攻城戦のロマン [転載禁止]©2ch.net
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攻城戦について語ろう
攻め、守りどちらでも
日本史可で
個人的には戦闘前の守り側の「準備」描写が好き
なんかワクワクする 星型要塞の巨大火力がぶつかり合うガチンコ勝負が好きなんだけど
垂直城壁に投石はしょぼい。 星形要塞といえば先週五稜郭を見てきたけど
あんまり守り堅そうには見えなかったな
外堀の無い今の大阪城でも五稜郭よりは堅そうに見える 兵糧攻めってどうやるんだろう?
常に包囲するって結構難しくないか? 将軍とかならまだしも
兵卒にとってはロマンどころじゃないだろ・・ 近代的要塞として前評判が高かった割には、第一次大戦で早々と陥落したことで有名なリエージュの要塞群を見に行った。
ベルギーのリエージュを中心に周りを取り囲むようにコンクリートの要塞が残っている。
かつて廃墟だったロンサン要塞には記念館ができていて、英語で案内してもらったが、元ベルギー海軍のガイドさんはなぜ日本人がリエージュ要塞に興味を持つのか疑問に思っていたようで、説明の合間に逆にあれこれ質問された。
まさか「日露戦争の戦訓で用意されたドイツ軍の40cm曲射砲であっさり撃破された戦史に名高いヘタレ要塞を見にきた」とも言えずに、ちょっと困った。 映画、キングダム・オブ・ヘブンの攻城戦は迫力ありすぎる。 攻城兵の損傷
攻城側と同じく長弓やバリスタによる城壁上からの射撃、投石(印地・投石器)や落石(石弓)、丸太を投下するなどにより攻城兵に損傷を与える。
糞尿・腐った卵・病死した動物の屍骸を城壁上から投げつけ、戦意喪失させる心理戦と伝染病の蔓延を兼ねる。
捕虜に獲った敵の首や胴体を城壁上から投げ落とし、損傷と心理的挑発・ダメージを与える。
煮え湯・煮え油・煮え粥(麦粥や糊化した澱粉)を浴びせる、あるいはサリヤの火(シリアの火、あるいはギリシアの火)と呼ばれる噴霧式火炎放射器で火炎放射を城壁より射掛け、城壁に貼り付く攻城兵に火傷と転落を負わせる。 >>6
岐阜城とかも堅城の癖に3回落城してるからな お猿さんのおかげで日本のにわかな人たちは兵糧勝負になったら攻城側が有利と思ってるのが多い
後方連絡線が簡単につなげると考えてしまうそうな サルもそれこそ信長の勢力が近畿一帯をおさえてからじゃないと頻繁に兵糧攻めとかできてないけどね 戦争と疫病の記録だとギリシャのアテナイが一番古いんだっけ 梯子かけて城壁上るじゃん?
あれの一番先頭の奴の死亡率って、話にならないぐらい高いんじゃないの?
うわーっ一斉に入って城壁に溢れたらそっから先は何とかなるかもだけど
少なくとも最初の奴とかは城兵も軽く殺せるだろ
嫌な仕事だ・・ 攻城の尖兵は捕虜にやらせる場合もあったな。
むろん捕虜の家族は人質に取ってあるぜ。 ユダヤ戦争の時のマサダ攻囲戦では、ローマ軍団はユダヤ人捕虜を使って
マサダ要塞に登るスロープを作らせてたね。ひどいよローマ軍。
ところで>>1はこの状況でワクワクする?自分の同朋を殺さないと、自分が死ぬ状況だよ。 >>18
その代わり略奪一番乗りの権利もあったのだからな。
モンゴル人の社会構造は、こういった事情で
征服された順に民族の格があがっていったから。
今のアメリカで、移民した順番で格が上がるのと近い。 >>17
城壁にかけた梯子を一番にのぼる人間を襲うあれこれ。
・矢弾
・丸太
・岩石
・油
・熱湯
・糞便
・・・糞便まみれの墜死体になるのがオチだな。絶対にやりたくない。 >>17
奇襲以外の先頭は100%死ぬんじゃねw
守ってるの俺でも先頭くらいは倒せそう ヨーロッパのどこかの城には、煮えたぎった鉛を落とすという仕掛けもあったな。
城攻め怖すぎ。 よし、俺が弓で援護してやるからその間にお前らはしごで突っ込め >その代わり略奪一番乗りの権利もあったのだからな。
>モンゴル人の社会構造は、こういった事情で
>征服された順に民族の格があがっていったから。
>今のアメリカで、移民した順番で格が上がるのと近い。
論功行賞で一番乗りの手柄を認められて褒美を受け取ることであって、
そのまま略奪して私物化したらモンゴルの国家財産の横領、という処罰対象になる。
戦利品は一旦司令官に差し出し、司令官が面々の功績を考慮してから配分するという仕組み。
少なくとも大都市の攻略では戦利品の私物化がばれると処罰されたことが確認されている。 ストロングホールドってゲーム好きだわ
油釜の準備ができております
燃えてしまえ、焼き殺せー、焼き殺せー
城内にも燃え移って阿鼻叫喚 >>17
その代わり、生き残れば褒美は莫大だし以降勇者として尊敬され
場合によっては出世も出来る
あと君主が家族に年金出したりしてくれるんで死んでも家族は生活が安定する >>31
まあ問題は生き残れなかった99パーセントの方だけどねw >>31
せっかく生き残っても、攻城側が反撃食って負けた場合とか目も当てられないな
河越夜戦みたく、守備側の反撃で攻め手の大将が死んだりすると期待してた
恩賞やら年金の約束も吹っ飛んだりして >>28
ナイツオブオナーというブルガリア製のゲームがあって、それでも攻城戦で火矢とか鉛とか
あるんだけど声優が頑張りすぎててw、焼き殺される兵の悲鳴がもう悲痛の極み
「ウヮー、ギャー、ヒィィー、アガガガ・・」と延々と絶叫、聞いてらんない
で、暫くすると、兵は消し炭みたいな黒焦げの死体になって消えていく・・ 中国やロシア、日本では攻城は水攻めや兵糧攻めが多いが
欧州では投石器や火砲などによる城壁破壊が目立つ。 欧州では坑道戦術もね。
僕は城壁に取りつくより、穴を掘る方に志願します。 城外から穴を掘って水脈を変え城内の井戸を枯らす、
って中国では良く使った手だが、欧州では岩盤が固いのかあまり聞かない。 たとえばウィーン攻囲戦では城壁を地下から爆破されて危ないとこだったよ。 レ・ボーとかゴルドなどの、プロヴァンスの鷹の巣城回ったけど、
岩盤硬くて、これは穴掘るのは無理だと感じた。
その分不便さも相当で、天下太平なら誰も住まないだろうね。 坑道戦は城壁の下で火薬に点火するのと、
城壁の下を支柱で支えながら掘り抜き、
その後で支柱を焼き払う方法があったそうだけど
火薬の貴重さから考えると爆破する方法が使われ
たのは近世以降のことなのかな。 ナポレオン戦争中、スペイン半島のブルゴスで、丘の上に有るフランス軍要塞に対して、イギリス軍は3本の坑道を掘ったと
1本は城壁の真下で爆発、突入路として使えるだけの幅の城壁を崩した
しかし、1本は要塞の何も無い中庭?に穴を開けただけ・・・
この時代でも坑道の測量は難しかったみたい
残りの1本は、どうなった? >>35
日本の攻城戦で水攻めって、秀吉の高松城と光成の忍城ぐらいじゃね? >>41
まあ1本が成功すれば残りは放棄でいいんじゃない?
フェイントで本命以外の坑道を掘った例もあったみたいだし。 防衛側に察知されれば、反対側からトンネルを掘って迎撃されるからな。
しかし敵のトンネルにぶつかるよう掘り進むなんてすごいテクニックだ・・・ >>44
でも、ブルゴスは落ちなかったから・・・
半島戦役の攻城戦本が有った筈なのに見つからない >>35
常備軍が維持できるようになる前の中世ヨーロッパでは、騎士の軍役は1年の間に何日って
契約だったから、兵糧攻めのような時間のかかる戦術をとるためには、騎士に契約以上の
日数従軍させるために金を出したり、騎士以外の傭兵を雇ったりせねばならず、とにかく
金がかかる
攻城中に騎士たちの契約期間が切れて金もないと、じゃあ、続きはまた来年ってことに
なって包囲を解かざるをえないから、長期にわたる兵糧攻めが成立しない
だから、攻城戦は強襲的な感じになりがち 印象に残る攻城戦
日本の島原の乱の原城の戦い
中国の三国志の諸葛亮の空城の計(後に徳川家康も浜松城にて空城の計にて武田軍を退却させた)
東欧(中近東)のコンスタンティノープルのオスマン艦隊の山越え コンスタンティノープルはウルバン砲も印象的。
巨砲を要塞攻略にぶつける時代に先んじた発想。 >>50
え?何言ってんの?
