何故ローマは蛮族ゲルマンの前に滅び去ったのか? [転載禁止]©2ch.net
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同じ蛮族のヴァンダルとかフランクの前には破られなかったのにね ヴァンダルはいまのポーランド出身の蛮族。
フランクはゲロマン化したガリアのケルト人。
ヴァイキングはおそらく海上の騎馬民族的な集団。
そしてゲルマンとはライン側より東側に位置した
ドナウあたり起源の人たちで、いろんな種族の混成民族だったと
言われている。 >>2 実はビザンチンってギリシャの真の黄金時代だったかも
豊かな異教文化は過去のものとなったけど >>4
冗談はやめろ
ギリシャ語が母語なだけのローマ人国家だし
ラテン系からギリシャ系に代わっただけ
しかも今のギリシャにあたる部分は
ゴート人に掠奪受け
スラブ人に文明根絶するぐらいの侵攻を受けて
とどめにノルマン人にコリントスが廃墟になるぐらい掠奪されて
最後はフランスの一部だ
何が黄金なものか 暗黒時代だ フランクはゲルマンかしたと言っているが
言語がゲルマン化したということなの >>8
どうかわからん。
でも、クローヴィスがウェルキンゲトリクスの子孫だったりする可能性もゼロじゃないんだろうな >>4
ケルトとはライン側より東側に位置したドナウあたり起源の人たち
>>7
東ローマはギリシャ語が母語なだけのアナトリア人国家 ラテン系ローマ人から
ギリシャ系ローマ人になっただけの国 言語こそギリシャ語だが
自分たちの事をローマ帝国人だと思っていたので
ギリシャ人じゃない
後代の一部の物好きしかギリシャ人だと思わなかった >>11
そもそもローマの前身のアルバ・ロンガがトロヤの遺民が漂着して建てた街で、アルバロンガ王室、ローマ初代王ロムルス、
ガリア遠征のカエサルを出した名門ユリウス氏族は、アイネイアスを介してアフロディーテとトロヤ王イリオスの血を引く
アスカニウスの子孫を称していた。
つまり、ギリシャ世界と同祖同族を主張していた。 ローマを崩壊させたのはゲルマンというよりフンなどの遊牧勢力だろ。 >>17
アエティウスがフン族撃破しても歯止めがかからなかった時点でそれはない アッチラは早死にして、さしもの勢いを失い、フン族はハンガリーの元祖になったんだっけ? フンが崩壊してもアヴァールやブルガールが勃興してビザンツは脅かされ続け、
守勢にまわった。フン以降、ローマは勝ったとしても撃退という勝利であり、
遠征による勝利は無くなった。 >>23
そうだよ
ブルガールは見た目も言語もスラヴ化したけど >>22
外部の勢力の脅威よりも内乱多すぎ。規律・技術で侵略者上回れたローマ軍を
内部抗争ですりつぶしてりゃ、遠征も満足にできなくなるわ。ユリアヌス帝の時代ださえ
長期遠征のノウハウ失われてんだから ローマは全盛期でもダキアから東には何故か進撃しなかった。 >>27
ギリシャ人やローマ人は白人とはいえ地中海人種だぞ ダキアの寒さは身にしみただろう
ましてそれより道の奥に行くなど考えられない 金髪女を拉致しに行くとか以外に何も考えられん
いや、それでも一応南ドイツ、ベルギー、イングランドまでは征服しているんだよな
案外ローマ人も寒さに強くて単なる地中海帝国とは言い難いな クリミアやカフカスの黒海沿岸ならどうにかできそうだけど
実際ギリシャは植民都市を置いてたんだし
ローマは海軍力はからっきし? 東に行ってんじゃん。
ある時期には今のクウェートら辺、ペルシャ湾に届くところまで、領土にしているし、キリスト教の興った時分にはアナトリア全域、
ヨルダン川あたりまでローマ領だったろ。
ダキアの対岸、このまえ冬季オリンピックのあったソチのら辺、コルキスとかアルメニアとか三頭政治のポンペイウスに攻略されて
保護国になってるになってるだろ。 >実際ギリシャは植民都市を置いてたんだし
ギリシャ植民者はスキタイ王に貢納を義務付けられ、
スキタイ王の名を刻んだ硬貨を使わされていた 別に珍しいことではないわなあ
アテナイの中にもフェニキア人の住んでる街区にカルタゴやらシドンやらの船が来て商いをしていたわな
土地借りて地代を払ってフェニキアの神様を祭る祠までこさえてたわな
地代も商いの租税も基本アテナイのコインで支払ってくれ、だよ オグズ系トルコ人が滅ぼしたんではないの?
1453年のコンスタンティノポリス陥落で そもそもローマ軍自体がゲルマン人の割合が高くなった時点で
帝国の滅亡は必然だろう 詳しく知りたい者は、
京都大学学術出版会より刊行されている
『西洋古典学事典』
を、熟読することだ。 火薬は宋が使いだしたようだ 東ローマはアラブを、宋は金を火炎筒で撃退したらしい
遊牧民がただ単に馬や羊だけ飼っていても、それがそのまま最先端の武器に変わる訳ではない
およそスキタイからモンゴル、トルコに至るまでユーラシア内陸部の遊牧民は強大な勢力を持っていたが
どこか鉄器を加工する高度な文明を持った地域と交易しないと強力な武器は入手できないはずだ
トルコ軍の強力な武器であるウルバン砲はハンガリーから入手し、ハンガリーはトルコに滅ぼされている
同様の事がユーラシアでは繰り返され来たのではないか イスラム過激派の武器は欧米製ではないのか?? 発掘された遺物依るとゲルマン女性はローマ人男性より体格が大きく屈強だったそうだから
当時の人はさぞかし怖かったろうな 総合的にいえば外敵のせいではない。ローマは自滅したんだよ >>38 クニグンデ・アーデルハイト・ヒルデガルト(時代考証はめちゃくちゃw)VSマルキア、ポッパエア、リウィア
確かに名前でもゲルマンの方が強そうw 質実剛健のゲルマン族の前には堕落と快楽の追及の果てにローマはまるで歯が立たず滅んだまるでソドムとゴモラのように・・・
日本もそうなる
これは予言ではない
事実だ 8 名前:世界@名無史さん
京都大学学術出版会が出している
『西洋古典学事典』のI-PAD版が大変
役に立ちます。
有益この上ないツールですので、買わないと損をしますよ。
とくに古代ギリシャ・ローマに関心のある方々にとりては必携ですぞ。 >>46
30,240円とやや高めだけどね
でも読み応えはある >>46ってあちこちに貼られてるようだけどステマってやつなの? ローマに入り込んだゲルマン人がローマを滅ぼしたんだよ
チャンチョンみたいなもん
チャンチョンの上位互換
それがゲルマン人 アリウス派やゴート語はどっかで存続してほしかった
デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの一国くらいは
アリウス派、ほかのもう一国はゴート語の国ならよかった ゲルマン人の方がかっこいいからだろ
蛮族だゆーたところで金髪長身の方がいいに決まってる いくら文化や組織が発達したところでチビじゃもてないから
ローマ人はゲルマン人に嫉妬したんだよ
これが現実 オスマンもハーレムに金髪女ばっかいれたせいか
スルタンは醜いアラブと違って白人になっちまった 4世紀のローマ帝国はアタナシウス派と反対派との闘争史 最終的に敗れたとはいえ、ゲルマンやスラブへの伝道を積極的に推し進めたのは彼らの功績 イエスは父なる神よりは劣るという教えがよく蛮族に受け入れられたな
アタナシウス派のほうが多神教から移行しやすそうだけど
聖霊を土着の神々と読み替えて ハカイダーアッティラをストップしたローマ法王さんかっけーなんてこともあったな そう考えると、アタナシウス派の三位一体説は、多神教からのクッションになるかも >>52
ローマのような南欧人って意外と背が低くチリチリ頭の黒髪で非イケメンもいるしねw ヨーロッパの定義は
「ローマ文明=アタナシウス派を受け入れたところ」と言えるかも
東も西も。 アイルランドはカトリックになってから初めてヨーロッパになった
ドイツ東部はザクセン戦争で初めてヨーロッパになった ソ連に併合された時のリトアニア人ってどれくらい敬虔なキリスト教徒だったんだろう
下手したら併合時点で改宗して600年も経ってないんじゃないの? そういえばスーダンのイスラム教徒も500年前まではキリスト教徒だったんだよな >>67
今はイタリア人男性の平均身長は175cm近いからそんなでもない ゲルマン女性の屈強でたくましい背中は魅力的だよな
頼りがいがあるというか >>68 そのころオランダやスウェーデンではさらに先を行っていた >>62
そういや北方十字軍の本の副題が「ヨーロッパの拡大」だった 屈強なゲルマン人がどうして貧相なフン族にフルボッコされた? 戦争はそれほどでもなかったんだろう
だからこそローマ人もゲルマン人に対する戦争では
侵略される事はなかった
しかしゲルマン人の傭兵を雇ったせいで内部から侵食されて滅びた >>62
地中海東岸地域で非カルケドン派になったのはなんでなん? >>1
マグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒したテオドシウス1世が西ローマ没落の張本人
テオドシウス1世が彼らを倒すとガリアの軍事力が痛手を被り西ローマ軍は急に弱体化した
もともと軍事的には西の方が優勢でコンスタンティヌス1世やユリアヌスは西から東を征服した
ウァレンティニアヌス1世の治世には兄が西の皇帝で弟のウァレンスが東の皇帝で西ローマは
まだ充分に強大であった ササン朝はアラブ・ムスリムに滅ぼされたけどアラブ軍侵攻の直前に
ササン朝はヘラクレイオスの東ローマ軍との戦争で大損害を被っていた
この損害から回復する前にアラブ軍に攻められてササン朝は滅亡した
西ローマもテオドシウス1世の東ローマとの損害から回復する前に
ゲルマン人らに攻められたので撃退出来なかったようだ >>73
貧相だったのかな?背が低いという記録はあるが。
例えばモンゴル人やカザフスタン人は顔は東アジア人に似ていても身体は驚くほどゴツいからさ。
フン族も実際は北欧人並みかそれ以上に屈強だったかもよ そもそもゴート族はどうやってサルマタイに勝ったのだろう?
勝者のゴート族が敗者の戦術を模倣するというのも奇妙なんだけど、
ゴート族はフン族と戦った頃にはサルマタイを模倣して騎兵主力の軍に
なっていたけど元々は他のゲルマン人と同じく歩兵主力の軍だったらしい。
軽装歩兵のゴート族が重装騎兵&弓騎兵のサルマタイにどうやって勝ったのだろう?
キンメリア対スキタイ、スキタイ対サルマタイ、アラン族対フン族など
他は遊牧民対遊牧民、騎兵対騎兵だった。 南匈奴とフン族は人種が違うみたい
南匈奴は匈奴はコーカソイドでフン族はモンゴロイド
フン族は匈奴に征服されたモンゴロイドの末裔で
オルドス周辺に残った南匈奴が匈奴みたいだな
匈奴と烏孫と月氏が匈奴系民族だったみたい 森だよ、きっと森におびき寄せて皆殺しにしたんだ(適当 >>84
オルドス青銅器文化で出土した匈奴人の人形は長い鼻、大きい目をしており
濃い髭も有していていわゆる平べったいモンゴル顔じゃないんだよね 南匈奴はコーカソイドでフン族はモンゴロイド
ローマ帝国がラテン人だけでなくケルト人や
ギリシャ人やエジプト人もいたように
匈奴帝国も匈奴だけではなかったはず ゴートがサルマタイに勝った、というほどに地勢が決まったわけではなく、
双方の勢力が入り組んでいた。人口的にゴートがサルマタイに優位に立ち、
騎兵の戦力でサルマタイがゴートの人口圧力に抵抗していた、という関係なのではないか。 >オルドス青銅器文化で出土した匈奴人の人形は長い鼻、大きい目をしており
>濃い髭も有していていわゆる平べったいモンゴル顔じゃないんだよね
いや、同時にもろにドルジ顔の人形も出てくるし、その辺は混在していたんじゃないか? アッティラもДОРЖ顔だった可能性もあるな 記述を額面通り信じれば >>88
サルマタイが農民化し始めていたからゴート族を追い払えなかったのかも。
スラブのアント人は農民化したサルマタイの子孫だったらしいね。
東ローマ人はスクラヴェン人とアント人をともにスラブ人とみなしていたけど、
アント人はスラブ語を話していなくても単に似た服装の農民という事で
スクラヴェン人の同類にしていただけなのかも。 そりゃ何割かは割り引いたほうがいいだろw
ヒャッハーされて酷く恨んでる状態で
綺麗な容姿とか身のこなしとか間違っても書かないだろう http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1993&lang=jp
朗報で〜す!
『西洋古典学事典アプリ』
が出ていますよ。
ヴァージョン・アップしている上、携帯に簡便です。
私は、これを愛用しています。
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購入は App Store からOK! 匈奴と東胡は月氏よりも土地に愛着が強く農民的だったようだ
匈奴は始皇帝にオルドスから追い出されたが
そのままどこかへ移住せずに始皇帝の死後すぐにオルドスに戻ってきた
東胡は匈奴に敗れると逃げずに匈奴に征服された
月氏は匈奴に敗れると配下になる事を拒み西へ移住した
匈奴と東胡と月氏では月氏が最も遊牧民らしい遊牧民だったようだ
匈奴は始皇帝にオルドスから追い払われたので
他の遊牧民を征服出来る遊牧民らしい遊牧民になれたようだ かの傑作『西洋古典学事典』が
電子書籍で読めるなんて
とても素晴らしい話ですわネ。
さっそく私も購入致しますわ。 ゲルマンに蹂躙されるローマ、五胡に中原を奪われる漢族
堕落した文明は野蛮に負ける ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています