え?この時代からあるの?という技術・発明 Part.2 [転載禁止]©2ch.net
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え?この時代からあるの?という技術・発明
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前スレ折り返し辺りからネタ切れ感あったけどとりあえず >>33
血豆状の静脈瘤を潰すだけの治療なら当時でもイケたんじゃない?
死ぬ程痛いだろうけど >>33-34
これ、痔瘻の切開じゃないかな。
私は痔瘻になったことは無いけれど、膿を出すと驚くほど苦痛が軽減するらしい。こんな手術でも効果はあったと思うよ。 >>33-35
痔の治療法として、熱した鉄を患部に当てる方法もあった。
ttp://hypescience.com/wp-content/uploads/2009/03/1-medieval.jpg
どうしてもやるなら、こっちがいいな。
>>33の絵では出血多量で死んだかもしれん。 >>32
その走り方で選択されたってのは今のアラブ種ってことなのかな?
馬の走り方は、ネイティブでは片側の前後脚を一緒に送るのに対し、
アラブ種は互い違いに送る。
アラブ種は高速で走るのには適しているけど、上下動が激しくて馬もしんどい。
一方たとえばモンゴル種はそんなに速くは走れないが上下動が少なく長時間乗るのに適してる。
モンゴル帝国がユーラシアを席巻できたのはこの馬の走り方があったからこそ。
という内容で40年ほど前だったかNHKの歴史番組でやってた。 んで今、流鏑馬は上下動の大きいサラブレッドでやるもんだから当たらない当たらないw
在来馬だったら走りの迫力は減少するけどもっと当たりやすくなるはず。 >>37
へー、なるほどぉ
そしたらサラブレッドの系統は完全に選択されちゃってますねww
より自然に近い走り方だったのかな、
背中に荷物載せることなんてありえないし ちなみに「名馬千里を走る」も
単純に計算すると
速く走る馬じゃなくて
長距離を移動できる馬のことになるらしいww 流鏑馬って当たらないのか
ニュースだと当たってる絵ばっかだからそういうもんだと思ってたわ テレビ番組で流鏑馬をやっていた女性がモンゴル版流鏑馬(名前失念)に挑戦してたが本番では一〜二回当たったかどうかだったな馬も小さいし弓も小さい、距離感覚も短ければ的はかなり低い位置にあるから大分勝手が違うようだった >流鏑馬って当たらないのか
5mしか離れていない的を外すとか神業だなw >>43
なら、君もその「神業」ができるよ
簡単そうに見えるけど、和弓って、けっこうむずかしいんだ
弓道未経験者なら、狙った方向に飛ばすことができるだけでも立派なもの 和弓でない弓でも、銃器でも揺れた・走らせた状態からだと5m先は至難の業では。 外国人が驚く和弓の特徴は弓が非常に大きいこと。
弓を使うとき問題になるのは左胸肉を削ること。
それを回避するために、モンゴルは弓を小さくして体から遠ざけ、
アーチェリーは矢の持ち方を反対側にして体から遠ざけ、
和弓は射ると同時に弓を半回転及びプロテクター使用。 日本の弓って馬で走りながら射るのには大きすぎるんじゃね
パルチアンショット的に後方に弓を引こうとすると馬の尻にひっかかるし >>50
お前が古い弓術知らんだけやろ
結構アクロバティックな射形あんだけど弓道に採用されんかったからな >>51
アクロバティックな事をせねば使えぬとは
おぬしガラパゴス化という言葉を存じ居るか >>52
そりゃ現代弓道からの視点で見ればアクロバティックなだけで
体の操作法としたら別に不自然なもんじゃないから
本当無知って怖いな いや言い訳じゃなくて事実だから
あとガラパゴス化云々て指摘も間違いだろ
目的に応じてそれぞれ適応してくからイングランドロングボウなんかも
下半身使った遠射モーションとかもあるし
てか弓を横に倒したりする古式の射法も知らんのに馬のケツに引っかかるとかアホな事言われてもなぁ >>55
和式弓術で弓を横に倒すのってあったっけ?
いやアニメ以外で。 外国の弓はどんなに大きくても真ん中を引いて射るけど、和弓は馬の首に引っ掛からないように、下側を持って引いて射るようになったと聞いたな。
馬の右側に射る技術もあって、弓手切りって呼んでたような。
うろ覚えですまない。 日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向があるような
草鞋とかさ。下駄とか思いつく前に普通の皮靴でも作れば一発で不便さ解消なんだがそういう発想の転換が何故かないんだな >>58
肉食が少ないので皮がそんなに手に入らない。
湿度が高いので蒸れる。
治水されていないと、川が氾濫し、川筋も変わり、湿地だらけで水浸し。
当然、橋も掛かって無いから、川を渡るには入るしかない。
草履が一番良いみたい。 >>56
鎌倉とかの古い弓術ならな
体ごと弓を横にしたりとかもあるし >日本人は不便なものを不便なままに、その制約の中で奇妙な工夫を凝らし使い続ける傾向がある
似たようなことを、煙管に関して呼んだな・・ 煙草を吸う道具としては
キセルは優れているとはいいがたいのだが、むしろその不便のまま、
キセルでの吸い方が妙なスタイルと言うか美学になって、結局改善されなかった、と
内心は変えたいものを、美学であるとか胡麻化して、変える努力を怠る、という
傾向は日本文化でかなり見受けられる気がする
別の例を挙げれば、AVのモザイクとか。モザイクがエロ心の成長のために有用である、
みたいな議論が制作側からも出るのが不思議 中国とかと貿易もしてたんだから絶対普通の靴作って売ろうとした奴も大昔から何人もいたんだろうなぁ 高下駄だよタカゲタ、ゲタ
糞尿まみれの京の都を歩くには高下駄でなければ無理
これならウンチを踏み潰しても小便溜まりにはまっても被害を防げる
革靴であれば踏んづけたウンチの飛沫がくるぶしまで達してしまう
だが下駄も買えない庶民は裸足でウンチにまみれながら都を走り回っていた
これが日本の文明えんがちょ >>58
走ることを職業としていた「飛脚」は、紐で足の甲や足首をしっかり結べるタイプの草鞋(わらじ)
を履いていたようです。
「飛脚の草鞋」と「革底の革靴」とで、今の道路を走って比べてみても飛脚の草鞋に軍配が上がるでしょう。
それに加えて当時の道路事情を考えれば >>60さんの言うとおりです。
現代の布製でゴム底の運動靴ならば飛脚の草鞋に勝てますが、ゴム底の革靴だとどっちが勝つか?飛脚の草鞋が
勝ちそうな気もします。 >>61
弓を横に倒すという和式弓術のソースは?
いや脳内じゃなくて。 >>66
鎌倉から室町辺りの絵巻の戦争風景を調べるといい
結構弓を横にして撃ってるものがあり、当時の人には
弓は地面に垂直に構えるものと考えてないことがわかる >>62
餡子と胡粉が双璧だと思いますが、江戸時代以降の日本の工業技術の不合理さは錬金術に通じるものがあります。「祖先伝来の秘法」に拘泥し、イノベーションを受け付けない。
鍛冶や日本酒、油など、戦国期までの創意工夫と比較すると同じ国とは思えないほど。幕府の方針もあったのでしょうが、新規技術によるコストダウンの必要がないほど国内経済が安定していた証拠と見ることもできるでしょう。 >>68
んだから絵巻の資料色々見てきなよ
そういう撃ち方してるものがあるから
web上だとイメージ検索したけどあんまこれってのがなかったから提示できないわ >>70
「弓を横に倒す和式弓術」というおぼろげなイメージについて、
皆の前に出せるようなソースを見つけられなかったわけね。
ご苦労さん。 >>71
いや単に妥当な資料がオンライン上にないってだけなんで
結城合戦絵詞とか塀の上から腕だけ出して垂直?何それ?おいしいの?状態で射たりしてるんだがな 塀から腕だけ出してとか、弓の実物を見たことがない人間の発想じゃね。
伸ばした腕の力だけで弓を引くなんてムリだよ。 >>76
そりゃお前の発想が狭いだけだわ
別に弓で狙撃するわけでなく、それで射殺すわけでなく、最大射程でなく
ただ近くに適当に射掛けるだけならそんなに全力で引く必要はないよ 弓の特徴の一つに「自由に曲射ができること」があるはずだが、塀の上から射掛ける必然性がよくわからないな。 最近のアニメやドラマで見た、拳銃を横に構えて撃つ中二的なポーズに影響されて、
日本のサムライも昔から弓を横に構えて射かけていたんじゃという妄想が生まれたのですね・・・
わかります。 >>78
曲射出来る道具だからと言ったって常に出来るとは限らないんだがな アニメそのものの影響じゃね?
もののけ姫のアシタカが横構えで矢を放って敵兵の首をすっ飛ばしてたアレw
蝦夷だかアイヌの人ならそれでいいと思うよ。
しかし上下非対称な和弓であれと同じ構えをするとかなり間抜けだな。
まともに矢が飛びそうにないし、わざわざ非対称に弓を作った意味が無くなる。 遮蔽物の陰からの面制圧射撃って、それこそ曲射の出番じゃないか。 んで結局>>72は、結城合戦絵詞のいったいどこを見て弓を横にして射ていると主張したいわけ?
どの場面で誰が? >>84
壁から腕出して射てるところは今の弓道とは全然違うやり方しないと射れない
他の合戦絵巻は馬首より身を乗り出して射てるものがあるが
これをやろうとすると弓と体が横向きにならないと出来なかったりして
弓道とは全く違うやり方しないといけないんだわ 昔の絵巻物の表現技法では、縦向きと横向きの見分けがつかないんじゃないかな。 >>86
実際に棒状の物持ってその姿勢取ればいいさ 弓道のことなんて何も知らないけど
絵巻物から正確な仕草なり型なりを見て取ろうというのはちょっと無理がありそう 鵜呑みにはできないだろうな
ただよく出来た絵巻物なら弓に関する当時の「通念」を読み取ることができるかもしれない >>85
>壁から腕出して射てるところ
弓を横に倒して射ていると判断できる描写は見当たらないな。
念の為にここに絵を貼って端から何人目の人物って書いてみてよ。 弓を縦に構えれば左手いっぱいから右肩まで引けるが、横構えだと
左手の付け根までしか引けず、その威力は半分でしかありませんな。 >>91
勘違いしてるようだけど弓を横にするのと弓と体の位置関係が横になるのは別だぞ? 古墳時代の出土品に靴あったよなごてごてと飾りついてる奴、弥生時代だっけ? 自分が書いてあるようにようはい付きの靴は古墳時代だぜ 単純にもちにくいので横にもつことはあんまなかったでしょうね
とりあえず弓を横にする派はソースだしなさいな
絵は解説もないしソースになってない
ソースだせないなら妄言で確定 どうでもいいけど
長弓と短弓の関係は周圏分布っぽいな 以前もどっかで尋ねた気がするけど
なんで北条氏ってコンクリートで総構え作んなかったのかな?
コンクリって、石灰、砂利、水の混合でそ。秩父で材料幾らもあるし
ローマ人も使ってるので16世紀の日本で作れないはずない。
コンクリで5m壁の総構えとか作ったら、当時の攻城術だと為す術もないんでないか 金がかかる上に小田原城の総構え最北端の土壁は
5メートルなんて余裕であるぞ
実際20万の秀吉軍も抜けなかった 日本の城は近代兵器相手でもタフだよ
会津若松城は戊辰戦争でボロボロになっても
最期まで落ちなかった
熊本城も西南戦争で天守が事前に焼失したにもかかわらず
堀、土塁が健在で落ちなかったし 天主はたぶん戦争中に燃えると面倒だから
前もって防御側が燃やしたんだろう この時代からあるのという事でいえば、西日本各地にある古代山城(朝鮮式山城)。
城壁の延長が数キロメートル以上というのがざらにある。
ところによっては、戦国期の山城よりも立派な石垣があったりもする。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/2d/Oonojou.jpg 何で朝鮮式なんだろな
朝鮮なんて李氏朝鮮まで存在しないのに >>102
朝鮮半島に多かった築城形式が日本に輸入されたからだろ常考 >>103
じゃあ百済式とかだろ
何で朝鮮式なんだか
おかしいよ >>104
ああいう山の天辺を城壁で囲むのは、
元は唐の大軍相手に戦った高句麗の戦術だろ。
それが百済や新羅との抗争で朝鮮半島全体に広がり、
日本にも波及したという流れだ。 ハイキングのつもりで福岡の大野城に登ったことがあったが、
ああいう山城は登るだけで疲れる。
そのうえ戦なんかしたくないわ。 昔の人は一日中戦っててすげえわ
特に行軍のあとすぐの戦闘とかよくやる気出るわ 行ったらわkるけど水城とつながってるから意味がある城やで 行軍すぐあとの戦争は一般的ではないやん
行軍直後の戦争は名将なら奇襲&勝利フラグだが
一般的には敗戦フラグだよね
クラウディウス・ネロの話はどうも信用できん ナポレオン戦争では普通
アウステリッツのときなんか第三軍団は110kmを48時間行軍して
即戦闘突入して勝利 あえて名将を除外したのはそういうのを想定したからやで
第一あれが世界史的に一般的かね 110kmを48時間行軍って時速3km切ってるんですが
この行軍時間と距離だと20時間5.5km行軍+28時間の休息と睡眠、食事
くらいの配分になるだろうし、行軍即勝利ってのはちょっとおかしい話 装備背負って2日で100キロはご勘弁頂きたい。
1日50キロって、歩くだけならなんとかこなせる、って距離だぞ。 >>120
そりゃ現代人の貧弱な足ならな
あと最低限の装備は手に持つが輜重くらいあんだろ
ナポレオンは輸送重視してたんだし ナポレオン戦術イケイケ強行軍
リヴォリの戦いでヴィクトール旅団を強行軍で増援させ勝利
マレンゴの戦いでドゼー旅団を強行軍で増援させ勝利
ウルムの戦いでオーストリア軍がフランス軍のスピードが速すぎて
補足しきれずに包囲されてしまい、フランス軍勝利
イエナ・アウエルシュタットの戦いでは、プロイセン軍がやっぱり
フランス軍のスピードが速すぎて補足しきれずに背後に
回り込まれて、フランス軍勝利
「最良の兵隊とは闘う兵隊よりもむしろ歩く兵隊である。」
「戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を取っておく将軍はほとんど常に敗れる。」
byナポレオン言行録
そんなナポレオンも最期はワーテルローに強行軍で現われた
プロイセン軍の増援により敗れるのであった >>119
強行軍は寝ないよ。飯も歩きながら食う
当然、兵は3割から5割は脱落するが、兵力が戦場に
間に合わないよりは遙かにマシと考える
徹夜行軍は現代の軍隊でも普通に訓練する
自衛隊死の行軍事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E6%AD%BB%E3%81%AE%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>1957年(昭和32年)2月5日夜、広島県賀茂郡八本松町(現東広島市)陸上自衛隊原村演習場にて、
「行進競技会」と呼ばれる夜間行軍演習が開始された。その演習は、80Kmの道程を、
約10Kgの完全装備で行軍するという過酷なものであった。加えて、行軍時は強い雨が降っており、
その過酷さから落伍者が相次いだ。しかし、行軍は続行され、翌2月6日、第7連隊所属の
自衛官2人が過労で倒れ死亡した。
こういう訓練をしているから東北三陸沖地震のときも迅速に展開できた
あと運が悪いと会社の新人研修でやらされるからなw これからはそういうのはロボット二等兵にやらせてほしい >>125
うん、だからこれは全然強行軍ではないという話 >>126
三等兵と思われます。
農薬
桃山時代の日本でトリカブトなどの有毒植物の混合物が使用され、明末の『天工開物』にも砒素を利用したことが見えている。
江戸時代にはやはり有毒植物であるアセビを煎じ、水で薄めて撒くことも行われたが、これは汲み取り式の便所に撒くことでも
殺虫効果が重宝されていた。 >>128
そういえばズバリ「除虫菊」という花がありますね。
私は子供の頃「女中菊」だと思っていました。番町皿屋敷の話を知っていたからですかね。 汲み取り式でウジ虫を根絶すると溜められた糞便が軟化せず詰まりやすくなる >>126
今は現代なのにサラ・コナーさんがロボット犯罪について報道したらしいww 除虫菊って古くからあるイメージだったけど、日本に入ってきたのは
明治時代だったんだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています