え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2 [転載禁止]©2ch.net
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※前スレ
え?この時代からあるの?という技術・発明
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1420102261/
前スレ折り返し辺りからネタ切れ感あったけどとりあえず ガム
古代ギリシア人がすでに愛好していたよ
http://ja.wikipedia.org/wiki/マスティック・ガム
ちなみにこのガム、今も健康食品みたいな扱いで通販で入手できるよ 「新聞」とWikipediaで調べてみると、唐の時代からあったようだな。あれは今で言う官報に近いものだと思うが。
事件報道とかの記事が載った新聞って何処の国でいつ頃始まったんだろう。 いつも思うが連続性があるものとないものを分けて欲しい
唐のものは新聞類似のものの最初かもしれんが
後の新聞ではないだろう
酒場の掲示板とかが始祖だろうか オランダの世界遺産、シュレーダー邸(1911)
ttp://www.k3.dion.ne.jp/~honjo/LOVELOG_IMG/BCADDAB0C0DEB0934020(4).jpg
今ならあってもおかしくないが、日本でいう明治時代の建築とは思えない斬新さ。
>>4
定期的な刊行物としては、17世紀のドイツに始まるようですね。1650年、日刊紙創業。
現存する最古の瓦版は大坂夏の陣の結果を伝えたものですが、勿論定期刊行ではない。
それどころか、江戸も後期にならないと業者が組合に名を列ねていない。 >>5
バウハウス思い出したなんとなく
用の美ですか >>5
逆に言えば江戸後期には株仲間所属の出版業者が定期的に報道物を刊行していたということですかね? 古河の歴史博物館に行くと、蘭学の街らしくストリートオルガンが展示されている(学芸員に頼むと演奏もしてくれる)。
古河のものは大型だけれど、家庭用の小型オルガンもあったらしいね。家庭で合奏曲を聴けるというと、レコードの魁かな。 >>9
録音技術の無かった時代、家庭で音楽を楽しみたい人は(楽団抱えられるほどの富豪は別にして)自ら演奏した。
家庭用ストリートオルガン(変な言い方だけど)によって、自ら演奏すること無く家庭で音楽を観賞できるようになったのだから、レコードやCDはその延長線上だと思う。 15年位前白人の爺さんが酒に酔っ払いながら手回しオルガン回してたの思い出すな
隣に6歳くらいの幼女がないてて
ナンダこれアニメのひどい場面の再現か?とあたりを見回した記憶がある >>11
堺屋太一本によれば、最初の録音物の販売はビスマルクの演説
だったそうだからww
エジソンも自分の発明によって興行がここまで巨大産業に
なるとは思ってもみなかったのだろうなww >>8
定期的な収入は上がっていたのでしょうね。
史料を探しても出て来ないのですが。処分してしまったかな。
>>9
中国のオルガンは、フビライの中統年間(1260-1264)に、「回回国」から贈られた
「興隆笙」が最初だと言いますね。
本物の羽を用いた孔雀が飾られた、異国情緒のある品物であったという。
もっとも、マテオ・リッチ(1552-1610)は「中国には鍵盤楽器がない」と言ってお
り、自らもクラヴィコード(一説にチェンバロ)を献上していますが。
どちらも欧州では14世紀末にはあったので、どちらでもおかしくない。
日本にも、同時期に天正少年使節が両者を持ち帰っていますが、出発の前年である
天正9年(1581)に、安土のセミナリオを訪れた信長は、ハープシコードの演奏を
耳にしたということですから、鍵盤楽器の伝来はより古いのでしょう。
遠藤周作は信長の前で演奏した日向の領主の息子を伊東マンショとしていますが、
彼の親類のジェロニモだろうと思います。
ピアノは1823年にシーボルトが持ち込んで日本人に贈った物が現存最古。
しかし、最初の伝来はより古いかもしれません(発明は17世紀末)。
ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。 >>15
>ベートーヴェンは1827年没。ひょっとしたら生前に日本で演奏されていたやも。
あり得ますね。
ヨーロッパ情報の日本伝来は意外と速くて、頼山陽が「仏郎王詞」を詠んだのは1818年。ナポレオンは存命中に日本でも知られていた。 Wikipedia「サウロマタイ」より
サウロマタイの住居は荷車と一体であるので、古代のギリシア人は同じ習俗を持つアガテュルソイとともに彼等を
「ハマクシビオイ(車上暮らし族)」とも呼んだ。
俺も去年の今頃はやっていたよ車中泊の連チャンを・・・
全国の公園駐車場を渡り歩いたものさ・・・ どうやって脱出したのかをぜひ詳しく。
明日は我が身である。 >>18は、強いられたホームレス的生活として解釈してるようだけど
>>17 は、定期預金1000万ぐらいあって、田町の2LDKのマンションも
確保したうえで、趣味として全国放浪してたのかもよ 遊牧騎馬民族はテント暮らしが定番かと思いきや、
紀元前からキャンピングカーを持っていたとは
http://wildfiregames.com/forum/index.php?showtopic=18573&page=2
俺も定年になったら気ままに車で日本一周したいな。 今ググったら、馬車の鋼製バネ(サスペンション)の起源は欧州17世紀、と
あったけど、確かその前は、車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
当時の道路事情で、サスペンション無しの馬車に長時間乗るとか
拷問っぽい気がする 想像だけど 乗用馬車の車輪が大きいのは、車輪時代が撓んでサスペンションとして働くのかもね。
もちろん、車輪が大きいと悪路の走破性も良くなる。 >車軸と本体の間に何かを詰めた袋みたいな
>ものを置いて、クッションにして振動を減らしてたんだよね・・
それは初耳ですが、15世紀後半になるとハンガリーでコチ(地名だが、馬車名にもなった)
が生産され、西欧にはフランスのシャルル7世に送られて伝わっていますね。
運ぶ、導くことから、指導員(コーチ)の語源でもあるとか。
それでも、17世紀までは欧州で馬車はあまり使われていなかったはず。
アッティラの時代のフン族の婦女子もほとんど荷車の上で過ごすと書かれていましたが、
これは誇張があるでしょう。
しかし、それほど当時の西欧の人間には車上生活が珍しかったと見える。
我が国では、源頼光配下の三人(後に四天王と呼ばれる面子の内、源綱を除く三人)が、
賀茂の祭の行列を見物したいが馬を列ねて見るのは悪目立ちするし、徒歩では疲れるとい
う理由で牛車に乗ったところ、初体験で乗りなれていなかった上に牛が逸物だったのが悪
い方向に作用してしまい、車内で前後左右に揺られ、酔って烏帽子も落とし、死に掛かっ
たので徒歩で帰還したという話があります。
平季武いわく、「猛き武者でも、車に乗る戦いは不要。自分はあれ以来、車には近づいて
もいない。」と。
牛車に乗って移動していた女性たちは記録していませんが、あれも乗り方を教える人間が
いないのに乗ると、歩いた方がましな目に遭わされたということです。
源義仲も酷い目に遭わされたという逸話がある。 馬車の振動を防ぐために、椅子を本体に固定せず、
ブランコやハンモック方式で、上に立てた横棒から吊ってたのもあったらしい
シンプルかつ安価な良い解決方法だ・・
俺じゃ昔に生まれてても多分思いつかんわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています