>>482
楽律累黍説はこの人より前からあったらしい、、、

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10632003_po_ART0002607719.pdf?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10632003&;contentNo=1&alternativeNo=&__lang=ja


いわゆる楽律累黍説は、古人が度量衡基準を制定するために発明した一種の学説である。
この学説の基礎は彼らの音律に対する認識に在る。

古人は音律が万事万物と関係あると認識していた。
正に司馬遷がく史記・律書〉で説いた:「王者が制度を作り規則を立てるにあたって、度量法則の一切は六律に基づく。
六律こそ万事の根本である」。

六律とは即ち音律を指す。中国古代伝統上用いたのは十二音律であり、この十二音律は又六律と六呂に分けられる。
単に六律と言うときは音律の代名詞となる。

司馬遷の説いた意味は次のとおり:帝王が各種規則制度を制定し、測量の標準を定めるのは、全て音律から来る、
音律が万事万物の根本である。このため、度量衡の基準は当然音律が基礎となる。

度量衡と音律が相関しているという思想は、早くも先秦時期に存在していたが、
それを理論的に組み立てたのは西漢末年の劉敵である。
劉散は王莽の命を受け多数の人間を組織して衡制度を考察し、
二年余を経て、度量衡標準器を製作し、同時に体系だった度量衡理論を総結した。
〈漢書・律暦志〉に劉散の理論が詳細に記載されている