巨砲による城砦攻略なんてその百年以上前からやってんじゃん あの巨大な砲が攻撃側じゃなくて防衛側にあればなあ
まぐれでもスルタンのテントに命中すれば、歴史が変わる >>54
同感だな
狭い入り江だと、なかなか逃げれないからな
実際秀吉の朝鮮征伐のときでも、
釜山港に朝鮮水軍が攻め寄せてきたけど、日本軍は高台から捕獲した大砲等
ぶっ放して撃退したことがあったからな。 >>56
条件次第では、戦国時代の大砲でも対艦砲撃とか
艦砲射撃は有効だったのでないの?
同じような設定で、信長vs村上水軍の本願寺の補給戦でも
信長軍は海上封鎖に成功したのだから 塩野七海の『コンスタンティノープルの陥落』には
坑道戦の場面も出てきたね。城壁めがけてイスラム軍が
トンネルを掘ってくるんだけど、これを全て察知して
撃退する対抗坑道戦術のスペシャリストがかっこいい。 城壁破壊用じゃなくて、侵入用のトンネルって成功例どれくらいあるんだろ 北の工作員がトンネルで韓国によく侵入してるようだが
捕まった数だけでかなりいるようだから
つかまってないのも少なからず存在するだろう。 ハマスがイスラエルに対して地下トンネル作戦やりまくるが
あの地下トンネル技術って実は北朝鮮由来だったりして
さり気なく北朝鮮って反米世界における軍事技術大国だったりするんだよなぁ
マヌケな北朝鮮ばっかイメージしてる人は俺の身近だと多いけど
この話すると皆顔が強張る 侵入のほかに情報収集目的でトンネルを掘ることもある。
冷戦時代のベルリンでCIAが東側地域までトンネルを掘って
ソ連の通信を傍受した黄金作戦(金工作)が有名。 宣伝戦も城攻めだとかなり重要だろうな。
トンネルを掘るのだって、日本人的な感性だと敵に気づかれずに
ひっそりと掘ると言うイメージだけど、
堂々と大掛かりに、トンネルまで掘っているのだぞと
目立つようにして掘る例もあるみたいだからな。
実際になんかの漫画でそういう事例も見たし、
現実に大阪冬の陣でも、家康は目立つようにトンネルを掘っていたし いきなり城壁ごと吹き飛ばされたんじゃ、ロマンもへったくれもない・・・ >>1の言うような、ワクワクする攻城戦なんか現実の歴史に無いと思う。
つまり戦闘そのものがという意味でだが。 他人事として見てるぶんにはワクワクする不謹慎さあるべ
立て篭もり事件に野次馬出る感覚の大規模版 近隣の住人は攻囲軍に根こそぎ食糧を徴発されて
次の収穫まで命をつなげられるか、それだけで頭いっぱいだろうな。 >>67
その場に居る者すべてにとって他人事ではありえない。
たとえば君は自分の畑を荒らされ、家畜を奪われ、食べ物は持ち去られ、
細君や娘は兵隊に乱暴されているときに、城攻めをワクワクしながら
他人事として見ていられるだろうか? 知れば知るほど鬱になる
何も知らない他人であれば
面白がったりもする そう考えると秀吉は本当に天才だったんだな
秀吉の城攻めは、何から何まで演技がかっているからな 知らんけどイメージ的に大陸河川でやるのは大変そうだな >>75
もっと大掛かりな規模で、オランダが、フランス軍が攻め込んだときに
堤防の堰を切って水没させたと言う話はあるだろう? 中国だって水攻めの例はあまりないだろ
「城」の規模が違うからな・・・ 小さい頃は星形要塞って変な形してるなぁくらいに思ってたけど、
死角をなくし、射線を確保するって解説を読んでえらく関心したことがあった。
それ以来数学の授業も寝ないでちゃんと受けた思い出がw 五稜郭の時点で、海岸線にある軍艦から砲撃できたという話ですからね。
まあ、幕末の時点で、どんな城でも全く万全じゃないよなあ。 徳川家康は三方ヶ原の戦いで負けた後浜松城に逃げ帰ったが城門はわざと開けておいた
追撃してきた武田軍は無防備な城に伏兵などの罠が仕掛けられていると考え敢えて浜松城の攻略を諦めたという >>86
空城の計とか、アホの極みだと思う。
追撃戦からそのまま雪崩れこんで朝倉滅ぼした信長が聞いたら、
バカにするんじゃないの?
江戸時代の兵法オタの創作だろ。 デメトリオス1世が作ったヘレポリスって何で定着しなかったの?
安全に城壁に近づいて突入するには最適な兵器と思うが。 >>88
実際は門を閉めるゆとりすらなかったのでないの? >>93
弓矢で蜂の巣にされて全滅して偵察にならなそうだし
万が一生還できても何も情報を得られないままの生還になりそう >>96
本当の空条なら空城計そのものを最初からしない >>75
ルイス・フロイスの日本史見ると水攻めに随分驚いてるところを見ると
あまりポピュラーではなかったようだな 本州は熱帯でも亜熱帯でもないのに河川が多いもんなあ 南京城が典型だけど、コンスタンティノープルとか大阪城とか、要塞が堅固過ぎて落城した時に城内の人達の逃げ場がなく、
略奪だけならまだましなほうで強姦されたり虐殺されたりすることになった。
一般市民が逃げやすい城郭と城下町という日本の典型的な城の方が市民が逃げるにはいいのかもしれない。 南京城は高さ20mもの城壁に囲まれていたそうですが、1937年、日本軍と中華民国の間でこの南京城を巡る攻防があった時は、城内で何があったのか日中で意見が分かれてるみたいですね。 城塞都市には普通避難用の城門とかあるから
城壁ないと四方八方から迫られたら逃げ場ないし 父の城を再起不能なまでに燃やし尽くしてくださる方、募集します。お礼あり。
http://togetter.com/li/952938
北条なんとかという人が盟主の日本人同盟が強いサーバーでプレイしている方にお願いです。
父(65歳)がどハマりして仕事も疎かにし、一家離散寸前です。 >>19
バーグ陸戦条約でも捕虜を使役して陣地や突破口を作ることは認められているぞ
つまり今でも大っぴらにやってるってこと >>71
オソレスだけど、
あの時代の城攻めだと、集まっている軍隊相手に商売人が
続々と集まってきたからな。
その商売人が将棋や囲碁を眺める感覚で、城攻めの様子をああだ、
こうだと評論していたみたいだし。
それに近い感覚は、今の日本の政局報道だろうて
だから今の日本の政治報道は政局と読んでいるのだろうて
局は囲碁将棋の局に通じるからな 政治関連の話題を政局とかって呼ぶのは、
実際のところ政治討論で何かが決定されているのではなく
政治家がこんなけしからん発言をした、A派とB派が会合を持ったとか
政治家の話や行動に終始するからなんだ >>104
>バーグ陸戦条約でも捕虜を使役して陣地や突破口を作ることは認められている
そりゃキミの甚だしい勘違いだろう。捕虜を強制して自国に対する作戦に使役することは
第23条で明確に禁じられている。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/Treaties/Laws_and_Customs_of_War_on_Land.html 強制じゃなけりゃいいんでしょ
じゃ有志にやってもらえばいいよね 第23条は敵非戦闘員の保護規定で捕虜には認められない
作戦そのもに従事しない限りであれば将校以外は使役し得ることは6条に明記されてるだろ
>國家ハ將校ヲ除クノ外俘虜ヲ其ノ階級及技能ニ應シ勞務者トシテ使役スルコトヲ得其ノ勞務ハ過度ナルヘカラス又一切作戰動作ニ關係ヲ有スヘカラス >>109 が第23条を非戦闘員に限定すると考える根拠は何かな?
