攻城戦のロマン [転載禁止]©2ch.net
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攻城戦について語ろう
攻め、守りどちらでも
日本史可で
個人的には戦闘前の守り側の「準備」描写が好き
なんかワクワクする 小さい頃は星形要塞って変な形してるなぁくらいに思ってたけど、
死角をなくし、射線を確保するって解説を読んでえらく関心したことがあった。
それ以来数学の授業も寝ないでちゃんと受けた思い出がw 五稜郭の時点で、海岸線にある軍艦から砲撃できたという話ですからね。
まあ、幕末の時点で、どんな城でも全く万全じゃないよなあ。 徳川家康は三方ヶ原の戦いで負けた後浜松城に逃げ帰ったが城門はわざと開けておいた
追撃してきた武田軍は無防備な城に伏兵などの罠が仕掛けられていると考え敢えて浜松城の攻略を諦めたという >>86
空城の計とか、アホの極みだと思う。
追撃戦からそのまま雪崩れこんで朝倉滅ぼした信長が聞いたら、
バカにするんじゃないの?
江戸時代の兵法オタの創作だろ。 デメトリオス1世が作ったヘレポリスって何で定着しなかったの?
安全に城壁に近づいて突入するには最適な兵器と思うが。 >>88
実際は門を閉めるゆとりすらなかったのでないの? >>93
弓矢で蜂の巣にされて全滅して偵察にならなそうだし
万が一生還できても何も情報を得られないままの生還になりそう >>96
本当の空条なら空城計そのものを最初からしない >>75
ルイス・フロイスの日本史見ると水攻めに随分驚いてるところを見ると
あまりポピュラーではなかったようだな 本州は熱帯でも亜熱帯でもないのに河川が多いもんなあ 南京城が典型だけど、コンスタンティノープルとか大阪城とか、要塞が堅固過ぎて落城した時に城内の人達の逃げ場がなく、
略奪だけならまだましなほうで強姦されたり虐殺されたりすることになった。
一般市民が逃げやすい城郭と城下町という日本の典型的な城の方が市民が逃げるにはいいのかもしれない。 南京城は高さ20mもの城壁に囲まれていたそうですが、1937年、日本軍と中華民国の間でこの南京城を巡る攻防があった時は、城内で何があったのか日中で意見が分かれてるみたいですね。 城塞都市には普通避難用の城門とかあるから
城壁ないと四方八方から迫られたら逃げ場ないし 父の城を再起不能なまでに燃やし尽くしてくださる方、募集します。お礼あり。
http://togetter.com/li/952938
北条なんとかという人が盟主の日本人同盟が強いサーバーでプレイしている方にお願いです。
父(65歳)がどハマりして仕事も疎かにし、一家離散寸前です。 >>19
バーグ陸戦条約でも捕虜を使役して陣地や突破口を作ることは認められているぞ
つまり今でも大っぴらにやってるってこと >>71
オソレスだけど、
あの時代の城攻めだと、集まっている軍隊相手に商売人が
続々と集まってきたからな。
その商売人が将棋や囲碁を眺める感覚で、城攻めの様子をああだ、
こうだと評論していたみたいだし。
それに近い感覚は、今の日本の政局報道だろうて
だから今の日本の政治報道は政局と読んでいるのだろうて
局は囲碁将棋の局に通じるからな 政治関連の話題を政局とかって呼ぶのは、
実際のところ政治討論で何かが決定されているのではなく
政治家がこんなけしからん発言をした、A派とB派が会合を持ったとか
政治家の話や行動に終始するからなんだ >>104
>バーグ陸戦条約でも捕虜を使役して陣地や突破口を作ることは認められている
そりゃキミの甚だしい勘違いだろう。捕虜を強制して自国に対する作戦に使役することは
第23条で明確に禁じられている。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/Treaties/Laws_and_Customs_of_War_on_Land.html 強制じゃなけりゃいいんでしょ
じゃ有志にやってもらえばいいよね 第23条は敵非戦闘員の保護規定で捕虜には認められない
作戦そのもに従事しない限りであれば将校以外は使役し得ることは6条に明記されてるだろ
>國家ハ將校ヲ除クノ外俘虜ヲ其ノ階級及技能ニ應シ勞務者トシテ使役スルコトヲ得其ノ勞務ハ過度ナルヘカラス又一切作戰動作ニ關係ヲ有スヘカラス >>109 が第23条を非戦闘員に限定すると考える根拠は何かな?
一方でキミが主張する「陣地や突破口を作る」ことは作戦そのもの従事に他ならない。
従って>>104が言うような捕虜の使い方はハーグ陸戦条約第6条で許されている範囲を
超えている。
結論:捕虜を攻撃に使うことは陸戦条約違反である。 陣地も攻城陣地はダメだろうが、後方で宿舎を建てるぐらいならいいんじゃね。 トルコ映画『Fetih1453(征服1453年)』
https://www.youtube.com/watch?v=34kXNDdAvJA
メフメト2世のコンスタンティノープル攻略戦を扱った
トルコ映画史に残る大作。
やはり城攻めは物量で押し潰すのがロマンだよね。 >>114
あの場面だと、お遅かれ早かれ落城は避けられない。 ウルバン砲は最初ビザンツに商談があったものの資金不足で泣く泣く見送り、次にオスマントルコが買い付けたけど、
もし当時のビザンツにウルバン砲買えるだけの資金が残ってたら滅亡をどれくらい先伸ばしできてたろうなあ ウルバン砲の口径は63.5cmというから戦艦大和の主砲46cmをしのぐ。
そんな巨弾が自分の方に飛んでくるのを見れば、
撃たれた側の精神的ダメージはでかいだろうな。 >防衛戦
散弾を撃てば、一撃でイスラム勢を千人は薙ぎ倒すだろう。
あの巨大な砲身を城壁の上に据え付けられればの話だが。 昔は密集隊形だったから
今は戦車砲始め爆発武器が強すぎて散開 答えは、やってみなくちゃ分からない、大科学実験で。
124氏を20列×50人(10m×25m)でびっしり並べ、ウルバン砲点火! 英語版Wikiを見ると、当時ウルバン砲みたいなのはヨーロッパの攻城戦で
普通に使っていたらしいね。 >>127
ぶどう弾ぐらいは知っておいた方がいい。
戦場において無知は命取りだ。 >>130
>15世紀にブドウ弾などない
じゃからそのような思い込みが危ないと言っておるのじゃ。
Grapeshot containers filled with flint. 15th-16th century.
https://jp.pinterest.com/pin/521573200571987859/ フス戦争でも葡萄弾は使われていた。
BY 英語版ウィキペディア先生 仮に散弾が100発詰められていたとしたら、1発が10人なぎ倒さないと1000人に届かないからなあ
鎧着てる兵士を10人貫通するって相当難しい 初期の葡萄弾は石を詰めたものだろ。発射と同時に砕け飛ぶ散弾みたいなもんだ。
城壁の上からこれを撃つと、射界内の敵兵は高速で飛んでくる無数の石礫を
斜め上方から浴びせられ、露出した頭部や顔面を穴だらけにされるのである。
この広範な殺傷力は、>>134が想像するような貫通力とは関係が薄い。 雑兵を万人倒すよりも、砲身を延長してスルタンの黄金テント直撃を狙うべき。
ウルバン・ガン狙撃タイプ。 そうだ!
鎖で繋いだ砲弾2つを地面すれすれに撃ち出したらバウンドしながら転がって、密集した敵兵なぎ倒せるんじゃね? 連鎖砲弾が発想的には近いけど対人転用はちょっとなあ ほぼ同じ時代に神聖ローマ帝国は口径80cmの大砲を持っていた。
さすがドイツ人の先祖じゃね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Pumhart_von_Steyr http://www.eniguma49.sakura .ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
10cmの鉄板等を使用した車輪付き盾が
大阪夏の陣で使用されていたのかだが
此れは基本的に10匁狭間筒の至近攻撃を止める為の物なのかだが
最小クラスの20匁の大鉄砲の至近距離の防御は考慮しているのかだが >>135
なかなかにラノベ的でロマンがあるけど昔の大砲にそこまでの威力はないと思う
ヨセフスの「戦記」でも射石機で飛んできた石弾を盾で防いでる描写があったな エルサレム攻囲戦で使ったローマ軍の投石機は多数の石弾を投射するタイプの投石機か? http://www.eniguma49.sakura .ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
車で移動するタイプの井楼は
防御力はどうなのかだが
板金装甲迄は有るのかだが
至近距離の10匁筒等は耐えられるのかどうかだが
仕寄車の装甲は井楼よりは強固なのかだが 石の入る竹束・車竹束より
城の土壁の方が防御力は高いのかだが
石が入る土壁では更に防御力は高いのかだが
100匁筒等は止まるのかだが うわ!
某研さん、10年ぶりくらいに見た!
本物でなくても、すっげー嬉しい!
語尾は、だろうか、で終わらないの? Siege Helmet
http://www.metmuseum.org/art/collection/search/26528
此れは10kgも有る攻城戦用兜だが
こうした物の出現は17世紀後期以降なのかだが
顔面の防弾も此れは幾らかは考慮されていると言う事なのかだが
Siege Helmet
http://www.metmuseum.org/art/collection/search/26527
17世紀前半でも9.3kgの攻城戦用兜等が有るが
こんな物が大量に利用されたのかどうかだが
https://jp.pinterest.com/pin/343610646554942465/
此れは17世紀の攻城戦用甲冑だが
分厚い綿入れは被弾時の衝撃吸収用なのかだが スコットランドの城は溶岩の上に作ることが多いので穴掘り地雷作戦が容易ではないだろう トータルウォーの中世の奴やつだと敵の城壁の「塔」にカタパルト当てて壊してから、
城門に攻城鎚を入れたり攻城塔送ったりしてたけど
中世の戦争の基本だったのかなー塔にカタパで攻撃は 塔が生きてると城門攻めを妨害されるからそれが合理的でしょう 確かに城壁って土も入れたりで強化されてるからカタパルト程度の威力じゃ破壊しにくい?
塔は煉瓦組んでるだけだから破壊しやすいとかなんだろうか http://www.j-texts.com/yaku/taiheiky.html
>皆一人々々持楯(一三)をもち、其表面にいため皮(一四)をつけて容易に討たれぬやうに作り、それをかざして攻めたてた。
太平記の赤坂城の戦いに練皮で補強された盾が出て来るが
此れは手持ち式の持盾と言うからサイズはどうなのかだが
練皮で持盾を補強したのは攻城戦時の至近距離からの弓の射撃を止める為かも知れぬが
大型の盾に練皮を装備した例は有るのかだが
持盾も高さは160cm有る物等も有るのかだが
絵巻に有る物は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/215074231
上の物しか見ないが 日中戦争の南京攻城戦においては、
日本軍は南京城内の国際安全区内に逃げ込んだ南京市民30万人を虐殺して
穴埋めにしたり長江に棄てたりしたっていうのは本当なの? 嘘に決まってるだろ。乗り物の燃料だけでなく歩兵銃の弾にも事欠いた日本軍に、
そんな大量虐殺及び死体処理にかけるだけの手間暇なんてない
そもそも30万もの死体が街に溢れてたら処理が間に合わずに腐敗臭が蔓延して最低でも数ヶ月は住めなくなる まず、南京市にはそんなに人口が居ません
逃げ込んだ南京市民が数日後に元の生活に戻っていったって記録が残っていたかと
もともとの話は数千人の武装兵?の死体だったな https://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/03/34/d7/bb/caption.jpg
写真は現代の南京長江大橋だが、日本人の証言によるとこんなに川幅のある大河も
虐殺された中国人の死体で川面が見えなくなるくらいだったという話だな。 山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記
「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。
ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」
陸軍飛行第八大隊・井出純二軍曹の手記
「いよいよ処刑が始まった、捕虜はおとなしく座り込んでいる。
それを次々に斬って死体を水面(注:揚子江)にけり落としている。三十分近く見物したあとで胸が悪くなった」
第六師団歩兵第十三連隊赤星義雄二等兵の証言
「二千メートル、いやもっと広かったであろうか、その広い川幅いっぱいに、数えきれないほどの死体が浮遊していたのだ。
見渡す限り、死体しか目に入るものはなかった。川の岸にも、そして川の中にも。
それは兵士ではなく、民間人の死体であった。
大人も子供も、男も女も、まるで川全体に浮かべた”イカダ”のように、ゆっくりと流れている。
上流に目を移しても、死体の”山”はつづいていた。それは果てしなくつづいているように思えた」
従軍通信員の住谷磐根の証言
「埠頭の突端に鉄の柵があり、そこから先はコンクリートで護岸されていた。
ここに四、五人づつ並べてうしろから銃剣で突いてコンクリートに落としていた。日本兵は二十人ほどで、中国兵が千人位いました、、、
翌朝、行ってみると、コンクリートには死体累々で、数えてみると八百人ほどの死体がありました。
中には死にきれずに手を動かしている者、ごそごそ動いているものもいました。
銃剣でうしろから刺すだけですから死にきれない中国兵もいる。
揚子江はまだ増水していませんでしたが、増水すれば護岸コンクリートのところまで来るので流れてしまいます」 規模は疑わしいけど南京虐殺そのものはあった…らしい
ミサイル、爆撃、砲撃で一般人に被害が出るのはノープロブレムで
直接殺すのはNGっていうのもおかしな話だ 南京城内の民間人の殆どは日本軍が城内に入るまでに国際安全地帯に逃れておりそこに逃れたものは無事だった。
安全地帯に逃れなかったものが便衣兵と見做されて殺された。
こんなところかな? みんな逃げられるとは限らんからなー
ある程度の数の逃げられない市民と、市民に偽装した中国軍兵士がいたら
一般市民の犠牲も避けられないよな モンゴルによって壊滅させられたバグダッドは城内の何十万人という遺体の腐臭で放棄させられたという んー、中国が戦勝国扱いなこと事態が解せないなあ
フランスもだけど。 中国は日本に攻め込まれて最初から最後まで降伏しなかったから戦勝国
フランスは戦後のバランスのため
中国も常任理事国待遇はバランスのためといえばバランスのためだが 万里の長城だけど
http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/f/9/f992742d.jpg
http://yuuma7.com/wp-content/uploads/2015/08/w0-1000x660.jpg
こんな山岳地帯の尾根沿いに大層なレンガ造りの城壁を作っても
北方民族は道無き山を越えて攻め込むことなどしなかったんじゃないの?
辻政信や牟田口みたいなのが北方民族の将軍にいたらあるいは山越えで攻めてくるかもしれないが 道なき山の城壁は若干手抜きで、
平地の長城は城門と城門前を囲む砦状の施設と気合い入れてる
山にも作らないと山越えされて終わりだから意味ないと思ったんだろう >山にも作らないと
ちょっちちゃうよ。いまある明代に作られた長城は、
できるだけ山の稜線を防衛ラインとして
使えるように場所を考えて作られている。
「山にも」じゃなくて「山だから」 万里の長城やハドリアヌスの長城はよく知られるが
ウクライナにも総延長1000kmの長城があったという。
ドラゴン・ウォールまたはサーペント・ウォールと呼ばれるこの長城、
築城者は不明だが、構造的にみると万里の長城とは逆で
北方騎馬民族ならぬ南方騎馬民族の襲撃に備えて築城されたらしい。
http://www.globalsecurity.org/military/world/ukraine/serpent-walls.htm フランスで防衛側30人ぐらいで1万に勝ったのなかったっけ? >>173
南方騎馬民族なるタームがあるなんて初めて知ったわ http://futabalog.com/img/195609357
亀甲車も秀吉の四国攻めから存在していたのかだが
晋州城攻防戦で使用が遅れたのは
事前の準備不足故なのかだが
https://rekijin.com/?p=15617
>そこで、100疋(匹)の牛を殺してその皮を使って火矢も通さず、亀の甲羅のように強い亀甲車を造ったといいます。
こうした物も焼けた鉄粉或いは
大量の油を注がれてやられた例は西欧等に有ったかも知れぬが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E5%9F%8E%E6%A7%8C#%E7%A0%B4%E5%9F%8E%E6%A7%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E6%96%B9%E6%B3%95
>屋根を持つ構造となった後も、耐久性の観点から依然として石などの重量物の落下攻撃は有効であり、また、火矢やギリシア火薬といった燃やす攻撃も取られた(先述のようにこの対策として屋根を湿った被覆材で覆った)
焼けた鉄粉迄も濡れた被覆材で防げるのかどうかだが
>十字軍遠征においては、イスラム側は先にフックをつけたポールを使って、そのフックを破城槌の屋根に引っ掛け、ひっくり返すという手法を編み出した。
破城槌の重量を増加させたり
或いは地面に固定する様な方法で
此れは防がれた可能性は有るのかだが
>城郭の構造として、城門とそこへの通路を直線状に配置しないことは、進行方向の変更が苦手で、原理上垂直に取り付かなければならない破城槌にはとりわけ有効だった。
日本の城は果たしてこうした事を
考慮しているのかだが https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11182045206
>また古代ローマ時代から動物の皮に燃えない油を塗るなどして防火措置を取っており、
此れは焼けた鉄粉迄は防げるのかだが
焼けた鉄粉も破城槌の傾斜した屋根で弾かれて下に大半は落下し
炎上はさせられ無い可能性も有るのかだが
>城壁の側溝に作られた穴に熱した油を流すことで、登ってくる敵や城門を攻撃する破城槌などに対し、灼熱の油をぶつける
此れは破城槌が下から燃やされる危険も有るのかどうかだが
溝を上手く埋める等の対策も有るのかだが 灼熱の油などを浴びせられては、いかに>>1といえど
ロマンなどと言ってはおれないだろう >>61
多分きみはネットが世界のすべての人なんだろうけど
北朝鮮が軍事大国ってことぐらい小学生でもニュースで知ってるし、世間一般は君が思ってる以上に賢いぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています