマイナーなんだろうか?
そういやブルシャスキとか、
結構チベット文化圏でマイナーな民族いるな >>144
>タングートは西夏だ。
清代の漢文史料では、チベットを「唐古特」呼ばわりしてるよ
「衛・蔵・喀木・青海」を「唐古特四大部落」「唐古特四大国」とかね 今の自治区と同じくらいの広さでいいから
統一国家を保ってほしかった >今の自治区と同じくらいの広さ
だったら、統一国家でなくて、分断国家じゃん
そしてチベット国と隣接した中国領部分に「内チベット自治区」が設置される
今のモンゴル国と、「内モンゴル自治区」みたいな感じで >>150
それならブリヤートにお相当するところも欲しい アムドはタングート族の国家があれば良かった思う
史実での西夏の代わり >>152
>アムドはタングート族の国家があれば良かった
吐谷渾が滅びた時点で、その目はなくなった。
それよりも、ボルジギン朝(モンゴル帝国→元)があと3世紀くらい続いてくれていたら、
漢人の根性もおおいに改善されていて、いまとはちがったアジア史が展開していたかも……と妄想する。
ボルジギン朝から、明朝抜きでアイシンギョロ朝(清)に移行していたら、、 殷や周の時代にいた犬戎はチベット系だったの?それともトルコ系?トカラ系? 吐谷渾がタングート化するかタングート人が吐谷渾を乗っ取るかだな >>156
西にいる諸民族をおおざっぱに犬戎と呼んだのでは? たぶんそう
あと西戎と北狄はけっこうごっちゃになってる キルギスは緯度的には西戎
ハルハモンゴルは緯度的に北狄
こんな認識でいいと思う。
日本や北京・天津は緯度的に戎 チベットって中国侵攻以前はダライ・ラマを頂点とした絶対王政and奴隷制だったんですか?
奴隷制があるならチベット仏教ではどのように正当化してたんですか? 輪廻転生 前世に悪いことをした ・・・ インドのカースト制度と同じ論理を経典から捻り出す。 >>168
質問がまちがっている。
チベットの人口の8割以上を占める一般農民・牧畜民が「奴隷」だったとか「農奴」だったとかいう
中国のプロパガンダはお腹いっぱいだから。
中国のチベット・プロパガンダは質がわるくて、同じものをさしても、
種本のちがいによって「奴隷」と書いたり、「農奴」と呼んだり、一貫性がない。 でも、自作農ではないよな。
荘園農奴制には違いないでしょ。 省部のチベット民族と
ラサやロカといった自治区のチベット民族では
生業も違うし、家族制度や習慣もかなり違うし、宗教の主流宗派も違う。
省部は草原では純遊牧民であるし
森林では土司支配の半農半牧畜民であるが
自治区では都市があって定住農民がいる。
どこの地域の話かによって事実関係は違うんだと思う。
また土司支配の半農半牧畜民については涼山州のことと混同している書物がある。
自治区書記だった伍精華が涼山州の少数民族の政治家であることなどが理由かと。 >>171
「荘園農奴制」は中世欧州の制度だよw
1959年までのチベットに「荘園」などない!
寺院・貴族・政府(チュー・ゲル・シュン・スム)やポンボ、ゾパたちが
濃淡もさまざまに複合的に利権を設定している農村・
半農半牧村・牧村は広範に分布していた。
「農奴」も存在してなどいない!
ケルワやナンセンはいたけどね。 >>170
質問の意味わかってる?答えになってない 農奴制や奴隷制という用語自体
今ではチベット史に限らず歴史学全体を見ても死語になりつつある
理由は>>172が書いたとおり実態が多様すぎて
一つの言葉でまとめることができないことが明らかになったから 農奴制とか奴隷制とかいってるけど
そもそも1951年以前のチベット社会の後進性の根拠を
不自由身分の存在に求めるなら
移動や職業選択の自由を認めていない中共の人民公社のほうがひどくね? >>174
たとえるなら、
「昔の中国人が、ウサギのツノに薬効を承認していたことを確認できる典拠には何がありますか?
その薬効は、現代医学からみれば、どのような成分に由来しますか?」
という質問といっしょ。
質問自体がまちがっているので、その質問には回答など存在しない。 >>173
移動の自由の無い小作農が農奴っていうんじゃないの?
多分、江戸期の日本に比べても殆どが自作農でなく、寧ろ室町時代に近い感じだったのだろう。
まぁどう控えめに見ても後進的としか言いようが無いわな。
まぁ中国もドッコイドッコイだけどね。 >>178
>移動の自由の無い小作農が農奴
じゃあ巡礼しまくったり、家族が出家して(頭がきわめてよければ)僧院内でいくらでも出世できる
ケルワやナンセンたちは「農奴」ではないな
>179
キミにチベットの基本的素養がいちじるしく欠けているため、
>>168が「ウサギのツノについての質問」であることすらわからないのだ 奴隷制があったのかどうかを聞いてるだけなのに、質問自体が間違いという理屈がよく分からん
あるかないかの二択なだけだろ >>181
ちがいます。
>>168を10回ほど、声にだして読んでみてください。
「奴隷制があったのかどうかを聞いてるだけ」な質問ではありませんよ。
「ウサギのツノについての質問」になってる。
だから「質問自体が間違い」と言っている。 >>180
巡礼くらいは中世欧州の農奴だって出来たぞ。
旅行の自由があるかないかではなくて、自分で土地を離れられるかどうかが農奴かそうじゃないかの違いだろ。 >>183
「僧院システムのなかでいくらでも出世できる」の部分はスルー?
僧侶は人口の2割弱をしめており、またガンデンポタン(ダライ・ラマ
政権の政府機関)は俗人官僚と僧侶官僚の2本立て
僧院システムは、前近代のチベット社会を考える上でのカナメ。
ことさら「奴隷」とか「農奴」とか単語を使いたがるキモチがわからん。
ケルワ・ナンセンでそのまま理解すればいいじゃん >>184
だって、政治システムの話はしてないからね。
純粋に住民の統治の仕方を話しているだけだもの。
その点に限れば、日本で言う戦国時代以前の社会としか言いようが無いでしょ。
自作農が殆どいないのだし。 前近代の社会を解放したのではなく
清朝が統治していた版図を再確認するために人民軍を送り込んだだけでしょ?
民国時代には軍閥同士が小競り合いしちゃう状態は旧清朝地域ではどこでも同じ。
当時に清朝の承継だというのでは、あまりにも前近代的だから
それこそ、大蔵経典ならぬ経済発展段階説から捻り出した論理な訳で・・・
毛沢東思想の薄れた21世紀だったら、清朝の承継だと本音で言っても違和感ない。 >>183
江戸時代だって百姓は自由に土地を離れることは認められていないじゃん
だから領主に不満を持った時は「逃散」という非合法手段に訴えるしかなかったわけで >>186
>毛沢東思想の薄れた21世紀だったら、清朝の承継だと本音で言っても違和感ない。
「歴史の定制」にもとついて、パンチェン11世(チャイナ・パンチェン)を「冊封」してるんだよな
「人民政府」の国務院。 >>185
僧院システムから目を背けると、
ケルワ・ナンセン身分の実態はみえないよ
ケルワ・ナンセンの反面だけあげつらって
「奴隷だ〜」「農奴だ〜」なんていうような議論は無意味 >>187
庶民は自由にお伊勢参りしてたじゃん
ヒシャクを腰につけたら、道々の「お接待」を利用できて、
無線で伊勢まで往来できた >>151
>それならブリヤートにお相当するところも欲しい
ブータン、故シッキム・ラダックがあるがな 青唐吐番が長続きしないと難しいだろうな。
ブータンもシッキムもラダックも独立国というより、チベットの藩の一つに近いノリだ。 185 1 名前:世界@名無史さん Mail:sage 投稿日:2017/05/13(土) 01:31:41.79 [ 0 ]
ダライ・ラマ15世はどうするのかな
意地でもインドが中国に誘拐されないようにするのかな
186 名前:世界@名無史さん Mail:sage 投稿日:2017/05/13(土) 01:58:18.44 [ 0 ]
>>185
>ダライ・ラマ15世
今上14世猊下は、チベットの国外(亡命チベット人社会またはモンゴル・ブリヤート・トゥバ・カルムイクのどこか)から15世を見つけるよう遺言するだろうと思われ。
そして一方の中国政府は、この遺言を無視し、支配下のチベット人の幼児の中から
例の「金の壺」を駆使したりして、何がどうあれ自分たちの「15世」をでっち上げる
ことになるだろう 2017年8月8日、チベットの東部地方(アムド地方東南部・四川省阿壩州の九寨溝)で大地震。
2008年の震災(アムド地方東南部・四川省阿壩州の汶川県)
2010年の震災(アムド地方南部・青海省玉樹州)といい、
チベットのアムド地方て、地震の多発地帯だなも チベット人に言わせるとブータンはチベットの辺境
建築は似ている。でも、チベットは箸を使うのにブータンは手づかみ 今でこそ平和民族ぶっているけど、仏教伝来前までは突然山から下りてきて略奪と殺りくする基地外民族だったんでしょ? 今のチベットはその基地外民族に征服されてチベット語を話すようになったグループだよ
チベット人は他のシナチベット系民族と遺伝子が全く違うからね
基地外民族の方は中華に同化したよ 吐番は五胡十六国の羌が主流だろうね。五胡羌にはチャイナな空気が漂うよ。
現在でいうと、青海チベット人の遊牧民やカム人といわれる四川雲南の半農半牧の民が
羌の子孫でかつ仏教徒であろう。
ヤルンツァンポ河沿いのシガチェなのどの民は五胡羌の子孫ではない。
ダライラマ13世の頃には、青海チベット人に征服され土地に拘束されていたのがヤルンツァンポの民。 >>18
>北方では屋根は反り返ってない。
平遥古城でググれ
北方の山西省でも屋根は反り返っている
確かに江南の伝統建築は特に軒反りが激しいが、
中国の伝統建築における屋根の反りそのものは南北の文化差というより時代の違いだ
反り返った屋根は遅くとも明代以降の文化だ
日本建築はおおむね唐代文化の影響を受けてそこで止まっているのでまっすぐの屋根が多いが、
沖縄だけは明・清の江南の影響を受けているので軒が特に反っている 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
FV2TC カシミール周辺には、イスラム教のチベット系住民がいる >>180
>じゃあ巡礼しまくったり、家族が出家して(頭がきわめてよければ)僧院内でいくらでも出世できる
>ケルワやナンセンたちは「農奴」ではないな
じゃあ巡礼しまくったり、家族が出家して(頭がきわめてよければ)修道院内でいくらでも出世できる
中世ヨーロッパの農奴も「農奴」ではないな >>206
二又フォークがついたライフル銃って、四川 西康っぽい装備だな。 >>204
バルティ人ね。16世紀にイスラムに改宗して印パ分離独立の際にはパキスタンの側に就いたんだったな。 カシミールにいるチベット人の一派ラダック人と
チベット系言語を話すムスリムであるバルティ人、同じくプルギ人Purgiとは
互いの言語が相互に通じなくなっているらしい
もちろんチベット語から分かれた同系のよく似た言語ではあるが 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
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