何故ローマは蛮族ゲルマンの前に滅び去ったのか? [転載禁止]©2ch.net
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同じ蛮族のヴァンダルとかフランクの前には破られなかったのにね >>67
今はイタリア人男性の平均身長は175cm近いからそんなでもない ゲルマン女性の屈強でたくましい背中は魅力的だよな
頼りがいがあるというか >>68 そのころオランダやスウェーデンではさらに先を行っていた >>62
そういや北方十字軍の本の副題が「ヨーロッパの拡大」だった 屈強なゲルマン人がどうして貧相なフン族にフルボッコされた? 戦争はそれほどでもなかったんだろう
だからこそローマ人もゲルマン人に対する戦争では
侵略される事はなかった
しかしゲルマン人の傭兵を雇ったせいで内部から侵食されて滅びた >>62
地中海東岸地域で非カルケドン派になったのはなんでなん? >>1
マグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒したテオドシウス1世が西ローマ没落の張本人
テオドシウス1世が彼らを倒すとガリアの軍事力が痛手を被り西ローマ軍は急に弱体化した
もともと軍事的には西の方が優勢でコンスタンティヌス1世やユリアヌスは西から東を征服した
ウァレンティニアヌス1世の治世には兄が西の皇帝で弟のウァレンスが東の皇帝で西ローマは
まだ充分に強大であった ササン朝はアラブ・ムスリムに滅ぼされたけどアラブ軍侵攻の直前に
ササン朝はヘラクレイオスの東ローマ軍との戦争で大損害を被っていた
この損害から回復する前にアラブ軍に攻められてササン朝は滅亡した
西ローマもテオドシウス1世の東ローマとの損害から回復する前に
ゲルマン人らに攻められたので撃退出来なかったようだ >>73
貧相だったのかな?背が低いという記録はあるが。
例えばモンゴル人やカザフスタン人は顔は東アジア人に似ていても身体は驚くほどゴツいからさ。
フン族も実際は北欧人並みかそれ以上に屈強だったかもよ そもそもゴート族はどうやってサルマタイに勝ったのだろう?
勝者のゴート族が敗者の戦術を模倣するというのも奇妙なんだけど、
ゴート族はフン族と戦った頃にはサルマタイを模倣して騎兵主力の軍に
なっていたけど元々は他のゲルマン人と同じく歩兵主力の軍だったらしい。
軽装歩兵のゴート族が重装騎兵&弓騎兵のサルマタイにどうやって勝ったのだろう?
キンメリア対スキタイ、スキタイ対サルマタイ、アラン族対フン族など
他は遊牧民対遊牧民、騎兵対騎兵だった。 南匈奴とフン族は人種が違うみたい
南匈奴は匈奴はコーカソイドでフン族はモンゴロイド
フン族は匈奴に征服されたモンゴロイドの末裔で
オルドス周辺に残った南匈奴が匈奴みたいだな
匈奴と烏孫と月氏が匈奴系民族だったみたい 森だよ、きっと森におびき寄せて皆殺しにしたんだ(適当 >>84
オルドス青銅器文化で出土した匈奴人の人形は長い鼻、大きい目をしており
濃い髭も有していていわゆる平べったいモンゴル顔じゃないんだよね 南匈奴はコーカソイドでフン族はモンゴロイド
ローマ帝国がラテン人だけでなくケルト人や
ギリシャ人やエジプト人もいたように
匈奴帝国も匈奴だけではなかったはず ゴートがサルマタイに勝った、というほどに地勢が決まったわけではなく、
双方の勢力が入り組んでいた。人口的にゴートがサルマタイに優位に立ち、
騎兵の戦力でサルマタイがゴートの人口圧力に抵抗していた、という関係なのではないか。 >オルドス青銅器文化で出土した匈奴人の人形は長い鼻、大きい目をしており
>濃い髭も有していていわゆる平べったいモンゴル顔じゃないんだよね
いや、同時にもろにドルジ顔の人形も出てくるし、その辺は混在していたんじゃないか? アッティラもДОРЖ顔だった可能性もあるな 記述を額面通り信じれば >>88
サルマタイが農民化し始めていたからゴート族を追い払えなかったのかも。
スラブのアント人は農民化したサルマタイの子孫だったらしいね。
東ローマ人はスクラヴェン人とアント人をともにスラブ人とみなしていたけど、
アント人はスラブ語を話していなくても単に似た服装の農民という事で
スクラヴェン人の同類にしていただけなのかも。 そりゃ何割かは割り引いたほうがいいだろw
ヒャッハーされて酷く恨んでる状態で
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匈奴は始皇帝にオルドスから追い出されたが
そのままどこかへ移住せずに始皇帝の死後すぐにオルドスに戻ってきた
東胡は匈奴に敗れると逃げずに匈奴に征服された
月氏は匈奴に敗れると配下になる事を拒み西へ移住した
匈奴と東胡と月氏では月氏が最も遊牧民らしい遊牧民だったようだ
匈奴は始皇帝にオルドスから追い払われたので
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文化的な生活水準
帝政ローマ時代のローマ市民=中世ヨーロッパの王侯貴族 なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 >>96
でも欧州に来た匈奴の末裔とされるフン族は農民的って感じでもない
変容しちゃったのか? ゲルマン人の大移動って今でいうと日本に中国人が大量に押し寄せるようなイメージ?
そら無茶苦茶になるわ 原因は平たい顔族だけどな
黄色くて目の細い人種は人類の平和の脅威か >>104
フンは平たい顔族だったがアランはイケメン戦士が多かったという ゲルマン蛮族とキリスト教会の所為で高度なローマ文明が台無しに…
ゲルマン蛮族「ヒャッハー!ローマ文明SUGEEE!でも俺には扱えねえし修理もできねえww」
キリスト教会「イエス様の教えこそ大正義!それ以外は邪教!アレクサンドリア図書館も破壊するわ」 ゲルマンはルネサンスと産業革命で許された
だが平たい顔族よ!てめーらはダメだ! ゲルマン人たちがローマの文化と伝統を破壊したというイメージがあるけれど、
実は、ローマ文明に憧れ尊重したゲルマン人の王は多かった。
またキリスト教会も異教徒は排撃したが、ローマ帝国自体は否定していなかった。
旧西ローマ帝国領における文明を荒廃させてしまったのは、キリスト教の浸透や、ゲルマン人の侵入以上に、東ローマ帝国との抗争。
罪深きは、ユスティニアヌス。
そして、ユスティニアヌスに、彼には不釣合いなほど名将だったベリサリウスとナルセスを与えた運命。 ホーガンみたいなやつが大量に押し寄せてくるんだよね
ほんとたまったもんじゃないよね >>103
フン族は匈奴に征服されたもともとは別の遊牧民なんだろうね
匈奴そのものは南匈奴としてオルドス周辺から動かなかったようだ >>111
東ローマがもう少し長くイタリアを占拠したり、
ブランク王国まで滅ぼしてたら
ヨーロッパが世界のトップになるどころか原始時代まで退行してたな ユスティニアヌスやベリサリウス達の生まれ故郷バルカンがスラブ化して
ローマ軍主力が消滅したから無理
スラブ人のバルカン移住がなければ東ローマはフランク王国とかも
滅ぼしてローマ帝国をそっくり再建出来たかもしれないね ユスティニアヌスによる征服を見る限りでは、
東ゴート西ゴートブランクの方が
東ローマよりもよほどローマ文化を保持できたわけだ >>117
法律は残したけど、社会や文化を徹底的に破壊したというところかネェ >>118
ランゴバルドも東ローマよりはマシだったんじゃね
ロンバルディアとかの北イタリアからヨーロッパの発展がはじまったし ランゴバルド時代(ランゴバルドによるイタリア半島占領から神聖ローマによる征服まで)の
研究書って日本語じゃ見たことないなあ
どのような史料や遺跡が残っていて、都市や農村の生活がどうだったのか、、
概要の簡単な紹介では、考古学的にはアルプス以北の諸国より都市の没落は酷くなく、
6-7世紀に底を打って以降8世紀には回復基調に乗るらしいが、、、
東ローマの沿岸諸都市も8世紀には回復基調に乗るらしいから、
東地中海的な復興なのだろうけど、、、 仮にローマ帝国がゲルマニアを完全征服しても
次はノルマン人、バルト族、スラブ人と領域を接することになるわけだが
上手くいったかどうか・・・
つか中世では大暴れするノルマン人だが、古代は随分大人しいよな 今の西欧の王侯貴族は元を辿れば
侵入してきたゲルマン蛮族の首長の血筋
イギリス→ノルマン人
フランス→フランク族
スペイン→西ゴート族 スカンジナビアの王家 ユングヴィ → イングランド
テウトニー → ジュート → ユトランド
ゴート → クロアット → クロアチア
アッティラ → オーディン and アーサー王 背の高さがゲルマン人とローマ人とでは差があったようだ
力負けしたのかな 移民なんてダメなのは、すでに歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴
《フンヌ》=フン族=後のハンガリー、フィンランド人のこと、
ウイグルや突厥に追われた柔然とはブルガール人、後のブルガリアのこと、
突厥がその後オスマントルコになるのは言わずもがな)、
しかし、三国志の統一も20年くらいで、
その後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代が300年続いたのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
その結果がローマも中国も暗黒の中世である
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
フィンランド人の平均顔面
https://pmsol3.files.wordpress.com/2011/02/averagefinnman.jpg
日本人の平均顔面
http://livedoor.4.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/a/a/aac8ce68-s.jpg
だって生粋のフィンランド人てこれだからな
http://i.imgur.com/rM9Dvk5.jpg
なぜなのか ヴァンダルとかスエービーって王国が滅びた後、元いた土地に帰った人が大勢いたみたいね
満州の引揚者みたいな感じかもしれないが、自然に考えてそうするよね ヴァンダルの故地ってフンが崩壊した後もアヴァールとかブルガールがヒャッハーしていたようだけど、帰れたのか? >>127
当時の平均でゲルマン人が170cm、ローマ人が155cmぐらい
体格差は軍事教練と軍律でカバー
築城攻城土木建築、兵站システム ゲルマン人のでかい図体はフン族の軽快な機動力の前には逆に仇になったんじゃないか? >>132
平均身長170とは当時としては驚異的に大きいな 古代と現代は10〜15cm程度の差だから驚異的というほどではない
今の北欧やセルビアあたりは平均185cmくらいなのだから
当然の話だろ 中国人が匈奴の強さは、騎馬だけでなく、でかい図体にもあるって述べてなかったか 西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり
ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に
ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退
日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ
カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う 大きさで言ったらゲルマン>ローマ>キョウド
ローマは体格的にはずっとチビだった。でも数百年に渡ってヨーロッパ最強だった。
ゲルマンはゴートにしろフランクにしろただの盗賊野郎だったがローマに憧れてキリスト教化してもいた。
キョウドさん、フンさんは蛮族そのものでんがな。ともかく体格と戦争での強さはあんまし比例せんて話やわ。 かの世代最強のモンゴルさんアメリカさんにせよ、ベトナムみたいな山にこもってテロ戦略する国にはかなり手を焼いてたし。フンやモンゴルが強くても、ガチでやり合ってアルプスやイングランドまで逃げたら騎馬では入ってこれないし勝てたんじゃね?
とは思うさ。 中国の名将も騎馬民族と対峙するときは戦わずに都市を焼いて逃げたらしいしな。
戦争の勝敗は戦略と練度で決まるてことさ。 定説だけどローマが負けたのは
@ゲルマンが頻発しすぎて危機感がなくなってた
Aゲルマン同士でも争ったりしてこいつら阿呆だったんでゲルマンをなめてた
Bローマ人同士で権力争いして一枚岩じゃなくなってた
C騎馬の時代になりつつあったのに対応できなくなってた
Dキリスト教化しており国のトップが複数いるようなおかしな状況になってた(戦争するにも法王の許可がいるような状況に)
つまりゲルマン以前の内部崩壊ね。ほぼ塩野説だけど。 フン軍・・・平均身長165くらいのドルジ顔
アラン軍・・・平均身長180くらいのイケメン顔
でも圧倒的に前者のほうが強かったとさw 後世に誇れるような高度な文明をつくれてなきゃ蛮族でしょ 今は先進国の構成民族でも、昔は蛮族だったなんて枚挙にいとまがないほどあるだろ 金髪イケメンだからだろ
ローマではゲルマンのカツラがはやって精神面で負けた
人間っていくら相手が蛮族でも身体面で負けるとコンプレックスもつんだよ >>141
単純に組織の差だろ
タイマンで同条件なら体がでかい方が有利
じゃなきゃボクシングの階級制の意味がない 移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志の時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れた
(献帝を守った白波軍とは匈奴=フン族のこと
匈奴に負けた大月氏はインドに攻め込みクシャーナ朝を設立
柔然も西方に走り、後のブルガリア人となり
突厥がやがてオスマントルコとなる)、
しかしその後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志の時代の中国人や古代ローマ人に人間くささや親しみを感じるのはそれは当然なのである
寛容と人の良さが素晴らしい文化と発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
奴らは最初は弱者のふりをして、その実、乗っ取りしか考えていない
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!! 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
PZGWF >>150
日本には移民か移民の子孫しかいないが。
お前もそう。 国家形成以前に移住した人を移民とは言わないのではないかな? アムル人がメソポタミアを乗っ取ったのも同じような経緯だよな 日本人に乗っ取られて日本人に見捨てられた悲しいチョン半島 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
K9U バーバリアン・ライジングなんて番組でゲルマン民族の反乱を観た。ゲルマンの子供を掠ってローマ人仕立てで支配するけど結局、反乱されてた 「ローマ帝国」を滅亡させたのはゲルマンではなく
フン王のアッティラがこれらの諸部族を手下にしてローマの攻撃に動員させ、
東西両帝国に対して公然と侮辱し貢納を貢がせ、各地を攻撃して略奪したことで
諸部族がローマの威光に対する畏怖を抱かなくなったことに起因する。 「ローマ帝国」を滅亡させたのはゲルマンではなくササン朝
ローマはオリエントでのササン朝との戦争を優先して
ササン朝との戦争にヨーロッパ国境の軍も動員したので
手薄になった国境をゲルマンは何度も突破する事が出来た
多く場合ゲルマンが侵入するとローマはササン朝と講和して
ヨーロッパ国境に軍を戻してゲルマンを追い出したけど
ウァレンス帝はササン朝と講和せずに侵入してきたゴート族を
ローマ軍に編入して対ササン朝の増援にする事を閃いた いつもはゲルマンが侵入するとローマはササン朝と講和して
ヨーロッパ国境に軍を戻してゲルマンを追い返していたけど
ウァレンス帝はササン朝と講和せずにゴート族を招き入れて
ローマ軍に編入して対ササン朝戦の増援にする事を閃いた >>37
「遊牧」とは「狩猟」の進化した一種(動物の群の制御を覚えた狩猟)
・狩猟民 不猟時には縄張り争いや略奪するし、武力を背景に交易しつつ弱い相手は狙う
→・遊牧民 毎日が軍事訓練を兼ね、日常的に略奪+戦争が日常的
工業社会で銃器が発達するまで、力関係では、狩猟・遊牧≧農耕だった
チンギス・カン(狩猟民の一形態である遊牧民)
> 「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、
> その所有する財物を奪い、
> その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」
狩猟民(女真族など)が武力で略奪→奴隷に農作業させ半農半猟
北方へ漂流した日本人も、現地人(千島アイヌなど)に捕まって奴隷にされてたし
アイヌ同士でも奴隷制はあったが
奴隷制の広まった主因は遊牧、という話だな
> ■『家畜文化』の蓄積
> メソポタミアなどの小アジアで、10,000年前にヒツジ・ヤギの家畜化が始まり、
> 9,000〜8,000年前頃に「搾乳」、少なくとも6000年前までに「去勢」の家畜技術が開発されている。
> それ以来3,300年前の本格的な“騎馬遊牧民”に至るまで、
★> 『どのように家畜の群れを意のままに管理するか』という【家畜文化】が遊牧民には蓄積されている。
★> (※後にこれを人間に当てはめ、遊牧民は奴隷管理に長けていくことになる) 前漢の武王が匈奴を征伐したから
東からの玉突き事故でゲルマンが難民としてきたからですよね
ローマの内部問題としては
経済格差が広がりすぎて貧困層のインフレもひどかったから(使う貨幣が上流と違う種類)
貧乏な連中はゲルマン人侵入にそれほど反対しなかった
むしろゲルマン支配後の方が生活はだいぶマシになったくらい
経済格差が拡大しすぎると結束力が乱れるというのが基本パターンに嵌っちゃった
そういう意味でジニ係数の高い現代アメリカやチャイナは危うさがある アメリカは州で独自にやってるから崩壊はない
極端な中央集権な支那はやばいだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています