フランス革命 part2©2ch.net
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>ロベスピエール
こいつには何か謝罪の言葉を言わせてから首を落とすべきだったが、
顎に穴が空いて喋れなかったのは残念。 共和派の目線に立つのがフランス革命史での正しい作法 >>7
そんな古臭いモードは過去の遺物だ。
今は人権尊重の観点から、恐怖政治の首魁をディスるのが格好いい。 童貞のまま死なねばならない悲しさに共感しないというのですか?
(非童貞説には耳を貸さない)
〜〜 歴史の神秘に育まれた国家とは、祖先の叡智が幾世紀も幾十世代も堆積したその上に築き上げられた荘重な建造物であり、祖先より相続した「世襲の生命体」である。
この故にまた、悠久に国家が永続して行く為の命と活力のエネルギー源は、祖先を尊崇し、祖先が遺した伝統や慣習を畏れを以って保守して行く子孫たちの、いわゆる「保守主義の精神」に依って立つしかない。
すなわち我々国民が、「世襲の義務」である「祖先を畏れる精神」「伝統・慣習を保守する精神」を仮に失うとすれば、国家は生命源を涸渇させて行くから、最後には亡国の淵に立つ。
国家とは過去の祖先と、未来の子孫と、現在の国民とが、同一の歴史と伝統とを共有する精神の共同社会であるから、国家が魂を再生して永遠に存続するには、過去と未来と現在の国民とが、いつもパートナーシップの絆で結ばれていなくてはならない。
憲法とは浅薄な人間の智力で、国家を「設計する」が如くに作るものではない。如何なる天才の何十倍・何百倍も賢明な祖先の叡智の中に「発見する」ものであると考える英国や米国の憲法思想を以って、「正統の憲法」というのである。
またその憲法によって、国民の自由が擁護されるだけでなく、人格の道徳的・倫理的向上が図られるのを「正しい憲法」というのである。
英国と米国の憲法は、自由を抑圧し、人格の低級化・動物化をもたらすフランス革命と、それを起こしたルソーらの啓蒙哲学の影響を回避したが故に、
「革命のドグマ(教理)」というべき革命フランス系の「偽りの憲法」もしくは「異端の憲法」とは対極的な、正しい憲法原理を堅持する事に成功したのである。
すなわち、英米系の憲法は自由の擁護に欠く事の出来ない、「法の支配」や「立憲主義」を憲法原理とする。
が一方、フランスの革命憲法は逆に、「立憲主義の破壊」を積極的に目的とし実践した。
また「法の支配」を全く知らなかっただけでなく、「法」の支配する政治でなく、「無制限の権力を持つ者(革命家や独裁者)」の支配する政治を考案した。
自由は「法の支配」なくしては棲息出来ないから、フランス革命憲法の下で、国民の自由(生命)が侵害されて、人々がギロチンその他で虐殺されたのは自明であった。
(続き)
・・・戦後日本の憲法学が学問ではなく政治宣伝と言っていいのは、英米の憲法思想を事実上全く抹殺するか、歪曲するからである。
例えば「人権」と「国民主権」を断固排除した米国憲法が、英国と同等若しくは英国以上に「保守主義の精神」で貫かれて起草され、
制定されたという、初歩的事実すら、(わが国では)如何なる憲法教科書にも書かれていない。
米国憲法が最も依拠したのが「法の支配」を理論化した17世紀初頭の英国のエドワード・コーク卿であり、
米国憲法の根本を定めたアレクサンダー・ハミルトンは、このコーク卿の思想的嫡流であるが、コークやハミルトンの名は(現代日本の)殆どの憲法教科書に見当たらない。
そもそも正しい憲法理論はエドマンド・バークによって完成したのであり、バークに学ばない憲法学など、偽りである事は明白である。 〜〜
(『正統の憲法 バークの哲学』著/中川八洋 [中公公論新社/2001年])
首都に行って名を上げるのがよい事なのか、ロベスピエールを見ると考えさせられる。
田舎で弁護士を続けていた方が幸せだったような気が。 ロベスだって娼婦くらい買ってるよ。
あの年齢まで何もないなんてことはない。 妹の証言が根拠なんだっけ
普通に妹に遍歴をペラペラしゃべらないよな >>4
>こいつには何か謝罪の言葉を言わせてから
あんまりそういう事にこだわらず、サクサクとあの世に送ってくれるのが
むしろフランス人のいい所だと思ってる。
これがロシアや中国なら散々痛めつけられて、私はスパイで裏切り者ですとか、
資本家の手先ですとか言わされた後で殺される。惨たらしい。 ルイ16世が街中でウンコ投げるの禁止令を出してるが抜本的な対策がないから
誰もやめなかったそうだが、ウンコを集めて郊外に穴でも掘って捨てるとか
そういう考えはなかったのかねえ。しかしパリの町は今でも汚い。国民性か? 今のフランス人ならゴミまみれの
町がフランスを代表する都市というのはまったく芸術的ではないとか行ったらゴミ減るかもな フランス革命を語るにおいては
なにはともあれ、エドモンド・バークを読むべし // whisper -voice.tracisum.com/?eid=394
■二十歳で男爵夫人の愛人に
親としての情が欠片も感じられない、ルソーの生涯
わが子を全部、孤児院に入れる
ルソーは1712年、スイス ジュネーヴの時計職人の子に生まれ、母は8日後に死去。7歳頃から父と共に小説や歴史の書物を読み、この頃、理性よりも感情の優位を説く思想の基礎を築き、1725年に父と兄が家を出てしまい、ルソーは牧師や法律家に預けられた後、
彫金工に弟子入りするなど苦しい体験を経た後に出奔、放浪生活を送り、様々な職業を経験しますが、どの職業にも落ち着くことができませんでした。
1732年にジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人に庇護されながら、さまざまな教育を受け、孤独を好む一方で膨大な量の読書をし、教養を身につける。夫人の愛人でもあった、この時期については、生涯でもっとも幸福な時期だったと晩年回想している。
夫人と別れた後、1740年から1741年にかけてリヨンのマブリ家(哲学者コンディヤックの実兄・歴史家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。
1745年、下宿の女中テレーズ・ルヴァスールを愛人として事実婚、10年間で5人の子供を産ませるが5人とも孤児院へ送った。このようなエピソードから、ルソーは“矛盾の人”ともいわれる。
『エミール』を書いた教育思想家として歴史に名を残す偉人とされているが、父親としては無責任なルソーの経歴。
ルソーの矛盾は、彼の子供時代が影響しているのでしょう。自身が父親へ反発すると同時に、父親としての意識が欠如、父親の理想像を描けなかったルソー。
もっと尊敬できる愛情に満ちた父親との出会いがあったなら、きっと彼の人生も著作も全然違うものになっていたことでしょう。
極度のマゾヒズムや露出癖、知的障害者に性的虐待を行い妊娠させては次々に捨てるなど、性倒錯傾向も顕著で、狂人めいた私生活を送っていたルソー。自身の著書『告白』などでそれら様々な行動についても具体的に触れており、少年時代は強姦未遂で逮捕されたこともある。
>ルソー
歴史に残る露出狂だな。
こんな変態を尊敬するジャコバンって。 モノ書きで売るには、ちょっと変態なぐらいで丁度いいんよ。 ジャコバン派が封建領主制を廃止したと思っている人が多いよね。 >>12
実際>>10>>11の書いてある内容も嘘ばっかだからな
低俗なコピペだったと後で気付いたけど、最初は気付かずに別スレで全て反論してしまったw フランス革命は間違っています。
ルイ16世、マリー・アントワネット、ルイ17世がなぜあんな悲惨な目に遭わなければいけなかったのでしょうか。
そのほかにも殺された人はたくさんいます。
化学者のなんとかっていう人も殺されていますし、ヴァンデの虐殺では惨酷なことをされていますし。
残虐非道なフランス革命は断罪するべきです! >>28
アメリカ革命でも、トーリーと呼ばれる英国派の人たちが
殺されたり、アメリカから追放されたりしてるぞ
死者の数は、独立戦争と一緒になって定かではないが、追放された人の数は10万人程度と言われてる
革命ってのは、そういうもの 古今東西、どこの国でも革命前後では多くの人が命を失うもんね。
フランスでも年間に1000人くらいが断頭台送りになったんだっけか。
なにより、最近、驚いたのが、つい最近までギロチンがフランスやスイスの正式な死刑の形だったってこと。
あれ、ヨーロッパだと人道的な処刑方だと考えられてるの? 首ちょんぱだよ? 当事者が苦しまない死刑方法として開発されたんだよ。 だから米国にもおかしな所があるでしょ。
自助、自立の精神を重視するのは良いとして、
市場競争システムを原理主義派のように崇めるところとか。
名誉革命
明治維新
東欧革命(反革命の革命)
以外には正統な革命は無かったと思う。
革命を経験したフランスが安定してくるのは、
第三共和制に入ってからだし。
18世紀末〜19世紀のフランスは本当に回り道しまくったと思う。
その間相対的には(他国との比較で)国力は落ちる一方だったし。 当時はあんまり前例のないことだからね。暗中模索の手探り状態で、
最善手を打ち続け最短ルート通り最速で最良の結果を出す、ってわけにもいかんだろう。 明治維新が正しいっていうのは、俺たち日本人の贔屓目の見方
正直、倒幕派だけでなく佐幕派にも、ちゃんとした筋道が通ってたのに戦争になってたし
倒幕した後の、
その後の明治政府も、事実上薩長が牛耳ってる状態だったしな
それで言えば
アメリカ人も、アメリカ革命が正しいと思ってるよw 東欧革命にしても、その後の内戦続きで今もドンパチやってるのに
それを正統だとか、頭おかしい
そもそも、どういう部分を「正統」なんて言ってるのか、さっぱりわからん
お前の価値観一つで正統か異端かを決めるとか、大丈夫かねw
それでももし、正統なものを無理にでも決めろというなら
無血革命を成功させた名誉革命くらいなものだ 倒幕派の薩長のバックには、フランスとイギリス
佐幕派のバックには、アメリカがついてたんだっけ
どっちが勝っても、欧米の属国になるだけだというんで、坂本竜馬が大政奉還を進言したんだよな
しかし、それで恨みを買った坂本竜馬は暗殺されてしまう
明治維新後も、西南戦争とかの内戦が起こってるし
正統な革命なんてあるのかねぇ >>36
>佐幕派のバックには、アメリカがついてた
だから維新後、鉄道を引いたりするときにアメリカは借款に応じなかったのか >>37
明治維新の前後は運の良いことにアメリカが南北戦争してたから日本は経済的にも政治的にも侵略されずに済んだ。 19世紀中葉の米国は、南北戦争もあるけど、墨国とやり合っているようなレベルだし、海軍も超弱小だから、海を渡って日本に攻め入る力なんか無かったよ。 南北戦争前の正規陸軍は約15000名でしたからね
あの広い国土で
州の義勇軍も存在していたけれど、中隊レベルでの訓練が関の山
大隊や連隊での機動など夢のまた夢
隊は地元名士の社交クラブと化していて・・・
ワイオミング号の活躍は特例かと
そもそも、アラバマ号と単艦で交戦する覚悟の艦だったし >>28
>フランス革命は間違っています
大筋では正しい。
ごく少数の貴族が遊び暮らし、庶民が貧困で飲まず食わず。
この体制を倒したのは、絶対的に良い。
ただ暴走もあったし、問題や紆余曲折も多かった。 あれは革命と言うより内乱であり民主主義や共和制を目指して、
革命したのにロベスピエールの恐怖政治やナポレオン帝政独裁に至ることがまず持っておかしい。
近代市民革命とか言って美化するのはやめろ。
ただの内乱だ。 そう通りだと思う。
七月革命や二月革命は近代市民革命に位置付けられると思うけど、
あの革命はクーデター、内乱に過ぎないね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています