え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2 [転載禁止]©2ch.net
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※前スレ
え?この時代からあるの?という技術・発明
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前スレ折り返し辺りからネタ切れ感あったけどとりあえず これからはそういうのはロボット二等兵にやらせてほしい >>125
うん、だからこれは全然強行軍ではないという話 >>126
三等兵と思われます。
農薬
桃山時代の日本でトリカブトなどの有毒植物の混合物が使用され、明末の『天工開物』にも砒素を利用したことが見えている。
江戸時代にはやはり有毒植物であるアセビを煎じ、水で薄めて撒くことも行われたが、これは汲み取り式の便所に撒くことでも
殺虫効果が重宝されていた。 >>128
そういえばズバリ「除虫菊」という花がありますね。
私は子供の頃「女中菊」だと思っていました。番町皿屋敷の話を知っていたからですかね。 汲み取り式でウジ虫を根絶すると溜められた糞便が軟化せず詰まりやすくなる >>126
今は現代なのにサラ・コナーさんがロボット犯罪について報道したらしいww 除虫菊って古くからあるイメージだったけど、日本に入ってきたのは
明治時代だったんだね ヨモギはかなり古くから防虫に使われてたんじゃないかな。
ちなみに見た目がかなり違うが、ヨモギもキク科の植物。 農薬の歴史については、農薬工業会のホームページが面白い。
http://www.jcpa.or.jp/labo/column/control/
ギリシア・ローマ時代から燻蒸法(今で言うバルサンみたいな?)を
使っていたとか、江戸時代の日本でウンカ対策に鯨油を使っていた
というのは知らなんだった。 >>134
これ、おもしろいですね
書いた人はもっといろいろと言いたそうなww 使い方は書いてないのか?
どこかで書いたが、一応書いておくと
クジラの脂を水面に広げてから稲を揺らして落とす
ウンカは水に落ちても死なないが
脂に落ちると死ぬ
であとは脂を水と一緒に排水する グスコーブドリの伝記では、石油を沼ばたけに撒いていたな 俺はこうした故事に学んで、台所で油虫を見たら洗剤(界面活性剤)か油をかけるな 虫の体は細かい毛が水を弾くので濡れない。だから雨も水に落ちるのも平気だ。
しかし、油や界面活性剤など表面張力の低い液体には濡れるので、窒息したり動きが取れなくなったりする。 >>133
俺の母親は毎年お灸用のヨモギ綿を作ってたよ。
秋になってヨモギが堅くなると刈り取って乾燥させ、
葉を揉んで綿だけを残し、お灸綿として一斗缶で保存。 >>139
台所のアブラムシは
テカテカじゃんぷ
って感じですかね? >>142
言うこと聞かないとお灸据えるよ!と脅された口ですかね いんや、爺さんと親父がおっそろしい肩凝り症だったためとか >>144
私の世代ですと、脅しではなく実行されましたが。 うわっ、山野先生だ! お目にかかるの15年ぶりくらいですね
お元気にしてらっしゃいますか? また蘊蓄うかがわせてくさい >>148-149
一般的には149さんの仰るとおり。
但しわざと傷口を化膿させる「打膿灸」という手法もあって、これは当然、火傷の跡が残る。
元々は廱や感染創傷を早急に排膿させる手法だったらしいが、今では頑固な凝りや深刻な体調不良を治療するのに使うとか。 >>147
流石に15年前だと2ちゃんねるに出て来る前になってしまいますが、まあぼちぼちと。
>>148
特に何かしてもらった記憶はありませんが、物心ついた頃には何もありませんでしたよ。
今なら児童虐待扱いでしょうね。 >>151
悪いことすればするほどお灸据えられて健康になりませんでしたか(笑)。
私は40歳ですが、子供時分に悪さをすると、明治生まれの祖父に頭の形が変わるほど殴られたものです。
私はつい最近大学院に行って、昭和最後や平成に生まれた諸君と机を並べましたが、この話をしても信じないか、よほど悪逆な祖父だったと思われるかですね。
随分と私を可愛がってくれた祖父なのですが。 頭の形って所謂たんこぶってことかな?
なんかぞっとするはなしだぜ >>153
さすがに頭蓋骨が粉砕されるほど殴られた訳じゃ無いよな。 俺が思ったのは子供は頭蓋骨かきちんとかみ合ってないから
そういう意味で変わったのかなと 健康に、なったと思えばそうかもしれません。
>頭の形が変わるほど殴られた
(事実ではなく、普通にある言い回しだと思っていましたが、ひょっとして若い人には通じない?)
私はいよいよ口で言っても分からないという時には、親から「お前は牛や馬か」と言われました。
要するにぶたないと言われた通りに動かないのかという意味でしたが、牛馬が廃れた今ではもう通じないでしょう。
>よほど悪逆な祖父だったと思われるかですね。
普通ですよねえ。
私の祖母の思い出は、家事を手伝っていたら「男の子のすることではない」と『怒られた』ことです。
祖父も父も、配膳どころか己の飯をよそう事にすらまるで関わらずに座っている男でしたが、今時の人は非難するでしょうね。
スレタイに沿って言うと、声だけで演じる、今でいう「声優」の芸でしょうか。
石田彰さんが女子高生も含めて演じた一人芝居を披露しておいででしたが、清末の江蘇省には、声による一人芝居の名人がいたそうです。
暗闇で観衆が耳を傾ける中、男一人で若い男、老人、人妻、商売女、田舎者、家畜の声まで真似てみせ、違和感がなかったという。 今の若い人は知らない人かもしれないけど、その昔赤塚不二夫という人が居て
天才バカボンというマンガがあった。当時はマンガは、紙に印刷してあって
今あるデジタルコミックのアナログ版で子供に人気があった
で、そこにバカボンのパパと言うキャラが居たわけだけど、その人の有名な台詞に
「たりらりらんのこにゃにゃちわ」というものがあった。こにゃにゃちわは不明だけど
たぶんこんにちわ、の口語だと思う
たりらりらん、の方は中世の神楽などに見える多分古くからの囃しのことば。
バカボンのパパにはハジメ(=初め)という一人息子が居る等、色々隠喩に溢れている 落語なんかも声が似ているかどうかは別として
特に違和感はないですね 有名どころでは三代目の金馬が声色のバラエティーに富んでて面白いね たりらりらんが囃しことばに由来するのは知らなかったわ >>153-155
ピンピンしてますよ。頭の形、結局変わらなかったみたいです(笑)
>>156
私も祖父には良い思い出しかありませんね。
叱り方こそ陸軍式の鉄拳制裁でしたが、叱られた理由も「弱い者(人間に限りません)を虐めた」「人の大切にしているものを故意に壊した」といった、誰が見ても妥当なものでした。
将棋を教えてくれたり、小さい頃は一緒にお昼寝してくれたり、とても優しい祖父だったと思っています。 >>159
そもそもバカボンからして「薄伽梵」という仏教用語由来 バスローブの歴史というのがよく分からないのですが、どなたかご存じないでしょうか。
大黒屋光太夫がロシアに行った際、現地ではサウナ風呂に入ってから直接寝巻きに着替えていた
ので寝巻きが濡れていたが、光太夫が浴衣を伝えたので皆真似をして広まったという。
ひょっとして、浴衣が(バスタオルも含めて)由来かなどと考えてしまうのですが。
ルイ14世(1715年没)は即位後2回しか入浴しなかったといい、西欧で王族が湯の風呂に浸かる
のが当たり前になったのが1740年代以降。光太夫の帰国が1792年。
余談ながら、それまでロシアには鬼灯はあっても口で鳴らす遊びがなかったのを、光太夫が伝
えたということです。 フェルメールの絵画などでヤポンロックの話が出てましたね 仰る通り、室内着としての着物(一時は外出着)はかなり知られていたようですね。
ただ、水滴と汗をぬぐう用途はなかったと思ったので。 ロシア男性の外套「シューバ」がキモノ系衣服に似ている(襟を斜めに交差)が、
これはたぶん和服とは関係なくて、テュルク系民族の男性の外套「チャパン」あたり
が中央アジアから北上したものなのかもしれません。(
アフガニスタンのカルザイ大統領がいつもはおっていたあの長袖のガウンね) 余談がおもしろい
光太夫が伝えた鬼灯を鳴らす遊び、本家の日本ではもはや忘れ去られてる
に近いですが、彼の国ロシアではいまだ健在、ってなこともあるんですかね >>173
仰るとおりだと思います。
>>174
どうなのでしょうね。
本国ではとっくに廃れたというものでは、中国では明代までだった蹴鞠が思い浮かびます。
食事制限の歴史
10世紀半ば(現存する記録は12世紀前半のもの)
藤原朝成(917〜974)、肥満過ぎたので医師から「冬は湯漬け、夏は水漬けを食べる」ように言われる。
しかし量が多過ぎた上に、鮎の鮨まで食べるものだから効果はなかった。
1224年
イタリアの医師が、患者に干し肉とパスタを食べることを禁じる。
なお、これが現存する最古の「パスタ」の記録だという。 世界初の4コマ漫画本は14世紀のハンガリーで著され
今はバチカンの図書館に秘蔵されているという
アンジュ―・ハンガリー伝説(Hungarian Anjou Legendary) >>168
ルイ14世の話ですが、本当でしょうかね。
クセジュ文庫の「ヴェルサイユの歴史」という本によると、ルイ15世の時代には湯と水の蛇口つきの浴槽が宮殿に設けられて、衛生的に「満足のいくものになった」という記載があります。
ではそれ以前はというと、そのルイ15世が先王を真似して遠くで沸かした湯を浴槽に張って入浴したら冷めていて風邪を引いた…と。
勿論、ルイ14世がたった2回入浴した際の真似だと言われればそれまでですが。 直線じゃ、いくらスピードが出てても面白くもなんともないんですが。 >>168
イギリスのバース市の古代ローマ浴場の遺跡から
「私のバスローブを盗んだ者に呪いを!」と書かれた
金属片が出土した
ソースは
2013年3月10日放送 THE世界遺産「バース市街」 ポンペイの壁みたいな落書きならまだしも、
金属片に刻み付けるとはw >>182
当時は紙がなかったから
今日の感覚だと、半永久的に残るよう金属片に刻み付けて
と考えるのかもしれないが
ひょっとしたら、あの時代だと紙がなかったし、金属類は高価なもので
すぐにリサイクルされただろうから、どうせ溶かしてリサイクルされるのだから
と考えていたのかもしれない。 >>182
壁の落書きと言えば、「ぁぁ、今日も俺はレンガ積みなんかしてるし…俺の人生こんなもんかよ」
って落書きがあって、技術ではないけど、え?この時代からあるの?と言うは感じはした >>185
文字を書けるインテリという今で言う大学院レベルの人材が
レンガ詰みっていう状況が興味ある >>186
ローマ時代は読み書きのハードル相当下がってるぞ
筆記能力があるということでインテリ扱いしていいのは精々楔形文字の時代かな
あれはピクトグラムと表音文字を組み合せたものなんで非常に難解 便所の壁の落書きってのも意外と乙なもんでな
考現学的に研究したらかなり面白いし
徹底的にやれば後世に残る業績になると思うよ ポンペイの落書きは大昔の気がしないから好きだな。
「○○と××ができててアッチッチ」
「**こないだの金返せ %%より告ぐ」
とかもう今と変わらん。 残念ながら男性では女性トイレに入るのは困難なとこが残念だな
社会学の博士号あたりもってれば管理者に断りいれて入れるかな? >>157
いまさらですがそこは
「豚じゃないんですね」
と突っ込むところですぞ >>156,>>157,>>192
いや、「頭の形が変わった」ってのはすげーでかいコブができたって意味じゃないか?
実際、自分もできたことあるし。でかすぎて死ぬかと思った。
その前に、昔の小学校では大根と同じぐらいの太さのムチで
教師が児童をバンバンぶってたって聞いたしその時にできるコブったらもう…
みたいな話は聞いてたので、自分にコブできた時もたぶん死なないと思えたわけだが >>193
大根と同じ太さのムチは
たぶん鈍器と呼ばれるものですww >>195
>>193を書いた者だが俺もあなたとまったく同じように思いましたよ
それで震え上がってたわけだけどw 技術・発明ではないならが、意外そうなもの。
歌川国長(1829年)没、世界の七不思議を描く。
ttp://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/000/684/98/N000/000/007/135563341658913111128_ukiyoe.jpg
ttps://www.shibunkaku.co.jp/artm/kako/nakau/kyojin.jpg おゝ、これは素晴らしい意外。
大河ドラマの「花神」で大村益次郎たちが積分記号を使って計算してたのと同じ種類の驚きです。 >>198
幕末の遣欧使節が「エヂプトピラミーデ」を見に行った話を読んだことがありますが、彼らは「何だこれは!」と仰天したのではなく「これがあのピラミーデか」と感慨に耽ったんでしょうね。
因みにその遣欧使節たち、どこのホテルでも小さな風呂しか無いのに不満タラタラで、カイロには銭湯があると聞いてワクワク。ハンマームにご満悦だったとか。 ピラミッド前の撮影中に動いて「影」としてしか映ってないやつがいたんだっけw >>203
昔から頭の良い人が居たんだね。
江戸のからくり人形みたいなものかな? アル=ジャザリーはプログラム可能なロボット楽団も作ったとか
http://www.wikiwand.com/ja/ジャザリー >>201
池田使節団の話?
なんていう本ですか? >>201
>カイロには銭湯があると聞いてワクワク。ハンマームにご満悦だったとか。
首まで浸かるという深い風呂でしたか。何で読んだのか忘れましたが。
確か、オランダで買えた醤油にも喜んでいましたね。
>>203
中国は言うまでもなく、インドでも『カター・サリット・サーガラ』などに自動人形が出て来るので、
概念自体は広くあったのでしょうね。
絵画について
セザンヌ(1839〜1906)「自然を円柱、球、円錐によって取扱い、そのすべてを遠近法の中に入れなさい。」
葛飾北斎(1760〜1849)「全てのものは定規とぶんまわし(コンパス)で描ける。」
そんな北斎の絵手本
ttp://mag.japaaan.com/wp-content/uploads/2015/10/AN01521376_001_l.jpg
こういう描画の手順があった、というのは意外かもしれないので。 中国でロボットといえば周の穆王に献上されたという話があるね(『列子』湯問篇)
偃師という技術者が作ったという歌って踊れるすぐれもの。今から3000年前の話だが。
http://mp.weixin.qq.com/s?__biz=MjM5Nzk1NjgyNA==&mid=205903575&idx=1&sn=b09ae11203c2deddd2f02849dd912518&3rd=MzA3MDU4NTYzMw==&scene=6#rd >>211
中の人など居ない…かなぁ?
踊りはまだしも歌うはハードル高そう。 時間密航者の臭いがするぞ
偃師というのはエンジニアを縮めた名前ではないか
我らタイムパトロールに対する挑戦か? 18世紀のインドにロケット砲部隊を作ってイギリス軍と戦った将軍が居た。
一説にネモ船長のモデルとも言われる、マイソール王国のティプー・スルタン。
そのロケット攻撃でフルボッコされるイギリス軍(1780年、第二次マイソール戦争)
https://en.wikipedia.org/wiki/Mysorean_rockets#/media/File:Rocket_warfare.jpg 映画『リーグ・オブ・レジェンド』のインド風ノーチラス号が
大量にミサイルを発射するのは、その辺から来ているのかもね。 1783年 モンゴルフィエ兄弟、熱気球を飛ばす。同年、ジャック・シャルルとロベール兄弟がガス気球も飛ばす。
1787年 日本で『紅毛雑話』成立。ガス気球・熱気球の原理と挿絵が公開される。
1804年 レザノフ、長崎で熱気球を飛ばす。
1840年 中村主水、熱気球で香港へ向う。
事実の方が創作よりかなり早かった。
こう言ってはなんですが、梅毒並みに伝播が早いですね。 >>215
ティプー・スルタンって
白人が虎に食い殺される人形作って喜んでた王様だっけ ロケットといや、世界初の有人ロケット飛行はこの人でいいかな?
17世紀にオスマン帝国の空を飛んだロケットマン
ラガリ・ハサン・チェレビ
https://www.youtube.com/watch?v=AfsMFlpOlp4 >>218
喜ぶというか、それだけヨーロッパ人に対する恨みが深かったということでは。
しかしこのオートマトン、皮肉にもイギリスで人気を博したとか。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Tipu%27s_Tiger 中国の明代にもワン・フーなる男が、ロケットで空を飛ぼうとしたという話があったが、
(結果は飛行ではなく大爆発という話)こちらはトルコのロケット男とはちがって
同時代の記録が無い。どうやら後世のでっち上げらしい・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC 日本ではペットボトルロケットを担いで空を飛んだ芸人がいるのだが >>221
当時の科学技術で可能な限りのシミュレーションしてリスクを減らした上で実行したんでなければ、ワン・フーは元祖風船おじさんでしかないな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています