手品って古代からあったのな

『後漢書』哀牢伝
永寧元年,撣國王雍由調復遣使者詣闕朝賀,獻樂及幻人,能變化吐火,自支解,易牛馬頭。又善跳丸,數乃至千。自言我海西人。海西即大秦也,撣國西南通大秦。
永寧元年(西暦120年)、撣(シャン?)国王の雍由調がまた使者を遣わして宮城に
参上して朝賀を行わせ、音楽及び幻人を献じた。
幻人は姿を変え、火を吐き、自ら支解(体をばらばらにする事)し、牛馬
の頭をすげ替える事ができた。また、跳丸(お手玉)に長じ、その数は千
にも上った。
幻人は自ら「私は海西の人である。」と言った。海西は即ち大秦(ローマ)の事で、
撣国の西南が大秦に通じている。