一方でキミが主張する「陣地や突破口を作る」ことは作戦そのもの従事に他ならない。
従って>>104が言うような捕虜の使い方はハーグ陸戦条約第6条で許されている範囲を
超えている。
結論:捕虜を攻撃に使うことは陸戦条約違反である。 陣地も攻城陣地はダメだろうが、後方で宿舎を建てるぐらいならいいんじゃね。 トルコ映画『Fetih1453(征服1453年)』
https://www.youtube.com/watch?v=34kXNDdAvJA
メフメト2世のコンスタンティノープル攻略戦を扱った
トルコ映画史に残る大作。
やはり城攻めは物量で押し潰すのがロマンだよね。 >>114
あの場面だと、お遅かれ早かれ落城は避けられない。 ウルバン砲は最初ビザンツに商談があったものの資金不足で泣く泣く見送り、次にオスマントルコが買い付けたけど、
もし当時のビザンツにウルバン砲買えるだけの資金が残ってたら滅亡をどれくらい先伸ばしできてたろうなあ ウルバン砲の口径は63.5cmというから戦艦大和の主砲46cmをしのぐ。
そんな巨弾が自分の方に飛んでくるのを見れば、
撃たれた側の精神的ダメージはでかいだろうな。 >防衛戦
散弾を撃てば、一撃でイスラム勢を千人は薙ぎ倒すだろう。
あの巨大な砲身を城壁の上に据え付けられればの話だが。 昔は密集隊形だったから
今は戦車砲始め爆発武器が強すぎて散開 答えは、やってみなくちゃ分からない、大科学実験で。
124氏を20列×50人(10m×25m)でびっしり並べ、ウルバン砲点火! 英語版Wikiを見ると、当時ウルバン砲みたいなのはヨーロッパの攻城戦で
普通に使っていたらしいね。 >>127
ぶどう弾ぐらいは知っておいた方がいい。
戦場において無知は命取りだ。 >>130
>15世紀にブドウ弾などない
じゃからそのような思い込みが危ないと言っておるのじゃ。
Grapeshot containers filled with flint. 15th-16th century.
https://jp.pinterest.com/pin/521573200571987859/ フス戦争でも葡萄弾は使われていた。
BY 英語版ウィキペディア先生 仮に散弾が100発詰められていたとしたら、1発が10人なぎ倒さないと1000人に届かないからなあ
鎧着てる兵士を10人貫通するって相当難しい 初期の葡萄弾は石を詰めたものだろ。発射と同時に砕け飛ぶ散弾みたいなもんだ。
城壁の上からこれを撃つと、射界内の敵兵は高速で飛んでくる無数の石礫を
斜め上方から浴びせられ、露出した頭部や顔面を穴だらけにされるのである。
この広範な殺傷力は、>>134が想像するような貫通力とは関係が薄い。 雑兵を万人倒すよりも、砲身を延長してスルタンの黄金テント直撃を狙うべき。
ウルバン・ガン狙撃タイプ。 そうだ!
鎖で繋いだ砲弾2つを地面すれすれに撃ち出したらバウンドしながら転がって、密集した敵兵なぎ倒せるんじゃね? 連鎖砲弾が発想的には近いけど対人転用はちょっとなあ ほぼ同じ時代に神聖ローマ帝国は口径80cmの大砲を持っていた。
さすがドイツ人の先祖じゃね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pumhart_von_Steyr http://www.eniguma49.sakura .ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
10cmの鉄板等を使用した車輪付き盾が
大阪夏の陣で使用されていたのかだが
此れは基本的に10匁狭間筒の至近攻撃を止める為の物なのかだが
最小クラスの20匁の大鉄砲の至近距離の防御は考慮しているのかだが >>135
なかなかにラノベ的でロマンがあるけど昔の大砲にそこまでの威力はないと思う
ヨセフスの「戦記」でも射石機で飛んできた石弾を盾で防いでる描写があったな エルサレム攻囲戦で使ったローマ軍の投石機は多数の石弾を投射するタイプの投石機か? http://www.eniguma49.sakura .ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
車で移動するタイプの井楼は
防御力はどうなのかだが
板金装甲迄は有るのかだが
至近距離の10匁筒等は耐えられるのかどうかだが
仕寄車の装甲は井楼よりは強固なのかだが 石の入る竹束・車竹束より
城の土壁の方が防御力は高いのかだが
石が入る土壁では更に防御力は高いのかだが
100匁筒等は止まるのかだが うわ!
某研さん、10年ぶりくらいに見た!
本物でなくても、すっげー嬉しい!
語尾は、だろうか、で終わらないの? Siege Helmet
http://www.metmuseum.org/art/collection/search/26528
此れは10kgも有る攻城戦用兜だが
こうした物の出現は17世紀後期以降なのかだが
顔面の防弾も此れは幾らかは考慮されていると言う事なのかだが
Siege Helmet
http://www.metmuseum.org/art/collection/search/26527
17世紀前半でも9.3kgの攻城戦用兜等が有るが
こんな物が大量に利用されたのかどうかだが
https://jp.pinterest.com/pin/343610646554942465/
此れは17世紀の攻城戦用甲冑だが
分厚い綿入れは被弾時の衝撃吸収用なのかだが スコットランドの城は溶岩の上に作ることが多いので穴掘り地雷作戦が容易ではないだろう トータルウォーの中世の奴やつだと敵の城壁の「塔」にカタパルト当てて壊してから、
城門に攻城鎚を入れたり攻城塔送ったりしてたけど
中世の戦争の基本だったのかなー塔にカタパで攻撃は 塔が生きてると城門攻めを妨害されるからそれが合理的でしょう 確かに城壁って土も入れたりで強化されてるからカタパルト程度の威力じゃ破壊しにくい?
塔は煉瓦組んでるだけだから破壊しやすいとかなんだろうか http://www.j-texts.com/yaku/taiheiky.html
>皆一人々々持楯(一三)をもち、其表面にいため皮(一四)をつけて容易に討たれぬやうに作り、それをかざして攻めたてた。
太平記の赤坂城の戦いに練皮で補強された盾が出て来るが
此れは手持ち式の持盾と言うからサイズはどうなのかだが
練皮で持盾を補強したのは攻城戦時の至近距離からの弓の射撃を止める為かも知れぬが
大型の盾に練皮を装備した例は有るのかだが
持盾も高さは160cm有る物等も有るのかだが
絵巻に有る物は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/215074231
上の物しか見ないが 日中戦争の南京攻城戦においては、
日本軍は南京城内の国際安全区内に逃げ込んだ南京市民30万人を虐殺して
穴埋めにしたり長江に棄てたりしたっていうのは本当なの? 嘘に決まってるだろ。乗り物の燃料だけでなく歩兵銃の弾にも事欠いた日本軍に、
そんな大量虐殺及び死体処理にかけるだけの手間暇なんてない
そもそも30万もの死体が街に溢れてたら処理が間に合わずに腐敗臭が蔓延して最低でも数ヶ月は住めなくなる まず、南京市にはそんなに人口が居ません
逃げ込んだ南京市民が数日後に元の生活に戻っていったって記録が残っていたかと
もともとの話は数千人の武装兵?の死体だったな https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/03/34/d7/bb/caption.jpg
写真は現代の南京長江大橋だが、日本人の証言によるとこんなに川幅のある大河も
虐殺された中国人の死体で川面が見えなくなるくらいだったという話だな。 山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。
ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」
陸軍飛行第八大隊・井出純二軍曹の手記
「いよいよ処刑が始まった、捕虜はおとなしく座り込んでいる。
それを次々に斬って死体を水面(注:揚子江)にけり落としている。三十分近く見物したあとで胸が悪くなった」
第六師団歩兵第十三連隊赤星義雄二等兵の証言
「二千メートル、いやもっと広かったであろうか、その広い川幅いっぱいに、数えきれないほどの死体が浮遊していたのだ。
見渡す限り、死体しか目に入るものはなかった。川の岸にも、そして川の中にも。
それは兵士ではなく、民間人の死体であった。
大人も子供も、男も女も、まるで川全体に浮かべた”イカダ”のように、ゆっくりと流れている。
上流に目を移しても、死体の”山”はつづいていた。それは果てしなくつづいているように思えた」
従軍通信員の住谷磐根の証言
「埠頭の突端に鉄の柵があり、そこから先はコンクリートで護岸されていた。
ここに四、五人づつ並べてうしろから銃剣で突いてコンクリートに落としていた。日本兵は二十人ほどで、中国兵が千人位いました、、、
翌朝、行ってみると、コンクリートには死体累々で、数えてみると八百人ほどの死体がありました。
中には死にきれずに手を動かしている者、ごそごそ動いているものもいました。
銃剣でうしろから刺すだけですから死にきれない中国兵もいる。
揚子江はまだ増水していませんでしたが、増水すれば護岸コンクリートのところまで来るので流れてしまいます」 規模は疑わしいけど南京虐殺そのものはあった…らしい
ミサイル、爆撃、砲撃で一般人に被害が出るのはノープロブレムで
直接殺すのはNGっていうのもおかしな話だ 南京城内の民間人の殆どは日本軍が城内に入るまでに国際安全地帯に逃れておりそこに逃れたものは無事だった。
安全地帯に逃れなかったものが便衣兵と見做されて殺された。
こんなところかな? みんな逃げられるとは限らんからなー
ある程度の数の逃げられない市民と、市民に偽装した中国軍兵士がいたら
一般市民の犠牲も避けられないよな モンゴルによって壊滅させられたバグダッドは城内の何十万人という遺体の腐臭で放棄させられたという んー、中国が戦勝国扱いなこと事態が解せないなあ
フランスもだけど。 中国は日本に攻め込まれて最初から最後まで降伏しなかったから戦勝国
フランスは戦後のバランスのため
中国も常任理事国待遇はバランスのためといえばバランスのためだが 万里の長城だけど
http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/f/9/f992742d.jpg
http://yuuma7.com/wp-content/uploads/2015/08/w0-1000x660.jpg
こんな山岳地帯の尾根沿いに大層なレンガ造りの城壁を作っても
北方民族は道無き山を越えて攻め込むことなどしなかったんじゃないの?
辻政信や牟田口みたいなのが北方民族の将軍にいたらあるいは山越えで攻めてくるかもしれないが 道なき山の城壁は若干手抜きで、
平地の長城は城門と城門前を囲む砦状の施設と気合い入れてる
山にも作らないと山越えされて終わりだから意味ないと思ったんだろう >山にも作らないと
ちょっちちゃうよ。いまある明代に作られた長城は、
できるだけ山の稜線を防衛ラインとして
使えるように場所を考えて作られている。
「山にも」じゃなくて「山だから」 万里の長城やハドリアヌスの長城はよく知られるが
ウクライナにも総延長1000kmの長城があったという。
ドラゴン・ウォールまたはサーペント・ウォールと呼ばれるこの長城、
築城者は不明だが、構造的にみると万里の長城とは逆で
北方騎馬民族ならぬ南方騎馬民族の襲撃に備えて築城されたらしい。
http://www.globalsecurity.org/military/world/ukraine/serpent-walls.htm フランスで防衛側30人ぐらいで1万に勝ったのなかったっけ? >>173
南方騎馬民族なるタームがあるなんて初めて知ったわ http://futabalog.com/img/195609357
亀甲車も秀吉の四国攻めから存在していたのかだが
晋州城攻防戦で使用が遅れたのは
事前の準備不足故なのかだが
https://rekijin.com/?p=15617
>そこで、100疋(匹)の牛を殺してその皮を使って火矢も通さず、亀の甲羅のように強い亀甲車を造ったといいます。
こうした物も焼けた鉄粉或いは
大量の油を注がれてやられた例は西欧等に有ったかも知れぬが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E5%9F%8E%E6%A7%8C#%E7%A0%B4%E5%9F%8E%E6%A7%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E6%96%B9%E6%B3%95
>屋根を持つ構造となった後も、耐久性の観点から依然として石などの重量物の落下攻撃は有効であり、また、火矢やギリシア火薬といった燃やす攻撃も取られた(先述のようにこの対策として屋根を湿った被覆材で覆った)
焼けた鉄粉迄も濡れた被覆材で防げるのかどうかだが
>十字軍遠征においては、イスラム側は先にフックをつけたポールを使って、そのフックを破城槌の屋根に引っ掛け、ひっくり返すという手法を編み出した。
破城槌の重量を増加させたり
或いは地面に固定する様な方法で
此れは防がれた可能性は有るのかだが
>城郭の構造として、城門とそこへの通路を直線状に配置しないことは、進行方向の変更が苦手で、原理上垂直に取り付かなければならない破城槌にはとりわけ有効だった。
日本の城は果たしてこうした事を
考慮しているのかだが https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11182045206
>また古代ローマ時代から動物の皮に燃えない油を塗るなどして防火措置を取っており、
此れは焼けた鉄粉迄は防げるのかだが
焼けた鉄粉も破城槌の傾斜した屋根で弾かれて下に大半は落下し
炎上はさせられ無い可能性も有るのかだが
>城壁の側溝に作られた穴に熱した油を流すことで、登ってくる敵や城門を攻撃する破城槌などに対し、灼熱の油をぶつける
此れは破城槌が下から燃やされる危険も有るのかどうかだが
溝を上手く埋める等の対策も有るのかだが 灼熱の油などを浴びせられては、いかに>>1といえど
ロマンなどと言ってはおれないだろう >>61
多分きみはネットが世界のすべての人なんだろうけど
北朝鮮が軍事大国ってことぐらい小学生でもニュースで知ってるし、世間一般は君が思ってる以上に賢いぞ >>175
フン族やアラン族が盤踞してたのは、ウクライナからみれば南東方向だったから? Japan Antiques Edo Yoroi Kabuto Big Seoi Protectparts Samurai Koshirae Armor Armor photo
https://pin.it/zrzquv5ydg4fk5
此れは攻城戦の際
高所から落下した時に背中を保護する為の物なのかだが
果たして何処迄使用されたのかだが 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
WSS 上でも出ていたが『Mount & Blade』というゲームの攻城戦はかなりリアル。
https://www.youtube.com/watch?v=pv2qb66PbUg
守る方も忙しい忙しい 大坂は?
島原は?
千早は?
アラモは?
エルサレムは?
旅順は?
バグダードは?
セヴァストポリは?
コンスタンティノポリスは?
むしろたいがいの攻城戦が落城してると思うが?
そもそも籠城する事態になったらもう終わりだろう 援軍の当てがないと遠からず落ちるだけだよな
基本的には時間稼ぎにしかならなくて、時間稼いでなんとかなる状況じゃないとどうにもならん 籠城する事態になってやることといえば
1.援軍を待つ
2.籠城続けて武器も食料も尽きて落城
3.降伏
4.(逃げ道があれば)逃げる
5.ヤケクソで打って出て玉砕
これしか選択肢無いわ クソ遠くから大軍勢で遠征してきてその都市(土地)奪ってもさして価値がない
以外では囲んでる側が有利だからなあ
割に合わないとみれば帰るかもしれんけど、大体は損してまでも続ける 包囲されたとて被包囲側のほうが優勢なら包囲などすぐ破れる
籠城するということは包囲側が優勢だから 俺はトリボクで射出されたい。レゴのロビンフッドの様に。 >>189
時代にもよるが、長期包囲を維持する側の経済的負担等によって
援軍無しでの籠城勝ち、という例も実際にあるにはある 小田原城もそれだな
それ故に誤解してしくっちまったけど >>186
コンスタンティノポリスは籠城して攻囲軍を撃退した方がほとんどだろう。 カタパルトは物のねじれとかが戻る時の弾力を利用した投石機
ローマのオナゲルもカタパルトの一種
トレビュシェットはオモリが落下する時の位置エネルギーを利用した投石機
こんな違いだったかと >>201
情報錯そうしている。
一般にカタパルトと言われているものは、実はモンゴルの別の兵器だとか Game of Thronesの兵器の選択、その威力がめちゃくちゃなようだ >>189
攻囲側が諦めて撤退するまで粘る
という一番重要な選択肢がなぜ無い 撤退するまで粘るってのが1だろ
援軍も来ないのに籠城するのが一番重要?寝言は寝て言えよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています